シェイクスピア以外の観劇記録・劇評

 

2017年7月の観劇日記

013 2日(日)13時半開演、文学座公演 『中橋公館』

作/真船豊、演出/上村聡史、美術/乗峯雅寛
出演者/浅野雅博、石田圭祐、倉野章子、名越志保、𠮷野美紗、浅海彩子、木津誠之、他
   (総勢14名)
紀伊國屋ホール、座席:C列7番


【観劇メモ】
真船豊の『中橋公館』は自分が生まれた年、生まれた月である昭和21年(1946年)5月に発表された作品で、その年に千田是也演出で俳優座によって上演されたのが初演であるという。
それから71年たって、今回、文学座創立80周年記念の一環として今回上演されている。
記念公演にふさわしい重厚な作品で見ごたえのあるものであった。
何よりも出演者の演技がいい。
特に感銘を受けたのは、浅野雅博が演じた主人公の中橋勘助の母あやを演じた倉野章子と、父徹人を演じた石田圭祐の演技であった。
最後のシーンでは、虚脱状態となった徹人の石田圭祐はリアを感じさせるものがあり、彼がリア王を演じる舞台をいつか是非見てみたいと思ったほどであった。その最期のシーンから振り返ってみれば、中橋徹人の生きざまはリア王そのものであるとも感じられるものであった。
劇中で、中橋勘助の中国人の友人宋啓光(舞台には登場しない)の、「中国人の精神の貧困堕落は宋時代の終わりに始まった」という言葉は示唆的であった。
中国文学、唐の時代の詩など読んでいると、今の中国からはとても同じ国の人物のものだとは思えないのだが、この宋啓光の言葉を聞くと、何となく理解できる気がする。
この宋啓光は真船豊とも親交があった実在の人物がモデルとなっているというから、この事は真実ともいえる。
舞台の場面転換では、劇中歌として中国の歌が歌われ、また劇中でも歌が入るが、そこに井上ひさしの世界を感じさせるものがあって、親しみ深かった。
上演時間は、途中15分間の休憩を挟んで、3時間。

 

014  6日(木)13時半開演、新劇交流プロジェクト公演 『その人を知らず』

作/三好十郎、演出/鵜山仁、美術/乗峯雅寛
出演/木野雄大、名取幸政、山本龍二、大塚仁志、他(総勢23名)
東池袋あうるすぽっと、チケット:4000円(会員料金)、座席:D列14番

【観劇メモ】
文学座、文化座、民藝、青年座、東演の5つの新劇のグループ合同公演。
三好十郎が戦争中に実際に聞いた話がもとになっている。
作者はこの青年を捜し出して会って見たいと思いながら結局会えないまま、この人物を心の中でずっと見つめ続けていたが、心の中で結晶したその人物に実際に会うことが怖くなってしまう自分に気づく。
作者はこの人物を心から愛している半面、憎く思うようになる。それはあたかも、自分自身を愛する強さと同じ程度に、自分自身を憎んでいるのと同じである、とその心境を語っている。
キリスト教の教えを受け、洗礼を受けた青年、片倉友吉(木野雄大、東演)が頑なに徴兵忌避を貫き通し、親兄弟にまで累を及ぼしても、憲兵や警察から拷問を受けてもその姿勢を改めない。
それはただひたすらに「戦争は悪い事だ」、人を殺せば地獄に落ちるというその信念だけで、頑なというより稚拙とすら感じさせるものである。
今の言葉で言えば、彼は「空気が読めない」人物であり、それだけならまだしも、周囲の状況について理解せず、はた迷惑な存在、むしろ害にさえなる存在で、その純粋さゆえに却って憎く思われてくる。
彼の頑なな姿勢で、家族は村八分同様となり、生活にも困窮する。
警察署で自ら友吉を竹刀で双方が倒れてしまうまで打ちのめしてしまうが、その父親が、もしかしたら友吉の方が正しいのかも知れないと覚った時、父親は自ら命を絶ってしまう。弟は、兄を憎み、自ら志願して戦死する。
戦争が終わっても、彼の一途さは変わらず、不正な事を受け入れようとせず、闇米にも手を付けようとしない。
そんなとき、戦争中刑務所で一緒であったスリで、今は闇商売で稼いでいる貴島宗太郎(山本龍二、青年座)は、友吉の純粋さに惹かれて彼をエス様として崇め、友吉の時計修理の仕事のための仕事をもってきたり、食べ物を持ってきたりする。自分が汚れた存在であるばかりでなく、周囲の汚れに染まった者たちの中で唯一、純粋無垢な友気が泥水の中の蓮の花のように美しく思えたのであろう。
その貴島が警察の手入れで捕まった時、一緒に捕まった友吉のことを知らないと突っぱねるにもかかわらず、友吉は正直に貴島のことを知っているとあくまで主張を繰り返す。恩人の気持を読み取ることも出来ない。
ここまでくると、友吉のことが憎く思えてしようがなくなる。
貴島宗太郎を演じた山本龍二がこの劇の中で一番印象に残った。ほかには、友吉の父親は名取幸政、友吉に洗礼を施した牧師人見勉を大家仁志が印象に残る演技であったが、山本龍二とともに青年座に属している。
この片倉友吉を見ていて感じたのは、ドストフェスキーの『白痴』の主人公ムイシュキンであった。
先日観た文学座の『中橋公館』といい、この『その人を知らず』といい、重厚な作品を立て続けに見ることになった。
上演時間、休憩15分間を挟んで3時間半。

 

015  8日(土)14時開演、劇宇宙☆アブラクサス、第14回公演

『【Hexagram(ヘクサグラム)】ジャンヌ・ダルクの秘儀』
脚本/浅野静香、脚本チーム/河内功、岩崎高広、演出/岩崎高広
出演/坂東七笑(劇団だるま座)、奥居元雅、星野クニ、神山武士、羽杏
下北沢・OFFOFFシアター、チケット:(3500円)、全席自由席

【観劇メモ】
登録していない劇団から初めてのメールでの公演案内であった。
劇団名のアブラクサスもさることながら、公演のタイトルのヘクサグラムも耳慣れない言葉であったが、ジャンヌ・ダルクがタイトルに入っていたので、シェイクスピアの『ヘンリー六世』第一部との関連で興味があったので、即、申し込んだ。
劇団名の劇宇宙「アブラクサス」(abraxas)を調べると、「ギリシア文字で書かれた魔除けの言葉Abraxasの名を刻んで神秘的な力を持つと信じられた首にかけるお守り。2世紀以後はグノーシス派によって神からの発散霊気として神格化されたグノーシス派の呪文。ギリシア文字の数字としては合計365という神秘数を表した」とある。
なかなか神秘的な劇団名である。
しかも今回の公演は第14回というから、それなりにかなり長く続いている劇団だと考えられる。
直接的にはシェイクスピアと関係ない劇だとは思ったが、想像していたより素晴らしくよく出来た劇だった。
劇の骨格もしっかりしており、内容的にも、異端審問の場で3人の出演者が枢機卿の役を兼ねるのを別にして、ジャンヌ・ダルクを含めて5人の登場人物だけで面白く構成されていた。
歴史的事実としては、ジャンヌ・ダルクの出現は奇跡としか考えようがないのだが、当時は聖書ですら、聖職者以外が読むのは禁じられていたも同然で、そのためにラテン語を一般信者のために英語に訳しただけで異端者として罰せられたことを考えれば、一少女が神の啓示を受けたということは、教会としては厄介な存在であったと思う。
異端審問は、劇中でマルタン修道士が言う教会の弱さに他ならないだろう。
神の啓示を受けたことにより、結果的には家族を巻き込んでの不幸は、一昨日観た『その人を知らず』の片倉友吉と通じるところがあり、偶然にして同じような劇を観ることになった。
ジャンヌ・ダルクを羽杏(うあ)、マルタン修道士を奥居元雅、ジャンヌの書記役をする元娼婦のオメットを劇団だるま座の坂東七笑、ジャンヌの母イザベルを星野クニ、オルレアンの隊長ジャックを神山武士がそれぞれ演じた。
上演時間は、1時間40分。

 

016  9日(日)13時半開演、こまつ座第118回公演 『イヌの仇討』

作/井上ひさし、演出/東憲司、音楽/宇野誠一郎、美術/石井強司
出演/大谷亮介、彩吹真央、久保酎吉、植本純米(潤改め)、木村靖司、三田和代、他4名
  (総勢10名)
紀伊國屋サザンシアター、チケット:6800円、座席:3列11番、プログラム(the座):1000円


【観劇メモ】
真船豊の『中橋公館』は自分が生まれた年、生まれた月である昭和21年(1946年)5月に発表された作品で、その年に千田是也演出で俳優座によって上演されたのが初演であるという。
それから71年たって、今回、文学座創立80周年記念の一環として今回上演されている。
記念公演にふさわしい重厚な作品で見ごたえのあるものであった。
何よりも出演者の演技がいい。
特に感銘を受けたのは、浅野雅博が演じた主人公の中橋勘助の母あやを演じた倉野章子と、父徹人を演じた石田圭祐の演技であった。
最後のシーンでは、虚脱状態となった徹人の石田圭祐はリアを感じさせるものがあり、彼がリア王を演じる舞台をいつか是非見てみたいと思ったほどであった。その最期のシーンから振り返ってみれば、中橋徹人の生きざまはリア王そのものであるとも感じられるものであった。
劇中で、中橋勘助の中国人の友人宋啓光(舞台には登場しない)の、「中国人の精神の貧困堕落は宋時代の終わりに始まった」という言葉は示唆的であった。
中国文学、唐の時代の詩など読んでいると、今の中国からはとても同じ国の人物のものだとは思えないのだが、この宋啓光の言葉を聞くと、何となく理解できる気がする。
この宋啓光は真船豊とも親交があった実在の人物がモデルとなっているというから、この事は真実ともいえる。
舞台の場面転換では、劇中歌として中国の歌が歌われ、また劇中でも歌が入るが、そこに井上ひさしの世界を感じさせるものがあって、親しみ深かった。
上演時間は、途中15分間の休憩を挟んで、3時間。

 

017  14日(金)13時開演、『怒りをこめてふり返れ』

作/ジョン・オズボーン、翻訳/水谷八也、演出/千葉哲也、美術/二村周作
出演/中村倫也、浅利陽介、中村ゆり、三津谷葉子、真那胡敬二
新国立劇場・小劇場、チケット:3078円(シニア)、座席:B席、RB列31番、プログラム:800円


【観劇メモ】
一時代を風靡した話題作ということで、以前から一度は見てみたいと思っていた劇。
しかし、実際に見てみると時代性とお国柄との違いを感じ、主人公の怒りがストンと胸におちてこない。
1956年というと、自分はまだ10歳の時で、日本は高度成長の先駆けをなした神武景気の時代の最中であった。
若者の怒りという点に関しては、日本では1960年代に置き換えてみた方がこの劇の時代性を感じるのによいかも知れない。
イギリスという階級制社会の中での若者の閉塞感に対する怒り(というより苛立ちを感じた)は、日本より今のアメリカの状況の方が間近であるような気がする。
上演時間は、途中15分間の休憩を入れて3時間5分。

 

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