高木登 観劇日記2020年 トップページへ
 
   メメントC+「太平洋食堂を公演する会」による『太平洋食堂』      No. 2020-016
 

 初演を観たのは2013年7月、場所は同じく座・高円寺1の劇場でのプレビュー公演であった。その後15年に再演されているが、その時は見逃していたので今回の上演を楽しみにしていた。
 観劇当日にもらったプログラムには、作者嶽本あゆ美の「再々演開店とダイレクト・アクション、そして閉店の辞」としての挨拶文に今回が最終上演と書かれているのを見て、このコロナ感染急拡大の中で無事観劇できたことが何より嬉しかった。
 主演の大星誠之助を演じる間宮啓行は7年前に見た時の印象と全く変わっていないように見え、溌溂としていた。
 前半部はいい意味での雑駁さが感じられたのが前回と異なる印象であったが、前回の感想を記録していないので思い違いかも知れない。
 「太平洋食堂」の名前の由来を披露する誠之助の台詞に、あらためていろいろな事を気づかされ感じさせられた。
 和歌山県の新宮市(この劇ではN町とされている)は、太平洋に面していること、そして誠之助はその太平洋の向う側のアメリカで医学を学び、ドクターとして故郷で開業し、心機一転、ドクターから食堂を開いて、その開店祝いに四民平等の精神から、N町の住人の各層の代表を招く。その中にはこれまで賤民として差別されてきた新たな呼称の「新平民」も混じっている。町の有力者たちは不浄な者のように彼らを忌避するが、誠之助は「太平洋食堂」のルールとして彼らを受け入れさせる。
 作者の挨拶分の中にこの「新平民」を差別用語の別称として使われてきた経緯から、この言葉を残すことについてわざわざ断りを入れている。この頃ではやたらに差別用語ということで制約が多くなってきているが、時代の鏡、証拠として、創作作品の中では差別を目的とするものでない限り、寧ろ残すべきだと思っている。変に窮屈な時代になっていることが嘆かわしい。
 話は少しわき道にそれるが、差別の歴史を風化させないためにも歴史の事実を残す意味でも、差別用語とされている言葉をある意味では積極的に残すべきだと思っている。たとえばこの「新平民」という言葉の背後にある歴史的事実を今どれだけの人が知っているであろうか。おそらくほとんどの人が「差別用語」だということすら気づかないことだと思う。しかし、そういう事実、時代があったのは「事実」である。
 前回の感想では、今回も同じ役で出演している浄真寺の住職高萩懸命を演じる吉村直の演技もよかったと記しているが、今回も同じく強い存在感を示していて、この劇の奥行きを深めていた。
 今回の上演に当たっては、大逆事件裁判の平出修弁護士の最終弁論を、平出修全集から取り、その上で内容を一部カットし、法律用語を現代にも通じるように変更を加えているということであるが、その平出弁護士を演じたのは劇団AUNの斎藤慎平は劇団AUNの俳優らしい清明で朗々と響く声が強く印象的であった。
 今回幸徳秋水を演じたのは劇団東演の南保大樹であったが、これまでにも彼の演技を東演の公演でも見てきていながらうかつにも彼と気づかなかった。
 出演は他に、誠之助の妻ゑいに明樹由佳、筏乗で活動家の成田に文学座の粟野史浩、明治学院の学生、後にN町の牧師沖田に清原達之、警察署長の金田に佐々木梅治、N町の町会議長春田に清田正浩など、総勢20名。
 演劇はプロパガンダに終わってはならないと思うが、警鐘の魁とはなるべきだと思う。
 このような重厚な劇がもっと、もっともっと上演されることを願ってやまない。
上演時間は、途中10分の休憩をはさんで3時間15分。

 

作/嶽本あゆ美、演出/藤井ごう
12月4日(金)13時開演、座・高円寺1、チケット:5000円、座席:G列10番


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