高木登 観劇日記2020年 トップページへ
 
   文学座公演 『五十四の瞳』                 No. 2020-010
 

 月並みな表現だが、悲しくも切ないなかにユーモラスな笑いを含んだ、悲しくはあるが明るい悲劇。
 語り部である主人公が劇の終る前に死んでしまうということで、エリザベス朝シェイクスピア劇風に言えば悲劇であり、悲劇の中にも笑いがあるということで立派にシェイクスピアである。
 作者鄭義信のドラマは彼の作品で初めて観た『焼肉ドラゴン』でその強烈なマグマを感じたが、この劇にもそのマグマがグツグツと感じられた。
 タイトルの『五十四の瞳』からみて27人の卒業生の物語かと思っていたが、それは劇の半ばのなかでの朝鮮人初級学校の生徒の数で、物語はこの初級学校の卒業生4人を中心にした20年間にわたる友情物語であった。
 五十四の瞳というのは、ヒロインのカン・チュンファ女教師が受け持った朝鮮初級学校の一番華やかであった時の生徒の数を象徴してのタイトルではないかというのが、劇を観終わっての感じであった。
 舞台の背景は、作者が生まれ育った姫路から船で1時間ほどの兵庫県の家島群島の一つ「西島」。
家島は現役時代、仕事でその採石場に何度も通ったことがあるので懐かしく思い出された。
家島は今日でもこの劇にもあるように島全体が採石場といってよく、島の産業は砕石業で成り立っている。
 時代背景が自分の幼年時代とそのまま重なり、自分が生まれ育った北九州という地が韓国から近いということもあって在日や朝鮮人は日常的な光景でもあって、非常に近しい問題として感じられた。
 その問題を肌で感じさせられるものと、歴史として知らない事実を多く学ばされる劇でもあった。
 劇は、主人公たち4人のチング(友達)が中学生で15歳の1948年(昭和23年)、「朝鮮人学校設立の取り扱いについて」という日本政府の通達を受け、兵庫県知事が学校閉鎖を通告した時代から始まる。
 しかし、西島には日本人のための学校はなく、あるのは「家島朝鮮初級学校」のみで、語り部で主人公の日本人吉田良平をはじめ、島の日本人はこの学校に朝鮮人と一緒になって学んでいて、廃校となるのはこの劇の終りの20年後である。
 島は砕石業で成り立っていて、そこには日本人、朝鮮人の区別はなく、主人公のチングもみな朝鮮人である。
 しかし、民族に対する偏見は心の隅のどこかにある。
良平は朝鮮人の女教師カン・チュンファとの結婚を望むが、母親の反対で最後まで結婚できないのは、国籍の問題だけでなく、7歳も年上ということと、夫を亡くして苦労して女手一つで育てた一人息子を盗られるという屈折した心理もより強く含まれてのことではあると思う。
年上の教師に恋するというのは、どこにでもあって身近な問題でもある。
 この劇の発端の年には、大韓民国の韓国と朝鮮民主主義人民共和国の北朝鮮とに民族が分断され、その2年後には朝鮮戦争が始まり、良平のチングの一人、オー・マンソクが志願して参戦し、終戦後もその行方は知れないままとなる。
 良平は砕石の仕事に就き、発破の事故で巨岩の下敷きとなって命を落とす。
 残されたもう一人のチングである採石業の社長の息子ホン・チャンスは、親に反発して家業を継がず、島を出て姫路で教師となり、同級生のキム・クジャと結婚する。
 家島朝鮮初級学校には今や生徒二人を残すのみとなり、いよいよ廃校となる日、ホン・チャンスは身ごもった妻キム・クジャと一緒に姫路から島に戻って来て、二人が一緒になったことを父親に告げる。
 すると父親のホン・グァンスが照れ臭そうにもじもじして言い出せないでいる。良平の母親ミツコが、グァンスに代わって自分たち二人も一緒になったと告白する。
 主人公の死と、最後に結婚の話で終わるスタイルからすれば、シェイクスピア劇風にいえば「ロマンス劇」であると言ってもよい。
 この劇を明るく笑い飛ばさせてくれるのは、キム・クジャを演じる頼経明子の演技が一番大で、大いに笑わせてくれた。それにホン・グァンスを演じたたかお鷹、そして主人公の母親ミツコを演じた山本道子が、その笑いの中に滋味深さのほろりとした人情味を注いだ。
 出演は、ほかに朝鮮人学校の先生ユ・インチョルに神野崇、ヒロインでインチョルとの恋人関係にあった補助教員カン・チュンファに松岡依都美、良平のチング、オー・マンソクに杉宮匡紀、ホン・チャンスに川合輝祐。総勢8人。
 上演時間は途中15分間の休憩をはさんで、2時間45分、心が熱く燃える劇であった。


作/鄭 義信、演出/松本祐子、美術/乗峯雅寛
11月6日(金)18時30分開演、紀伊國屋サザンシアター
チケット:4500円、座席:6列8番、パンフレット:500円


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