高木登 観劇日記2018年 トップページへ
 
   劇宇宙☆アブラクサス第15回公演 『オホヒルメー玉響~タマユラ~』   No. 2018-003
 

昨年7月、この劇団の『ヘクサグラム―ジャンヌ・ダルクの秘儀』を観劇したが、今回は180度趣を変えての日本の古代、孝謙天皇をテーマにした舞台で、その演目からこの劇団の名前のいわれと公演のタイトルに関心がわき、観劇後にこの劇団のHPにアクセスしてみた。
それによると、この劇団の立ち上げは2004年で、浅野静香が演出を担当している岩崎高広とともに、<形而上学、神秘学、シャーマニズムなどを学んできて、現在必要な宇宙からのエネルギーを流し、観た人、世界に向けて新しい時代に向けて必要な意識、覚醒、波動変容、覚醒を起こす作品創りをして「次世代の子供たちに残せる作品創り」「演劇から平和を」「心で繋がる和」をテーマに精神性を大事にした作品創り、魂に触れる作品創りをしていく>とある。
昨年のジャンヌ・ダルクはシェイクスピアの『ヘンリー六世』との関係で興味と関心があったが、今回は日本の奈良時代を舞台にした作品ということで、万葉集を長年にわたって読み続けていることから、これにも非常に関心と興味がわいた。
歴史ものは定説よりその背後にあるものの方が遥かに面白いものだが、その意味ではこの劇も非常に面白いものであった。
登場人物や事件などは日本史の授業で習った範囲では年代と人物名ぐらいだけで、その背後にあることなどまったく語られることもない味気ない授業であったが、それでも今回この舞台を観るに及んで、聞いたことのある名前や事件が懐かしく思い出された。
弓削道鏡=悪、和気清麻呂=善のような色分けが一般的な史観としてインプットされているが、万葉集など読んでいるといわゆる書紀などの正史の背後にあるものが見えてきて、単純な史観では見なくなる癖がつく。
この舞台では、弓削道鏡は最初、腹をすかした奴婢として孝謙天皇がまだ内親王の時に出会うが、彼は豪族の物部氏の末裔であったが長屋王の変で奴婢の身分に貶められたという設定となっていた。
孝謙天皇は、父聖武天皇から天皇の位に即位するよう説得されるに当たって、大和の国の「和」の意味と、その大和はかつて「倭の国」と呼ばれていたが、「倭」は「人」とノギヘンを書いて、下に「女」とあり、大和の国は「女が統べる国」であると説いて皇位につくことを承諾させるという、この設定などは面白く、興味深いものであった。
また、「和」は、この劇団がめざす「演劇から平和を」の「和」と「心で繋がる和」の「和」と相まって象徴的に響くものであった。
弓削道鏡も、孝謙天皇をたぶらかす悪僧としてではなく、藤原勢力に対抗して、仏教の教えを以て身分制度をなくし平等な社会を作りだすという理想を抱いた人物として描かれる。
劇は、孝謙天皇の傍に仕える書記役の和気広虫が序詞役を務めながら、間に物語の背景や年代を説明して進捗していくので、全体の大枠がよく把握できた。
全体を通して感じられたのは、聖武天皇の言葉として語られたこの大和の国は女が統べる国を象徴するかのように、ヒロインの孝謙天皇はじめ、和気広虫、宇佐八幡宮の神託を告げる山田月嶋、それに上皇藤原光明子などの女性たちがこの劇の中核をなしていたことだった。
裏読み歴史劇として、その面白さを堪能させてもらった。
出演は、孝謙天皇に羽杏、和気広虫に森下知香、弓削道鏡に神山武士、山田月嶋に星野クニ、藤原光明子に高橋由利子、藤原永手に甲斐裕之、藤原仲麻呂に怜央、和気清麻呂に島野雄士朗、聖武天皇にやぶしたまさひろの総勢9名。主演の羽杏が脚本を担当している浅野静香であることを知って驚くとともに、その才能に感心した。
上演時間は、1時間55分。

オホヒルメー玉響~タマユラ~

オホヒルメー玉響~タマユラ~

脚本/浅野静香:(脚本チーム)はやし正英・岩崎高広、
演出/岩崎高広:(演出チーム)浅野静香
2月2日(金)14時開演、池袋・シアターグリーンBASE THEATER


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