高木登 観劇日記2020年 トップページへ
 
   板橋演劇センター特別企画  Vol. 2 『父と暮らせば』        No. 2020-006
 

 今年3月に公演する予定がコロナ禍で中止延期となりこの8月となったが、皮肉にも感染者数では当時よりも大幅に増加しているが、延期によってくしくも広島原爆投下の日と重なる日となったのも何かの縁であろう。
 今年75年の節目となる「原爆の日」、広島の平和記念公園での平和祈念式典は、新型コロナウィルスの感染を防ぐため規模を大幅に縮小され、参列者は800人に制限された。
 松井広島市長の平和宣言では「『75年間は草木も生えぬ』と言われた。しかし広島は復興を遂げ、平和を主張する都市になった」ことを強調する一方、国際的には核廃絶に向けた動きが不透明になっていると指摘し、日本政府に対しては「被爆者の思いを誠実に受け止めて核兵器禁止条約の締結」を求めたが、参列した安倍首相の挨拶は「非核三原則を堅持しつつ、立場が異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促す」と述べるにとどめ核兵器禁止条約そのものに言及しなかっただけでなく、数日前の「黒い雨」による健康被害の訴訟判決への控訴についてもその判断を明らかにせず、原告側の被害者を落胆させた。
 湯崎広島県知事の挨拶では「毎年毎年、原爆投下と同じ年をとってきたわけですが、ヒロシマの願いがどんどん遠のいているような気がなりません」と語られたが、その思いはつのる一方である。
 観劇の感想より先に前口上のほうが長くなってしまったが、この日の公演では今年70歳を迎えるという遠藤栄蔵が、マエセツで両親や祖父母が語った戦争の話や、広島で亡くなった演劇人「桜隊」の追悼式に参列した模様が語られた。
 『父と暮らせば』は、こまつ座での公演でこれまでにも3回ほど観ているが、初めて観たのはこまつ座の4度目の再演となる1997年8月16日、大田区民プラザで、演出は鵜山仁、出演はすまけいと梅沢昌代で、94年の初演時からの同じ出演者であった。
 板橋演劇センターでは、『父と暮らせば』を30年前から公演してきたということで、この日はコロナ感染の心配で今回出演予定のM嬢が自粛されたということで、美津江役を30年前に初演で演じた酒井恵美子が変って演じることになったことが遠藤氏からマエセツでなされた。
 コロナ感染の前は40名の限定座席での公演予定をしていたというが、コロナ過で20名に縮小した上、さらに厳選してこの日の観劇者は自分を含めての11名であった。
 これまで観てきたこまつ座の舞台とは異なり、今回初めて朗読劇で観劇することになったが、舞台劇とは異なり「前口上」から「ト書き」の一字一句までを丁寧に朗読しての上演は初めてであったので、井上ひさしが情景を含めて内的心情まで詳細に描き出しているト書きを朗読することによって聴く者にすべてが想像に任されることになり、これまでとは違った新鮮味を感じた。
 特に出だしの「前口上」の冒頭、「ヒロシマ、ナガサキの話をすると『いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あの頃の日本人はアジアにたいしては加害者でもあったのだから』と云う人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域では日本人は加害者だった。しかし、前半の意見にたいしては、あくまで『否!』と言いつづける」以下の台詞は耳で聴くと一段と鮮烈であった。
 しかしながら井上ひさしの叫びは、為政者の耳には遠のいていくばかりの式典の挨拶を思うと、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
 舞台では見慣れている光景を、朗読でその場面を想像しながら観る(聴く)のはまた一味違い、声の響きによってその場の後継の生々しさを一層強く感じさせられた。
 それはひとえに竹造を演じる遠藤栄蔵の感性による朗読力によるもので、後半部で美津江が竹造を見捨てざるを得ない場面と、美津江を演じる酒井恵美子の悲痛な叫びに涙を抑えることが出来なくなった。
 この劇でいつも最後にほっとさせる場面は、美津江が舞台上では登場しない木下さんの愛を受け入れることを暗示させるオート三輪の音と、美津江がゴボウを削ぐ音が聞こえるというト書きの台詞で、それでこの重い内容の舞台がふわりと和らげられる思いがして救われる。
 特筆されるべき一つに、この朗読で重要な役目をしているのは、場面の移り変わりの節目での堀内宏紀のピアノの生演奏で、心の底に沁み通る深い思いに浸された。
 上演時間は、1時間20分。
 心に深い感動を詰め込んで、舞台を後にした。


作/井上ひさし, 演出/遠藤栄蔵、ピアノ演奏/堀内宏紀
8月6日(木)15時開演、板橋区立文化小ホール(ステージ・オン・シアター)


>>別館トップページへ