高木登 観劇日記2019年 トップページへ
 
   『ザ・グレイト・ギャツビー・イン・トーキョー』       No. 2019-006
 

観劇するにあたって35年ぶりに'The Great Gatsby'を読み返してみた。
毎夜のように催されていたギャツビーのパーティーに参加していた連中のただの一人も彼の葬式には出席せず、商売仲間ですら顔を出さなかったという結末に感じたのは、シェイクスピアの『アテネのタイモン』だった。
この劇のタイトルには原作にはない「イン・トーキョー」があるように、場所をニューヨークから日本の東京に移し、ギャツビーの邸宅は田園調布に設定されているが、劇を観終わった感じではことさら「東京」とする必然性も無いように思われた。
しかし、原作を読んだときには見えなかったものや、原作で自分が感じたニュアンスとも異なった新たに見えた発見もあり、興味深く観ることができた。
その中の一つとして、ギャツビーの商売仲間ウルフシャイムを通して語られる「友人であるのは生きている間だけだ」が強く心に残った。
舞台は、これからショーでも始まるかのように、ギャツビーの邸宅での歌やダンスが催される華やかなパーティーの場面から始まる。
語り手のニックがギャツビーの招待で初めてこのパーティーに招かれるが、このパーティーの前段がこの場面の後あって、その後再びこのパーティーの場面がそっくり同じに再現される。
正体不明の大富豪ギャツビーが、ニックが一人で住む家の隣りに移り住んできたのは実は周到な計画があってのことで計算づくの事であったが、このドラマの興味はそれが明らかにされていく過程での伏線の面白さにある。
読後感ははじめに書いたように、ギャツビーがアテネのタイモンに感じられたことであるが、この劇の構成をみて感じられたのは、語り手(あるいは語り部)としてのニックがギャツビーの真実を語るという点において、ハムレットとホレイショーの関係として捉えることができるということであった。
ギャツビーの人物造形として、彼がニックをはじめ相手に語りかける最初の言葉が常に「友よ」であることで、この言葉が強調されることで返って彼には「友」がいないことを感じさせ、予兆させるが、結末はまさにその通りであった。
そのニヒルな虚無的なギャツビーを演じたのはGOHIRIS WATANABE。
今回の公演ではキャストはすべてダブルキャストで、WhisperとStarlightの2チームによる上演で、自分が観たのはStarlightの組で、ニックには山口賢人、ヒロインのディジーは愛花ちさき。
この劇を案内してくれたやなぎまいはミス・ベイカー役であったが、ベイカーに対して自分が描いていたイメージにピッタリはまって適役で、非常に良かったと思う。
主役をはじめ知らない俳優ばかりの中で、ダンサーの佐々木健が、やなぎまいを除いてただひとり知っている(これまで他の舞台で観たことがあるという意味で)出演者だった。
上演時間は、途中休憩10分間を挟んで、2時間20分。

 

原作/スコット・フィッツジェラルド、脚本・演出/野口大輔
3月16日(土)12時開演、DODO 青山クロスシアター、チケット:(A席)6000円(自由席)


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