高木登 観劇日記2021年別館 目次ページへ
 
   劇団俳優座 No. 347公演 『戒厳令』             No. 2021-019
 

 『戒厳令』は小説『ペスト』を発表した翌年の1948年10月にフランスで初演されたナチス占領下のフランスのアレゴリーであるが、この劇で擬人化されたペスト禍は現在蔓延している新型コロナ感染と奇しくも重なる。
 最初に登場する漁師はこの劇の語り部であり、登場人物の多くは単に「街の男」「街の女」であるが、彼等はこの劇におけるコロスの役割をしているともいえる。
 舞台の場所はスペインの港町カディス、時代は語り部の漁師に言わせれば、いつの時代ともいえない。
 あるとき、夜空に大きな彗星が現れ、人々は何かの兆候かと恐れるが、街の人々から排斥されている不具者の浮浪者ナダだけが、死を恐れる人々に対して「生きることは死に値する」と言ってその前兆を歓迎する。
ナダは、否定語を表し、「無」を表してこの劇を表象化する人物ととらえることができる。
 ペストが秘書を伴って現れ、総督に市民の助命を条件に街の支配権を譲渡させ、総督は市民を放棄して早々に逃避する。
 街の支配者となったペストは、市民の登録制、外出規制、戸外だけでなく家の中でもマスク着用を義務付ける規制など、次々と新しい法令を出し、市長とナダの二人がペストの下働きとなって働くが、このことなども今のコロナ感染下の緊急事態宣言によるさまざまな規制、マイナンバー制度の奨励などを思い出させるのにこと欠かない。
 市民たち全般はコロスの役割でその人格としての表情は見られないが、ペストに抵抗する青年ディエゴとその婚約者ヴィクトリア、ヴィクトリアの父カサド判事とその妻、娘たちが唯一、生活感を体現させてこの無機質的な劇に血を通わせている。
ペストで死んでいく市民たちは、この劇をナチス占領下のフランスとして見る時、彼らはナチスに対するレジスタンスの表象として見ることができ、ディエゴはその代表でもある。
 ペストから解放されるとき=ナチスからの解放は、ヴィクトリアの命と引き換えにディエゴの命が奪われる。
 この劇は最初から最後まで息詰まるような重苦しさで頭がくらくらしてくるほどで、息を休める暇がない重い劇であった。
 この劇の冒頭と同じように、語り部の漁師が、最後にもつぶやくようにして誰にともなく語りかけるが、客席が三方から囲むコの字型の舞台では、観客がその受け手として語りかけられているように聞こえる。
 パイプを組み立てた無機質な情感を感じさせる二つの可動式階段を、場面によってさまざまな位置に移動して、劇の心象風景を形成するのもこの劇の特徴の一つであった。
 実験的ともいえるこのような劇は、稽古場ならでは可能な劇ともいえる。
 出演は、ペストに野々山貴之、その秘書に清水直子、浮浪者ナダに八柳豪、ディエゴに志村史人、ヴィクトリアに若井なおみ、カサド判事に加藤佳男、漁師に塩山誠司、総勢で16名。
 上演時間は、休憩なしで2時間10分。

 

作/アルベール・カミュ、翻訳/中村まり子、構成・演出/眞鍋卓嗣、美術/杉山至
9月6日(月)14時開演、劇団俳優座5F稽古場、チケット:5000円、座席:1列5番

 

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