高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
   加藤健一事務所公演Vol.112
      『スカラムーシュ・ジョーンズあるいは七つの白い仮面』    
No. 2022-020

 一人芝居の観劇は、一対一の無言の対話、というより一対一の格闘で、観劇中は絶えず頭のなかで感情と言葉が渦を巻いて格闘し、相当なエネルギーを消耗する(そこが魅力でもあるのだが)。
 いつものように事前学習せずに、どんな劇で、どんな内容かも知らない状態で観劇。話の展開を理解するために全神経を集中。加藤健一の台詞力には、その集中力をぐいぐいと引っ張っていく力がある。話の内容にもスリルとサスペンスの要素があり、気が抜けない。
 時は20世紀最後の日、1999年12月31日の深夜、人生最後の舞台を終えたスカラムーシュが自分の一生を振り返る。スカラムーシュは、19世紀最後の日、1899年12月31日、トリニダード・トバゴで褐色の肌をした娼婦のジプシーから生まれ、色がぬけるように白かったために、何か特別の存在としてスカラムーシュと名付けられる。
 6歳の時に母親が殺され、孤児となったスカラムーシュは奴隷として売られ、それから数奇な流浪の半生を送ることになる。白く生まれた赤ん坊の時が最初の「白い仮面」として、運命の変わり目ごとが一つ一つ、「白い仮面」として表象化されていく。
2番目が奴隷として売られていく海の上の「大海原の塩の仮面」、3番目が蛇使いのヤスとのサハラ砂漠の旅での「砂の仮面」。彼との生活は30年にも及ぶが、イタリアのウーディネ殿下がエジプトを訪れた際、その行幸を遮った罪でヤスは死刑となるが、スカラムーシュは色が特別に白いことで殿下に救われ、地中海を渡る時に流した「ふたつぶの涙が凍ってできた仮面」が4番目。
男色の殿下の元から逃げ出してジプシーたちに救われ、そこでの暮らしが5番目の「ピエロの仮面」。
そして、ユダヤ人の収容所で処刑される前の子供たちにパントマイムで笑わせ、処刑されたユダヤ人たちに石灰を撒き、その石灰が顔に張り付いてしまった6番目の「石灰でできた仮面」。
戦後、スカラムーシュはユダヤ人収容所における罪で裁判を受けるが、彼が収容所でユダヤ人の子供たちの前で行ったパントマイムを裁判官の前で演じることで、彼が行った善行により百ポンドのお金と共に自由の身として釈放され、自分の父親とされるイギリス人の国に行くことを決意する。そのとき、彼にはパスポートに記す姓がなく、税関人の姓ジョーンズをもらって、無事ロンドンに着く。そこで傷痍軍人たちとの出会いがあり、彼の最後の顔、「ドーランを塗りたくった仮面」の顔となり、そこからの後の半生50年の事は語られることなく終わる。
半生を語り終えた彼は、「マンマーミィア~!」と搾り出るような絶叫の声を張り上げた後、語り始めにともした蝋燭の火を消し、沈黙。そこで暗転する。そして、ふたたび、舞台にサーカスの照明が点灯し、天井から空中ブランコに乗ったスカラムーシュを演じた加藤健一が降りてきて、カーテンコールとなる。
 加藤健一の100分間にわたる一人芝居に感動の拍手が続く。
 ああ、観劇してよかったと、感激!!
 今回は、最近では買うことのなかったカトケン公演のパンフレットを、帰り際に買って帰った。
 帰宅後、気になっていたScramoucheを辞書で調べたら「イタリア即興喜劇でからいばりする道化者」とあった。
 最初から「道化者」として名付けられたスカラムーシュは、道化としての後半生を語る必要などなかった。彼の前半生こそ、道化の半生(序曲)であったのを感じる。
 心地よい(?)体力の消耗と感動に酔いしれ、加藤健一が全身全霊、全魂を傾けた迫力を堪能した。

作/ジャスティン・ブッチャー、訳/松岡和子、演出/鵜山仁、美術/乗峯雅寛
8月18日(木)14時開演、下北沢・本多劇場
チケット:5500円、座席:D列9番、パンフレット:550円

 

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