高木登 観劇日記2018年 トップページへ
 
   Alexanderite Stage企画・公演 『靖国への帰還』(雷電)      No. 2018-034
 

「月光」と「雷電」のダブルキャストでの2バージョンで、出演者の関係で「雷電」のゲネプロを観劇。
内田康夫の原作を予め読んでいたのでどのように演出されるかに関心があったが、巧く構成されていて話の筋が分かっていても次への展開に興味を持って観ることが出来た。
原作を読んだとき、主人公の武者滋と恋人役の沖有美子と、彼女の姪深田瞳との恋に、上田秋成の『雨月物語』を感じたが、舞台では感想が少し異なった。
また、主人公のタイムスリップについては、小学生のころに少年雑誌の付録小説で読んだ「時空移動」の物語を懐かしく思い出し、光速より速い速度での時間の歪曲や、現在見えている何億光年という距離にある星は、ひょっとしたらすでに消失した星であるかも知れないという子供のころの思い出から、唐突感はなかった。
このタイムスリップの物語は、武者滋と柳美代次の月光の出撃場面に始まり、最後は武者が月光を自らの操縦で厚木基地から飛び立って雷光の中に消えていく場面で終わる。
舞台化で強く感じたのは、原作でも舞台でも微妙な問題として取り上げられる「靖国問題」で、この小説の舞台化の眼目は、この靖国問題にあるように思われた。
それだけに、毎朝新聞記者の飯山恭子(原作では男性だが、キャストの関係でこの舞台では女性)と武者滋のテレビ討論会の場面は、一つの山場としての見どころの場面であった。特に、高村絵里が演じた飯山記者は、彼女のキャラの全開といった感じで見ごたえがあり、対する森川勝太が演じた武者滋にも信実の迫真性があり、両者の好演を楽しんで観ることが出来た。
このテレビ中継では、原作にもあることだが、やらせを含め、編集によって都合の悪い部分はカットされて報道されていて、我々は、報道の在り方によって一つの方向性に向かわされるということで、報道の背後にあるものを読み取ることが必要であることを改めて考えさせられた。
その意味合いにおいて、「英霊」や「靖国」という言葉が導く問題性によって、この舞台は思想的議論の危険性をはらんでいるともいえる。
「靖国で会おう」という言葉には、ある種の生理的な抵抗、嫌悪を感じるだけでなく、自分には心情的にリアルさが感じられず、むしろ、井上ひさしの戯曲『紙屋町さくらホテル』に出て来る、津田君の手紙にある「お父さん、お母さん!なにか言ってください。・・・おとん、おかん!なにか言うてくれんさい」という言葉のほうにリアルさを感じる。
劇中でも話題として触れられる東京裁判に関しては、東条英機らの戦争責任は別として後付けの勝者の論理でしかなく、東京大空襲、原爆投下の方が無差別大量殺人の戦争責任として裁かれるべきだと思っている。
話が思わぬ方向にそれたが、本筋の一つである女学生時代の沖有美子を演じた高木夏美と現在の沖有美子を演じた服部妙子と武者滋との間の抒情的ロマンス、もこのドラマには欠かせない見どころのある場面として、巧く構成されて演出されていた。
ドラマは、月光役としての井上一馬がナレーター役をして劇が展開され、劇の終焉には彼の素晴らしい歌で締めくくられたのも印象的であった。
出演は、内閣情報調査室の岩見隆夫役を、この劇では女性の岩見隆子として菊池千花が演じ、小山内泰輔役に田中惇之、沖有美子の兄深田耕作に池田弘明など、「雷電」グループだけで、総勢23名。
上演時間は、途中休憩10分を挟んで、2時間20分。


原作/内田康夫、脚本・演出/野口大輔
10月5日(金)14時開演、渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール
チケット:(公開ゲネプロ)4000円、全席自由席


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