高木登 観劇日記2019年 トップページへ
 
    世界でいちばんちいさな劇場 No. 75
   吟遊詩人・条田瑞穂の連続創作詩劇朗読     
         No. 2019-012
 

共演者はアコーディオン演奏者の伊藤ちか子。
詩の朗読ごとにアコーディオンの伴奏の入り方が異なり、これまで何度も聞いたことのある詩が全く異なった新鮮な気持で聴き入ることができた。
最初の「金色のワルツ」では、詩の朗読が始まってしばらくの間、アコーディオンは沈黙したままであったが、満を持したところで演奏が入り、アコーディオンの音に吸い込まれるようにして詩を聴き入った。
アコーディオンの演奏の間、時に詩は沈黙し、アコーディオンの音色のみが心に哀しく沁み透る。
「満州の夏」の朗読ではまったく演奏されなかったかと思えば、最後の朗読「老婆の休日」では詩の朗読の始まりから演奏されるという変化に富んだ演奏で、アコーディオンの演奏自体に詩的な瞑想を誘うものがあった。

この日の詩の朗読は、第一部、
(1)「金色のワルツ」
月の光を浴びて、ありったけの哀しみと愛を込めて自分の影と踊る老女のワルツ。
サーカスのピエロのように淋しく悲しい老女の一人踊り。
ルーラッタ、ルーラッタというリフレインが哀しく心に響く。

(2)「歌う川―祖母(さらに~)」
「金色のワルツ」と同じく、アコーディオンの演奏は暫くの間沈黙が続く。
演奏が始まると、アコーディオンの音色によってドキュメンタリー映画のイメージがふつふつとわいていく。
詩は、2014年、ドキュメンタリー映画を観た作者が映画館のロビーで書いたものを、5年がかりで2014年に完成させたもの。

(3)「メビウスの輪」
天上から吊り下げられたマリオネットのメビウスの輪。
呪文のようにマドリカルを踊る、タカタン、タカタンというぎくしゃくした音色が哀調を帯びたアコーディオンのの音で一層哀しく響いてくる。
マリオネットは天空に逆さまにぶら下げられ、世界が反転する、
わたしは、だあれ?ここは、どこなの?― 聞こえない音に引きずられ・・・
メビウスの輪は今日も晴天、の言葉が鋭角に耳を貫く。

(4)「甘い孤独」
夏の日、蝉時雨。
蝉は土の中で7年、約束の日が来て、輝く夏の日の中に、7日間という限られた時間を生きるために、鳴き叫びながら、今日、地上へと旅立つ。
地上へ、地上へと、天空に入るために昇る、昇る ― そして飛ぶ。
地中では小さな虫を食らっていた蝉の幼虫が、7日間の命を終えて力尽きて地上に落ちると、蟻の群れがその亡骸を食らう ― 食物連鎖。
夢のかけらの中で、都会は悲しみに満ちている。

第二部、
(1)「銀の月」
銀色の月が照らすイメージが飛翔する。

(2)「蝸牛(かたつむり)」
アブード・ハッサン、9歳、シリアの少年。
故郷は戦火にまみれ、少年は森の中を、ずっと、ずっと駈け続ける。
目覚めた時、目の前をカタツムリの一団が延々と通り過ぎていく。
詩が沈黙し、アコーディオンの音色がその沈黙を悲しみで満たす。
少年は手を挙げようとする。
しかし、少年には両手がない。
立ち上がろうとするが、立ち上がれない、少年には両足がない。
森の中を逃げる時、地雷を踏んでしまったアブード・ハッサン、もう、走らなくてもいいんだよ。
きみは、蝸牛よりものろくて・・・・

(3)「満州の夏」
条田瑞穂は、1945年8月6日、満州国東北省で生まれる。
生まれた日、広島では原爆が投下され、生まれて3日後の9日、長崎に原爆が落とされた日、その同じ日に、ソ連軍の満州侵略で、生後3日の条田の逃亡の旅が始まる。
母親と叔父に守られ無事日本にたどり着くが、父親の仕事の関係で3年ごとに転校を繰り返す。
満州国からの逃亡の旅と、繰り返す転校先では「引揚者」と呼ばれ、条田の旅の原点に旅があることを伺わせる。
条田は、一千一秒の眠りを眠り、もう夢はいらないと沈黙の叫びをあげる。
この詩の朗読の間、アコーディオンの演奏はまったくなく、乾いた空気が緊張感を高める。

(4)「老婆の休日」
朝、目覚めたら、わたしは老婆になっていた。
洗濯機の中になぜか、キャベツがある。
冷蔵庫の中は、腐ったものでいっぱい。
自分が誰なのかもわからない。
かなしくもユーモラスな老婆の休日。
人生てまんざら捨てたものでもない、という老婆の開き直りともいえる言葉に、潔さを感じさせるものがある。

 

5月10日(金)19時開演、阿佐ヶ谷・喫茶ヴィオロンにて
料金:1000円(ドリンク付き)


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