高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
    文学座公演 『欲望という名の電車』             No. 2022-027

 『欲望という名の電車』=文学座=杉村春子、とその舞台を観たことがない自分であるものの、それほどブランチと杉村春子のイメージが強い劇であるが、この作品を翻訳した小田島雄志が新潮社の文庫本の解説(あとがき)に、彼がこの劇を初めて観たのが1953年で、ボーリングなどまだ日本では知られていなくて「ボーリング・ジャケット」を、石油をボーリングするとき着る服と思い込んだりする人がいた、そういう時代であったと記している。また、この舞台になっているニューオーリアンズのフレンチ・クォーターのロイヤルという通りに、昔、「欲望」と「墓場」と書かれた二系統の電車が走っていたという。つまり、実在していたということであった。
 父親が訳したこの作品を息子である小田島恒志が文学座のこの公演のために新たに翻訳して、パンフレットの巻頭言で翻訳に当たって従来の訳といくつか変えていることを説明している。その中で、「欲望という名の電車に乗って、墓場という名の電車に乗り換えて、六つ目の角でおりるように言われたのだけど―「極楽」というところで。」というブランチの冒頭の台詞で「極楽」と訳されているこの語は、原文では「エリージャン・フィールズ」で、実際にある地名だという。「エリージャン」はギリシア神話で「祝福された人が死後住む所、極楽浄土、理想郷」のことで、行く着く所が実在した地名の「極楽浄土」ということで、「欲望」や「墓場」という名の行き先がともにアンリアルな印象で、この劇が比喩的・象徴的で非実在性を感じたものだった。
 この劇の主人公ブランチは、作者テネシー・ウィリアムズが自分自身だと自ら語っているそうだが、そこにこの劇の「欲望という名の電車」という題名と合わせて二重の意味で自己投影されているように感じられる。
 肝心の舞台そのものであるが、冒頭に書いたようにブランチ=杉村春子のイメージが強いこのヒロイン役にどうしても関心が向いてしまう。杉村春子の舞台を観たことがないのだから、無論、比較の仕様がないのだが、それでも見たことのない杉村春子と想像の中で比べてしまう。
 神経過敏で、現実と自分の想像の世界の境が交錯してしまっているブランチを演じたのは、山本郁子。はじめは、ただ神経が繊細でものごとに過剰に反応するだけだと思われていたのが、現実と自分の想像する世界が入れ替わっていき、その深みに陥っていく変化を巧みに、自然に演じていたのが印象的であった。もう一人のブランチが生まれた、その舞台を観ることができたという評価で十分だろう。
 ブランチの妹ステラに渋谷はるか、その夫スタンリーに鍛谷直人、ミッチに助川嘉隆。最後にちょっとだけ登場する医師の役を小林勝也が演じたが、そこに登場しただけで存在感を感じさせた。出演は、総勢12名。
 上演時間は、途中15分間の休憩を入れて、2時間55分。


作/テネシー・ウィリアムズ、訳/小田島恒志、演出/高橋正徳、美術/乗峯雅寛
11月1日(火)18時30分開演、紀伊國屋サザンシアター
チケット:4500円、座席:6列6番、パンフレット:500円

 

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