高木登 観劇日記2019年 トップページへ
 
    世界でいちばんちいさな劇場  No. 74  
   吟遊詩人・条田瑞穂の連続創作詩劇朗読         
No. 2019-017
 

第一部の最初の詩「蝸牛(かたつむり)」では、朗読者条田は登場しないまま、共演者立岩潤三のパーカッションが、この詩の長さだけの独奏が序奏として延々として続く。
 「蝸牛」はこれまでにも何度か聴いているので、そのパーカッションの演奏で、この詩の世界のイメージが脳裏に浮かんでくる。
 その長い演奏の後、この詩の朗読を聴いていると、不思議な事に初めて聞くような詩の世界が広がってきて、この詩が書き改められたかのような印象すら覚えた。
 これまで聞いてきた自分の印象では、「地雷」を表象する直接表現はなかったように思えたのが、今回は初めの部分から地雷で両手両足を失った少年のことが直接的に語りかけられてきて、最後の「少年は静かに眠りにつく」というフレーズが少年の死をはっきりと感じさせるまでが短く感じられたのが不思議であった。
 2番目の「宇宙鳥~白い翼のニケ~」は、条田の永遠のテーマである「旅」と「砂漠」で、砂漠に落ちた星が再び天空へと放擲され、宇宙の縁に激突し、光の消滅が地上に流れ、そして流れ星となり、闇の中、永遠の縁への旅を続ける。
 3番目の「五月に~タゴールに捧ぐ~」は、百年前に生きた詩人の詩を今読んでいる自分の詩を、次の百年後に誰が読んでくれるであろうかという詩で、悠久の淋しみを感じさせる。
 4番目の「母子像~Mに~」は、立派な骨であった条田の母の骨の思い出が交錯する詩。
祖母の死で、その骨壺を抱きかかえた母とその娘が歩いて行く。
その道は無限に続く道で、骨壺は次第に重くなっていき、母と娘がかわるがわるに抱きかかえて歩くが、次第に手がしびれ、骨壺はなおも重く、重くなっていく。
母と娘は、細い光る道を、ただ黙って歩き続けていく。
この「骨」の詩は、第二部の「光る骨」へとつながっていくが、5番目の「かむろ坂」の朗読の前に、条田の骨の思い出が語られる。
 「かむろ坂」は、東京新宿のかむろ坂とその近くにあった池についての「いわれ」を読んだことで書かれた詩で、底地にあった遊郭に、全国から売られてきたかむろたちが、月に二度だけその池で水浴びをさせえてもらったという。
 時は流れ、東京はすさまじい再開発で、今はその池も埋められてなく、かむろ坂という名前だけが時代の名残りを伝えている。
そこには、時代の存在を否定する再開発への条田の怒りと憤りの声を感じさせるものがある。

 10分間の休憩を入れて、第二部へと移る。
「光る骨」を初めて聴いた時、パリの街を走る四頭立て場所の車輪の響きから、辻邦生の小説の世界を連想したものだった。
1995年4月20日、世界偉人記念館に移されるために掘り起こされたマーニア・サロメ・スクロフスキの骨の話で、ポロニウムとラジウムを発見したことから彼女の骨は「光る骨」として表象される。
キューリー夫人という一般に知られた名前ではなく、マーニア・サロメ・スクロフスキと呼ぶことで、幽遠なイメージの世界が広がったのが記憶に懐かしく残っている。
「青いライオン」は、老いたライオンとジプシー女が月の明かりの砂漠の中で座っていて、ライオンとジプシー女は同じ夢―記憶の夢を夢見ている。
条田のテーマの中核をなす砂漠のイメージが月の青白い光の中に浮かんでくる詩である。
次の「パンドラ」と「カサンドラの予言」の2作は、続けて聴くことによって、パンドラの筐として関連したイメージを持つ、対をなす詩といってもよい。
「パンドラ」では春、夏、秋、冬が語られ、それぞれの季節の中で「わたしの名前はあなたの希望」というフレーズが繰り返される。
「カサンドラの予言」では、自分を愛するアポロンから予言する力を与えられたカサンドラは、やがて捨てられることをその予言の力で知ってアポロンから逃げ、そのためアポロンは腹いせに彼女が語る予言は真実であるが誰も信じないということを付け加える。
そして、パンドラの筐が開けられ、世界中にある原子炉が爆発し、地球が死の星と化すことが語られる。
あなたはこの話を信じますか!という条田の問いと怒りが底に秘められているのを感じさせる。
この日最後の詩は「砂の揺りかご」。
条田が24歳のとき、母の死で彼女は生きる力を失い、砂漠を旅することで生きる力を取り戻す。
長い歴史の中で部族間の争いで滅んでしまった村々、今、その砂と風の村では、男たちは出稼ぎでいなくなり、残された女たちは、水を汲むために長い、長い道のりを、頭に壺を載せて延々と歩き続ける、その長い列。
砂漠は夢見る―蜃気楼と駱駝の隊商の行列。
砂の重い悲しみ。砂漠の砂たちの慟哭。
そして、砂漠に眠る骨、骨、骨。砂漠にも朝がきて、太陽の船が迎えにやって来る。
この日の連作詩は、さまざまな楽器を駆使しての立岩潤三のパーカッションの演奏が、詩情をわきたたせ、旅と砂漠、そして母の思い出と骨の光りが主旋律となって連環する。
いつものことながら、何度か聴いている詩が、演奏する楽器、共演の演奏者の演奏によってまったく新しくよみがえるのを聞く楽しみと喜びを感じさせてくれる。
次回7月12日の尼理愛子の琵琶と大石俊太郎のサックス演奏という異色の組み合わせでの朗読、どんなものになるのか、今から楽しみで待ち遠しい。


作詩・朗読/条田瑞穂、共演(パーカッション演奏)/立岩潤三
6月14日(金)19時開演、阿佐ヶ谷・喫茶ヴィオロンにて、料金:1000円(ドリンク付き)


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