高木登 観劇日記2018年 トップページへ
 
   アブラクサス 16th公演  『OPTIMISM』       No. 2018-027
 
~「明日は今日より美しい。明後日は明日より美しい。楽天主義はそう信じている」ヘレン・ケラー~
 

昨年、『ジャンヌ・ダルク』の招待案内で初めて出会ったこの劇団の公演を観るのは今回が3作目であるが、この3つの作品はいずれも女性を主人公としているのが共通しているだけでなく、ヒロインを演じる羽杏が脚本・演出と一人3役をこなしているのも一貫している。
今回のヒロインはヘレン・ケラーであるが、彼女を題材にした戯曲『奇跡の人』(原題は'The Miracle Worker')の主人公はヘレン・ケラーではなく、原題から察せられるように彼女の家庭教師アン・サリヴァンであるように、この『OPTIMISM』 の主人公もアン・サリヴァンであるように感じられた。
これまで観てきたアブラクサスが描き出す主人公の人物像に、舞台を通して多くの事を学ばせてもらってきたが、今回も舞台そのものと、観劇後の確認で調べたことで多くの事を学ばせてもらった。
その一つは、アン・サリヴァンその人が一時盲目であったこと、施設で苦労して育ったことなどであった。さらに観劇後に調べたことで、サリヴァンとヘレン・ケラーを結びつけた人物が、劇では直接ふれられていなかったが、電話の発明者として有名なグレアム・ベルであったこと、そしてベルが聴覚障碍児の研究者であったということも知った。
この舞台を観て強烈に感じたことは、強い「差別」意識であった。
ヘレン・ケラーの一家は南部の住人であり、一方サリヴァンは北部出身で、南部の人間の北部に対する偏見意識、そして奴隷解放後も黒人を人間として見なしていないこと、さらに障碍者が「人」として扱われていないことの差別に驚きを感じさせられた。
ヘレン・ケラーは兄や父からすら疎まれている存在で、特に異母兄であるシンプソンのヘレンに対する偏見と嫌悪は激しいものであった。しかし、当時の社会的背景から考えれば、ヘレンの存在の為に不利な立場に置かれている彼の事を思えば無理からぬことかもしれないものの、舞台を観ている一観客の立場からすると、理解のない兄だと憎らしく思ってしまう。その意味においては憎まれ役シンプソンを演じた高橋壮志は好演であった。
障碍者のみならず、ハンセン病患者に対する差別、水俣病など公害の被害者に対する偏見、差別は遠い過去の話ではなく、時代は常に、現在もなお新たな差別を産み出しているのが実情であることも改めて感じた。
視覚、聴覚、それに言葉が言えない三重苦にあるヘレンがどのようにして言葉を覚えることが出来たのか、かつて観た『奇跡の人』の舞台では理解できていないままであったが、今回の舞台を通して「指文字」をどのようにして学んだかを知ることも出来た。
アン・サリヴァンは20歳でヘレン・ケラーの家庭教師となって、生涯にわたってヘレンに付き添ったその人生、生涯というのは自分にとっては想像を超えたもので、単なる自己犠牲ということでは済まされない、大きな見えない意志を感じた。自己犠牲というより、むしろ、サリヴァンはヘレンを通して自分が出来なかったことを自己実現したように思われる。
サリヴァンがヘレンの家庭教師としてやって来た劇の前半部での二人のバトルの印象が強かったので言及するのを忘れていたが、後半部でヘレンが弱者に対する社会的不公正に立ち向かう姿を描いていること、それがこの劇のタイトルのオプティミズムとサブタイトルの「明日は今日より美しい。明後日は明日より美しい。楽天主義はそう信じている」がこの劇のテーマとなっている。
アン・サリヴァンを熱列に演じた坂東七笑の好演と、ヘレン・ケラーを演じた羽杏の全盲で聾唖者としての演技は、演技を超えた秀逸さであった。
ヘレンの母親ケイトの星野クニ、父親アーサーの今里真、兄シンプソンの高橋壮志、白人と黒人の混血人ピーター・フェイガンの神山武士、そして黒人のサムとチャールズ二役を演じた甲斐裕之がヒロイン役二人の脇をしっかり固め、好演。
上演時間は、途中休憩なく、2時間10分。濃密な舞台であった。

 

脚本/アサノ倭雅、演出チーム/岩崎高広・アサノ倭雅
9月6日(木)14時開演、池袋・シアターグリーンBASETHEATER


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