高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
   演劇集団ワンダーランド第50回公演 『沖縄の火種―1947年のナツ子』 No. 2022-014

 沖縄の事については知らないことが多すぎる。が、沖縄のことはとても気になっていて、今回この劇の出演者から案内を貰って、そのタイトルからして大いに期待していて、また関心と興味を持って観たが、その期待を超えるものがあり、観劇の途中で感動の涙が込み上げてきた。
 太平洋戦争における沖縄といえば、沖縄の悲劇の象徴としての「ひめゆり」がまず頭に浮かぶが、この劇ではある意味ではその「ひめゆり」とは真逆の世界を描いているとも言える。
 はじめに知らない事が多すぎると書いたが、この劇の主人公の一つである「戦果アギヤー」という盗賊集団についてはまったくの初耳であった。またタイトルの一部にもなっている主演の一人「ナツ子」も、戦果アギヤーの女豪傑で実在の人物を扱ったノンフィクション『ナツコ』(奥野修司著、文藝春秋、2007年刊)から借りてきた名前だと言うが、そんな本の名前すら知らなかった。ただ、この『ナツコ』については、政界や芸能界、経済界あらゆるい世界だと言う。ある意味では沖縄の闇の世界とも言うべきものかも知れない。
 そんな難しい「事実」をフィクションにして、ウチナーンチュウの生きざまを、あっけらかんとしたダイナミックな世界にドラマ化した、感動にあふれる舞台であった。
 舞台は戦後間もない1947年の沖縄。若い娘たちが基地の米軍に身を売る場面から始まり、その後に盗賊集団が米軍基地から盗みだした物資をリヤカーに載せてその「戦果」を誇る場面へと続く。そして、娘たちが米軍に身を任せたのは基地の警備を手薄にする手段であったことも、当の娘たちからあっけらかんと語られる。
 しかし、盗賊団が盗んだものの中に秘密の、ある重要なものが含まれていたことから、この事件は拡大していく。
 その秘密の重要な物とは、盗賊団の頭目、金城清真が盗み出した爆弾で、それは原子爆弾であった。
 清真の小学校の恩師で、今は琉球独立党の代表でもある石川先生が、その原子爆弾を琉球独立党との駆け引きの材料に利用する。
 戦争は敗者の側だけでなく、勝者の側にも悲劇はついてまわる。
 米軍のヘンデル中佐は婚約者であった恋人が沖縄戦で捕虜となり虐殺されたことで沖縄人を憎み、敵視しているが、劇の展開の中でその真相が明らかになってくる。そこで問題にされるのは、戦争における正義とは何かということであるが、戦争という名のもとに正当化すべきでないことも問われていることを改めて知らされる。今現実問題として起こっているロシアによるウクライナ侵攻がすぐに重なってくる。
 沖縄人は本土との差別を受ける一方で、彼ら自身が奄美大島の人を差別している現実を露わに表出しているのもこの劇では見落とせない重要な事実であった。被害者でも加害者でもあるという構造は、先の戦争における日本の立場と何ら異なるところがない。
 命の大切さについてもこの劇の二人の重要な人物の死によって象徴化される。その一人が石川先生、今一人が、この劇の主人公でもある金城清真の死である。二人とも沖縄の将来のことを思って、琉球独立党の主要メンバーである比嘉芳宗の身代わりとなって死ぬ。その二人の言葉が、「命は大切なもののために使う=大切な人のために使う」ものであり、比嘉が沖縄の将来にとって欠かせない人物であることを信じて二人は彼の身代わりとなる。
 一方で、米軍沖縄基地司令官のゲーリー・ブランソン中将の言動は、沖縄人を人とも思わず、殺すことになんの躊躇もしない。そんな彼が、沖縄人の誇りを殺すために、沖縄の伝統、エイサー祭りを中止させようとし、反抗する者に対しては容赦なく射殺命令を出す。
 しかし、清真たちは、祭りは自分たちの命だと考えて実行に移す。司令官が射殺命令を出したとき、清真は米軍との取引で比嘉が返したはずの原子爆弾を使って、返却した爆弾は偽物で、本物はこちらだと言って司令官たちを脅す。婚約者の死の真相を知ったヘンデル中佐は体を張って司令官の命令を阻止し、兵士たちも命令に従わず、祭りは滞りなく実施される。
舞台上で繰り広げられるエイサー踊りが圧巻で、感動的であった。
 清真が脅しに使った原子爆弾は、実はこの劇の冒頭から登場してくる漫画家の木塚修身が作り上げたハリボテであることが明らかにされるが、名前から察せられるように木塚は手塚治虫をモデルにしたものだが、彼の存在はこの劇のコロスの役割をしているようであった。それを一層はっきりさせたのが、この劇の最後の場面で、これら一連の出来事を漫画に仕立てたものが今完成し、編集者に木塚が手渡すとことで表象化される。
 沖縄の人々のあっけらかんとした生きざまの中で、それが強調されて感じたのは、この劇の主人公の一人である金城清真を演じた岡本高英のスケールの大きな演技であった。スケールの大きさだけでなく、温かく人を包み込む包容力を感じさせる演技で、彼の演技の幅の大きさに改めて感嘆した。
 もう一人の主人公であるヒロインの金城ナツ子に大橋芳枝、石川先生に東大源、比嘉に大嶋芳宗、ブランソン司令官に笠倉祥文、ヘンデル中佐に泉鮎子、漫画家の木塚修身に尾ノ上彩花など、総勢21人の出演に加えて、三線を平木裕一、胡弓を平木澄恵、笛を木村智果が生演奏。
 上演時間は、休憩なしで2時間。
 感想は、ただ、ただ感動のひとことである。

 終演後、作者で演出家の竹内一郎と直木賞作家の真藤順丈とのアフタートーク。その中で特筆しておきたいことは、劇中のエイサー踊りには伝統芸能としてのエイサーとモダン振り付けのエイサーとがあり、劇中のエイサーは伝統芸能としてのエイサーを踏まえた上でのモダン振り付けでのエイサーであることが明らかにされたことだった。また、この劇は沖縄でも上演されることになっていて、その中でエイサーは沖縄の人たちを交えての競演(共演)になるということであった。できるなら、ぜひ、観たいところである。


作・演出/竹内一郎、舞台美術/松野潤、作曲/日高哲英
7月3日(日)14時開演、紀伊國屋ホール、チケット:4000円、座席:G列8番

 

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