高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
   演劇集団ワンダーランド第49回公演 『気骨の判決』      No. 2021-020
 

 知っていて自分でも興味、関心のある人物や、これまで全く知らなかった人物など、演劇集団ワンダーランドによる人物評伝劇に取り上げられる人物の広範囲さに驚きと興味、関心をそそられながらいつもその観劇を楽しませてもらっている。
 今回はまったく知らない人物の評伝劇であったが、その内容とするところと、主人公、その周囲の登場人物を演じる俳優陣の演技に、緊張感とサスペンスを感じながら最後まで息も抜けず観劇(感激)した。
 今回の「気骨の判決」を下した吉田久のことでまず思い出したのは、ユダヤ人にビザを発行した杉原千畝のことであった。
 この両者に共通して言えることは、時の官僚の権力構造から外れた行為のため忘れられた(忘れさせられた)存在、記憶(記録)から抹殺された人物でありながら、千畝は彼に対する恩を忘れなかったユダヤ人によって発見されたが、吉田久の場合は、2008年に出版された清水聡著『気骨の判決』(新潮新書)を読んで、これは芝居になると直感した竹内一郎によって蘇らせられたと言える。
 その舞台化は、竹内一郎がこの芝居を上演できるのは俳優座しかないということで、彼の盟友川口啓史に相談して、2013年に初演されたという(竹内一郎による『「気骨の判決」小史』による)。
 そのとき吉田久を演じたのは加藤佳男で、演出は川口啓史、その川口が今回は吉田久を演じての新たな『気骨の判決』の上演である(竹内一郎は、「今回は、ガラッと主軸を変えた。まるで新作である」とまで語っている)。
 話の骨格は、大審院第三民事部長で裁判長であった吉田久が、昭和20年3月に、特高の監視や政府の圧力に屈せず、大政翼賛会による選挙妨害を違法として、戦時中に唯一選挙無効の判決を下すまでの、彼をめぐる周囲の状況の推移である。
 彼を含めて5人の裁判官の内、3人までが帝大卒で、吉田久と新たに配属された松尾浩一郎の二人が私大卒で、吉田は私大卒としては異例の出世であった。
 他の大審院の裁判ではことごとく裁判は選挙は有効として早々と判決されるが、吉田の率いる第三民事部のみ、判決が遅れている。
 時の権力に逆らい、戦争に非協力的だということで第三民事部の裁判官たちは市民たちからさえも非国民として家族にまでその迫害が及ぶ。
 この時考えさせられたのは、庶民、市民は戦争の被害者というより、権力に加担する加害者であるということである。
われわれはあの戦争を被害者の立場でのみ語ることが多いが、内にあっては大いなる加害者であったことを考えさせられる。
 三権分立、司法権の独立というものの、この劇を通して考えさせられるのは、その司法権ですら時の権力、庶民という化物に押しつぶされているという現実である。
 吉田の場合、戦争反対の立場から「選挙無効」の審議をしているのではなく、純粋に、証言者の証言の言葉の奥底まで読み込んで判断しようとする姿勢のために判決が遅れているだけで、そこにあるのは吉田の誠実さである。
 彼は、「未来への希望」をつなぐために、この判決がどうあるべきか、とことん証言を読みつくす。
 吉田の考えに同調するのは同じ私大卒の裁判官松尾だけであったが、吉田の真摯な姿勢に帝大卒の3人の裁判官も当初「選挙有効」の立場から心が揺り動かされていく。
 この殺伐とした劇の展開に膨らみとやわらぎをもたらしているのは、すべてを「だいじょうぶ!」と言って丸く収める倉多芳枝が演じる吉田の母親とその周囲の女性たちの存在である。
 そしてこの劇の緊張感を高める存在は、岡本高英が演じる憲兵司令官の東野秀哉や、半澤昇が演じる鹿児島県知事で後に警視総監となる薄井美朝。
 岡本高英が演じる憲兵司令官は、吉田と同郷の福井出身の学友で、当時の彼は郷里の偉人橋本佐内に心酔して政治家になるのを夢見ていたが、自分の理想を実現するための近道を選んだという。
 吉田を威嚇する高圧的な姿勢にはド迫力がある一方、観音様参りで身重の妻が偶然にも助けられた吉田の妻との関係で一瞬和らいだ態度となるその人間的な態度を示す岡本の演技が、脇の主人公として精彩を放っていた。
 この「気骨の判決」の判例文は戦災で喪失したと思われていたが、焼け出される前、吉田に常に同調してきた松尾が無事に持ち出していたと、劇の終わりでその判決文を高々と示す(判決文が発見されたのは事実であるが、松尾が持ち出したというのは劇としての事実で、実際にはフィクション)。
 吉田を心酔する松尾を演じる霍本晋規の演技も若々しいすがすがしさがあり、劇中の役の人物としても、見ていて心地よい気がした。
 書生が吉田に尋ねる「正義とは何か」について答える、「倒れているおばあさんがいれば、背負って病院に連れて行ってあげるようなことだ」は、抽象的な定義より、具体性のある言葉、人間味を感じさせる言葉としていつまでも心に残る。
 吉田は、好んで時の権力に逆らおうとしたのではなく、ただ実直に証言を読み込み、未来の人々が希望を見出せるようにとだけ願って真摯に判決に臨んだだけであり、その実直さは朴訥そのものであったと思う。
 このことはアフタートークで、もと最高裁判事で、弁護士でもあって、大学で直接吉田久の民法学を学んだという才口千晴が、「吉田先生の授業は単調でちっとも面白くなかった」という感想の弁にも表されているように思う。
 寡黙ながらも内に秘めた芯の強さを演じる吉田久を演じる川口啓史が好演したほか、この裁判にかかわった5人の内の残り3人帝大卒の陪席判事を、それぞれが抱えている山田久に対する屈折した心理を、山岡武一の東大、大川年男の千賀功嗣、明石健郎の茨木学らがそれぞれ好演。
 出演は、5人の判事、憲兵司令官などの周囲の人物を含め、総勢21名。
 上演時間は、休憩なしで2時間。
 終演後、竹内一郎の司会で、弁護士で元最高裁判所判事の才口千晴のアフタートークが吉田久という人物を知る上で非常に参考となった。

 

原案/清水 聡、作・演出/竹内一郎
9月10日(金)14時開演、
ラゾーナ川崎プラザソル、チケット:4000円、座席:G列7番

 

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