高木登 観劇日記2018年 トップページへ
 
   川和 孝 企画公演 第46回名作劇場、日本近・現代秀作短編劇100本シリーズ
   No. 93 阿木翁助作『長女』 & No. 94 深澤七郎作 『木曽節お六』
    No. 2018-009
 

No. 93 阿木翁助作『長女』(1947年発表)

村祭りの日の夕刻の数時間の出来事で、妻を亡くし、男手一つで娘3人を育ててきた小学校教師の父親と次女の結婚話が引き起こすちょっとした波乱の一幕劇。
この日次女が父親と口論となって家を出たきり戻って来ないので長女が心配するが、父親は捜しに行く必要はないと突き放す。父親から村祭りに行ってくるよう言われて、長女は三女と一緒に出掛けようとした矢先に次女が恋人に付き添われて戻ってくる。次女の恋人は父親のかつての教え子で、事情を話した上で父親に正式に結婚を申し込むが返事は保留されそのまま引き下がるが、次女は部屋に閉じこもってしまう。
一人で所在なくしているところに同僚の教師岡田が、家族が祭りに出かけてしまったのでと言って、教え子からもらったというウイスキーを持って来て二人で酒を飲み交わす。
岡田が、宮沢賢治の詩にある「一日に玄米4合と味噌と少しの野菜でいくらかかると思います?」と尋ねる。彼はざっと計算して、配給米と闇米の値段、それに家族5人だと一人1日4合で味噌と野菜で月4千円はかかるという。当時の物価と教師の給料だと賢治の言う「清貧」すら無理、「赤貧」がやっとだと言う。そうして、お宅も年頃の娘さんが3人で大変ですねえと同情する。
父親は次女に言い過ぎたことを反省し、彼女に謝る。次女は次女で自分なりに苦しんでいて、長女より先に結婚することに気が引けるだけでなく、家庭の経済状況からもきちんとした形で結婚することが困難であることから勝手に家を飛び出す方がいいだろうと考えての行動であった。
妹を心配して祭りから早々に引き上げて来た長女が、父親に自分には恋人がいてその人は戦地から戻って来ないので、妹が先に結婚することは何も差し支えないと父親を安心させ、納得させる。
長女は妹に対して、嫁入り道具は亡くなった母親が自分の為に用意してくれていた道具を持っていくように勧める。心配する次女に、自分は母親が持って来た家財道具があるし、それに自分はあなたたちの母親代わりだからと言って笑ってすます。次女は長女の恋人の話は、父親を安心させるための作り話だということも分かっている。
こうして、ちょっとした波乱もほっと一安心で幕を下ろす。
時間にして40分足らずの劇だが、非常に濃縮された密度の高い一幕劇で、緊張の中にも心温まるものがあった。
父親役の小学校教師を演じる根岸光太郎の渋面をした頑固一徹そうでありながら、彼の台詞の中に出てくる「教える立場にありながら自分の子供の教育が満足にできない」という告白にあるように、年頃の娘を扱いかねているだけでなく、時代の背景にある長幼の順という旧来の伝統から長女より先に次女を嫁に出すわけにはいかないという世間的な常識のしがらみ、そして何よりも戦争のためと母親がなくなったために、母親代わりに妹たちの面倒を見てきた長女への負い目とがないまぜになって、不器用な父親は娘達と素直に話し合うことが出来ずにいたのだが同僚の教師とのひと時が自分の気持を落ち着かせて、次女に謝る気持を起こさせたのだった。感情の起伏と変化を重量感のある演技で好演。
同僚の教師岡田を演じる女鹿伸樹は、この名作劇場ではいつも道化的役まわりで舞台の緊張感を和らげる好演を見せてくれるが、この劇の触媒的な存在をうまく演じ今回も期待通りに楽しませてもらった。
タイトルロールの長女役にはこのシリーズ初出演の田中香子が演じ、これまで彼女が演じて自分が観たことのあるマクベス夫人役などのシェイクスピア作品とはまた違った趣があり、好感度の高い味を味あわせてもらった。
出演は、他に次女に吉澤紫月、三女に高野百合子、教え子で次女の恋人に武藤広岳。

 

No. 94 深澤七郎作『木曽節お六』(1958年発表)

木曽節のコーラスや村人など贅沢な出演者の数であったが、タイトルロールの鷹嘴喜洋子の独り舞台のような劇であった。
時節は盆の13日で、お六はよその結婚話のけちばかりをつけている。その理由はすぐに分かってくるのだが、自分の息子には縁談話が一向にないことからのあせりからであった。
折しも、その息子が毒を飲んだと言って同僚からの知らせがあり、幸い親方が早く気づいて毒を吐かせたために一命はとりとめる。自殺の原因は、行きつけの飲み屋の女に惚れたが、その女に男がいることを知って悲観しての自殺未遂であった。
お六は自殺の原因を知って、その女を息子の嫁に貰ってくれと親方に頼むが、その女は「伊那」の流れ者でとても駄目だと頭から受け付けない。お六はあれだけ他人の結婚話にケチをつけていたのに、いざ息子の事となるとなりふり構わず、常軌を逸してしまう。
息子は翌朝回復したもののそのまま家を飛び出し、女の働く居酒屋を見通す松の木で首を括って死んでしまう。
今度は本当に死んでしまった息子に、お六は一種の錯乱状態になって、同じことを何度も何度も繰り返す。そして酒屋に酒を頼んで取り寄せ、息子の為に飲んでくれと振る舞うが誰も飲んでくれない。
お六は酒の支払いなら心配するな、薪拾いでもなんでもして稼ぐと言って、最後には自分が死ぬときには誰にも迷惑かけずにそっくり返って死んでやるから安心しろと叫ぶ。村人たちは一人二人と散り散りに帰って行き、お六一人取り残され、彼女はなおも叫び続け、静かに暗転して幕となる。
40分に満たない短い劇であったが、この劇も密度の高い、緊張感のある劇であった。
主演の鷹嘴喜洋子の熱演を、親方役の藤本至、大工役の高橋岳則などが支え、他に呉服行商人に齋藤謙一、酒屋に津村録太郎など8人+コーラス4人、村人役11人の出演と多彩であった。

心の温もりと、人情の懐かしさを感じさせる二つの劇を観て、今回も満足な気持で劇場を後にした。


企画・演出/川和 孝、美術/岡田道哉、衣装/佐藤 利
3月29日(木)14時開演、両国・シアターX
チケット:2000円(?シニア+出演者割引)、全席自由席


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