高木登 観劇日記2018年 トップページへ
 
  グループ・ぱる Vol.24 さよなら身終い公演 『蜜柑とユウウツ―茨木のり子異聞』No. 2018-030
 

"グループ・ぱる"の最後の公演、しかも大好きな詩人である茨木のり子を扱った劇ということで、絶対見逃せないと早くから予約していたおかげか、抽選だというのに席は最前列の中央部のかぶりつき席であった。
3年前の再演ということもあって、"グループ・ぱる"の公演は可能な限り観るようにしていたことと、茨木のり子全詩集や、ちくま文庫の「言の葉」3巻、詩集『倚りかからず』ほか、自分が所有していて何度も読み親しんできたこともあってか、いわゆるデジャヴ(既視体験)のようなものがあって、この劇を初めて観るという気がせず、当然観ていたものと思っていたが、観劇後に自分の観劇記録をたどってみると観ていなかったことに少々驚いた。
観終わっての感想は、"グループ・ぱる"の「身終い公演」にふさわしい公演であったというのが一番の感想で、これまでありがとうという気持と、淋しさが残った。
松金よね子、岡本麗、田岡美也子の3人が、それぞれ「のりこ」という人物として登場し、松金よね子が本来の茨木のり子役で、この劇ではこの世に気がかりな事を残して来たという意味で「気がかりのノリコ」と呼ばれ、岡本麗は紀子と書いて「きいこ」、田岡美也子は典子と書いて「テンコ」と呼ばれる。
劇は、主人公の茨木のり子が亡くなってから4カ月後のある日のこと。
舞台上に、(後で分かることだが)茨木のり子の友人であった岸田葉子(木野花)が描いたミカンの花の絵が、立派な西洋椅子の足元に立てかけられているのが印象的に目に入ってくる。
この家の管理人と名乗る「タモツ」がひとり、コーヒーを入れている。この管理人は、最後に人間の姿をした「ミカンの精」であることが分かる。
生前、詩人から未発表の詩があると聞かされていた編集者の喜多川が、詩人の甥の宮本浩二と一緒にやって来て、遺品を探すが見つからない。
未完の詩は、詩人の最愛の夫のことを書いた恋愛詩で、死後、詩集として発行される時の為に、目次まで付されており、「Y」の箱として丁寧に収められていた。
この未完の詩が発見されずにいたことがノリコの「気がかり」で、いつまでも詩人の家の中にその魂がさまよっていて、二人の「のりこ」はその気がかりが何であるかを発見するのを手伝うためにいる。
詩人「のり子」の記憶が詩人の評伝劇として展開されていき、同人詩誌『櫂』を一緒に立ち上げた川崎洋や、谷川俊太郎などとの出会いが繰り広げられていく。
川崎洋を演じた小嶋尚樹、谷川俊太郎を演じた古屋降太、この二人の詩人の造形が見事で、生き生きと、生々しく伝わってきた。
管理人「タモツ」と名乗る吹坂保と、詩人の夫三浦安信の二役を演じる小林隆の演技が劇全体のムードをほんのりとさせ、心が和らいだ。特に、最後の場面の誰もいなくなった舞台で、観客席に向かって腰掛け、「ミカンの精」として一人語る時、その眼にうっすらと涙がにじんでいて、頬にはその涙が光って見えたのに感動した。
このミカンの精は、結婚した時、夫の三浦安信が貰ってきたミカンの苗が新居の庭に育った木の「精」で、タイトルにもなっている隠れた主人公でもあった。
感動と、面白さを十二分に感じさせてもらった、貴重な2時間30分であった。


作/長田有恵、演出/マキノノゾミ
9月16日(日)14時開演、東京芸術劇場シアターイースト
チケット:4500円、座席:B列11番


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