高木登 観劇日記2020年 トップページへ
 
   劇団月のシナリオ公演 『燃える嘘 燃えない嘘』           No. 2020-005
 

~ 「ゴミ」&「普通じゃない」、「林檎曼陀羅」 ~

 3つの小説を一つに構成し、この3つの小説をつなぐキーワード「ゴミ」の「燃えるゴミ 燃えないゴミ」をもじった『燃える嘘 燃えない嘘』をタイトルにしたチラシのマスクをしたモナリザの絵がこのコロナ禍の状況下を表象する。
 ゴミ収集が有料化される前、ゴミ袋が黒いポリ袋だった時代があるが、その黒いゴミ袋が舞台上に山積みされている。
 分別ゴミ以外のゴミの入ったゴミ袋(しかも、黒いポリ袋ではないゴミ袋)を持った若い女性が観客席の通路を通って舞台に上がり、そこで両手に持ったそのゴミ袋を棄てるところから始まる。
 と、そのゴミの山の中からいっせいに人が飛び出し、分別ゴミ以外のゴミを棄てた女性を責め立てる。
 この短い場面の宇野イサム作の『ゴミ』が、そのまま続いて沼田まほかる作『普通じゃない』のミステリー的な内容へと展開されていく。
 『普通じゃない』では、集合住宅のゴミ捨てを管理する初老の男性萬田さんが分別ゴミの管理をしていて、捨てられたゴミ袋を一つ一つ開けては点検している。
 そのゴミ漁りをする萬田さんを嫌悪している女性の島さんが彼に殺意を抱いていて、入念な計画をもって実行するというミステリーだが、この終わり方が喜劇的である。
 沼田まほかるはイヤミス(読んだ後にイヤな後味が残るミステリー)の女王とも言われているということであるが、この劇の終わり方はむしろ喜劇的(あるいは悲喜劇的)に感じられた。
 ゴミ捨てに関しての集合住宅の集会後、帰路の階段に紐を張って萬田さんをその石段から落とす計画であったが、萬田さんは、ゴミ捨てのことで彼に根を持った女性が投げたハイヒールを避けた拍子にその石段から落ちて死んでしまう。
 島さんは労せずして殺害の目的を達して、必要のなくなった証拠になる紐を手元に手繰り寄せる。
 紐の長さは彼女の計算では手元に手繰り寄せるまで計算では2分半かかる筈であったが実際には時間がかかり、なかなか手元に引き戻せないでいる。
 すると、ハイヒールを投げた女性が何かがこちらに向かって近づいてくると悲鳴のような叫び声をあげる。
 島さんが紐を引っ張る手に何か抵抗感を感じるが、そのうちに近づいてきた物の正体が明らかになる。
 それは、階段から転げ落ちる瞬間、萬田さんの口から飛び出した入れ歯であった。
 第一部の舞台はこの場面で終わる。
 ここから先を書くのは蛇足以外の何物でもなく興を殺ぐことになるが、紐を巻き終える前に集合住宅の住人の一人が携帯で呼んでいた警察が到着して、実際には事故だったものがその紐が証拠となって島さんが逮捕されることになるのではないかということを予兆させる終わり方である。

 休憩後の第二部は、同じく沼田まほかる作の『林檎曼陀羅』。
 痴呆症の症状が出始めているらしい「母」が、長いあいだ隠していた物を探し出して処分しなければならないと、棚の物を次々と取り出していき、それがゴミの山となるところが他の2作とつながる。
 はじめは何のためにそんなことをしているのか分からないが、時間が交錯して彼女の姑が行方不明になって戻って来ない話となり、彼女の息子が嫁を連れて来るが、彼女はその嫁を息子の前妻と間違えた名前で呼ぶ。
 彼女の時間はどうやらそこらあたりで止まっているようだ。
息子が卒業して就職も決まり、彼はそのお祝いの集まりに車を置いて出かけるが、その時から姑は行方不明となる。
 姑は息子が車を止める際にバックにいる姑に気づかず轢いたようである。
 母は横たわる姑の眼を見てそのまま殺してくれというように感じ取り、その事故が息子の就職に差し障りとなってはいけないという気持ちもあって姑を絞殺する。
 その時姑が手にしていたのは、姑が自分の息子が幼い時に彼の為に編んだ青いセーターの布を使ったバッグであった。
 そのバッグに血がついていたことから、母はその布バッグを箱に入れて棚の奥深いところに隠し、姑の死体を細かく切ってゴミ袋に入れ、何回にも分けて捨てたのだった。
 こういった一連の出来事はすべて断片的に、時間を交錯して母から語られるために、どこまでが真実なのか判別しがたい。
 母はついにその証拠となる布を入れた箱を見つけ出す。箱には元の形をした布はなく、風化した布切れとなっており、母の心配は杞憂に終わる。
 しかし、母は、探し出すために取り出したゴミの山の中に倒れこみ、林檎の夢を見てそのまま息絶え、真っ赤な林檎がいくつもゴミの山に赤く照り輝いている。
 この舞台も、母が姑を殺した証拠を残すまいとしたことで自分の死を招く重い喜劇(あるいは悲喜劇)といえ、後味の悪い終わりを示す。
 整理して書いてしまうと話がまとまっているようであるが、実際にはどこまでがはっきりしているのか判別できないところが、イヤミスとされるゆえんかも知れない。
 モナリザのマスクはコロナとともにあのミステリアスな笑いを隠したものか?!とも思ってしまう。
 構成、演出上の特徴としては、『普通じゃない』の主要人物「島」さん、そして『林檎曼陀羅』の「母」の役を、ともに5人の俳優が演じ、上手、下手、中央に3人が一人の島さん、母を演じ、中央の島さん、母を残し、上手と下手のどちらも途中で交代して、都合一人を5人で演じるという構成になっている。
多くの出演者が登場して3密になる場面はフェイスシールドをつけ、そのほかの場面ではソーシャル・ディスタントを守っての演出の工夫がなされていた。
 イヤミスといわれるだけあって、観劇後の感想は腹の底に何か重く残っているようで、晴れ晴れしい気持ちにはなれないものの、重厚な感じがする舞台であった。
 今回の上演は、自分が観劇したのは「静かの海」グループによるもので、この日の16時からの部では出演者が入れ変っての「虹の入江」グループの2ステージ公演。

 

「ゴミ」(作/宇野イサム)、「普通じゃない」「林檎曼陀羅」(作/沼田まほかる)
構成・演出/清家栄一、「静かの海」グループの部上演
7月12日(日)11時30分開演、座・高円寺2、座席:D列14番

 

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