高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
   夢のれんプロデュース公演Vol. 4 『楽屋』           No. 2022-018

~流れ去るものはやがてなつかしき~

 清水邦夫の戯曲の詩情をそそるタイトル(あるいはサブタイトル)が好きだ。
 シェイクスピアとチェーホフを同時に楽しめるグリコのような劇。『楽屋』は、この二人の作家のバックステージもののような劇である。
 舞台は、チェーホフの『かもめ』を上演中の楽屋で、その中で現実と非現実が同時に表出され、はじまりは、非現実である二人の女優(亡霊)が出番を前に、化粧台の前でメイクをしているところから。そこへ、『かもめ』のニーナを演じた女優が、その二人がいる楽屋に戻ってくる。その現実の存在の彼女が『かもめ』の台詞を通して非現実の世界と心の葛藤をつぶやく。
 非現実の女優二人は、女優になれなかった永遠のプロンプターで、二人は見果てぬ夢を語り続ける。
 一人は戦前からの女優Aで、戦争で顔に傷を持つ。彼女が語る台詞は、もう一人の若い女優Bが語る台詞に較べて古臭く、そのことを指摘される。二人は、プロンプターとして多くの舞台の台詞を諳んじていて、自分が演じたかった役の台詞を語り合う。その非現実の世界に並行して現実の出来事が闖入して来る。
 枕を抱えた女優Dがニーナを演じる女優Cに「役を返してほしい」と詰め寄ってくるが、Cは受け入れないばかりか、しつこく迫る彼女に手をあげる。打ち所が悪かったためか、Dは死んでしまって、二人の亡霊と共にすることになる。
 チェーホフの『かもめ』に始まって、途中、女優Aは三好十郎の『切られの仙太』の台詞を演じたりもするが、基調はチェーホフとシェイクスピア。亡霊の女優は役への見果てぬ夢から「眠りを殺し」てしまって、眠ることはなく、また「明けぬ夜はない」のではなく、彼女たちにとって「夜は決して明けることがない」、『マクベス』である。
 女優Dが亡霊となって、これで3人そろい、最後はチェーホフの『三人姉妹』である。
 「ああ、あの楽隊の行進曲!あの人たちは去っていく…」(次女のマーシャ、女優B)
 「いずれは、なぜこういうことがあるのか、なんのためにこういう苦しみがあるのか、わかる時がくる…」(三女のイリーナ、女優D)
 「楽隊はあのように華やかに演奏している―あれを聞くと生きたいという気持ちが湧いてくる!ああ!それにしても時は流れ、私たちも永遠にこの世を去ることになる。私たちはすっかり忘れ去られてしまう、顔も、声も、何人姉妹さったかってことも…」(長女のオーリガ、女優A)。
 この劇は、この最後のオーリガの台詞に集約されていて、美しくも、悲しく、はかない…
 女優Aを演じる槇由紀子とBを演じる加藤ひろ海のコントラスト(二人が生きた時代の違いと、現実の二人が演じる役者自身の体型の違い)が印象的なだけでなく、面白くも、おかしくも、哀しくもあり、味わい深かった。女優Cには俊えり、Dに角田紗里。舞台では演じることができなかった台詞を語る女優Aの槇由紀子が、劇中で語る台詞が聞きどころの一つでもあった。
 上演時間は、途中休憩なしで、1時間15分の緊張した舞台であった。
 (『三人姉妹』の台詞は、小田島雄志訳を使用)


作/清水邦夫、演出/大谷恭代、美術・舞台監督/小島とら
8月7日(日)13時開演、荻窪・オメガ東京、チケット:4000円、全席自由

 

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