高木登 観劇日記2020年 トップページへ
 
   アブラクサス 18th 『タブーなき世界 そのつくり方』
   「ヘレン・ケラーとアン・サリバン 2人が起こした奇跡、その先に開いた世界」
  No. 2020-002
 

 2018年9月に同じ作品を『OPTMISM』というタイトルで観劇しており、その時のサブタイトルには「明日は今日より美しい。明後日は明日よりも美しい。楽天主義はそう信じている」というヘレン・ケラーの著書の言葉を引用していた。
 今回はヘレン・ケラーを演じる羽杏以外のすべてのキャスト・出演者が変わっているだけでなく、登場人物も二人増え、前回ヘレンの母親ケイトを演じた星野クニがケラー家の黒人女中ヴィニ―を新たに演じ、それに自警団のミゲール・モーゼルという人物を加え、前回より劇の展開に膨らみをもたせていた。
 羽杏と星野クニ以外の出演者は全員前回とは入れ替わっている。
 今回は、二度目の観劇ということもあって前回より印象が強く感じられたのは、この舞台の始まりが南北戦争が終わって20年が過ぎ、南部が疲弊した時代であることと、黒人を人間扱いしない南部の人間たちの差別意識、そして何よりも強烈に感じたのは、障害者を「非生産的」と呼ぶ言葉であった。
この言葉は、シチュエーションは異なるが、最近、我が国の国会でも自民党の某議員が発言した言葉だけに印象強く響いた。
ヘレン・ケラーの後半生は差別との戦い、障害者への偏見と差別、黒人を人として見なさない差別、搾取される労働者への共感と応援、このような考えは社会主義者として赤のレッテルがはられ、国家の敵とみなされ、攻撃された。
白人にとっては黒人は人間以下の存在で神からも見放された存在でしかないという考え方に、神という問題も新たに感じさせられた。
 特に黒人への差別意識は、ケラー家に黒人で奴隷扱いの女中ヴィニ―を登場させたことで、いっそう可視化されその印象をさせる効果があった。
 異母兄のシンプソンはヘレンを邪魔者扱いにして施設に入れることを主張していたが、サリバンによってヘレンが指文字でしゃべることを覚えると、彼もいつのまにか指文字を覚えてヘレンへの理解を示すようになるが、この細やかな変化は、今回二度目の観劇ということもあってか、感動すら覚えるものがあった。
前回の観劇ではそこまで読み取れていなかったというのが正直なところである。
前回のタイトル「楽観主義」では、ヘレンの差別主義に対する戦いが社会主義者に通じるということで、中傷や攻撃にさらされてもそれに屈することなく自分を貫く姿勢を前面に押し立てた演出とすれば、今回のタイトル「タブーなき世界」は、社会主義などというタブーのレッテルにも屈せず、差別なき新しい社会を作ろうとする姿勢を前面に押し立てた演出といえよう。
 障害者に対する差別、偏見、それに「非生産的」という考えは、我が国に身近に起こった事件をみても、いっこうに変わっていないことを伺わせる。
 そういった意味でも、この劇の再演、再再演という上演には意義深いものがあると思うだけでなく、今後もこの劇団の財産として繰り返し上演されることを期待したい。
 また、今回は単なる繰り返しでなく、そこに新たな登場人物を加えることで、これまでとは違った側面を浮かび上がらせているという点において大きな効果を感じた。
 単に登場人物が増えたからというわけでもないだろうが、上演時間も前回の2時間10分から2時間20分と少し長くなっていたが、少しも長いとは感じず、あっという間に終わったという感じであった。
 前半部の、ヘレンとサリバンの壮絶なバトルは今回も見応えのある迫真の演技であった。
 羽杏と星野クニ以外の出演者は、アン・サリバンに松本紀保、ヘレンの母親ケイトに鯨エマ、父親アーサーとミゲール・モーゼルの二役を小笠原游大、異母兄シンプソンに斉藤悠、チャールズ・キャンベルとサムの二役を江刺家伸雄、ピーター・フェイガンを伊吹卓光。総勢8名。
 上演時間は、休憩なしで2時間20分。


脚本・演出/浅野倭雅
2月15日(土)14時開演、新宿/サンモールスタジオ、座席:C列8番


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