シェイクスピア以外の観劇記録・劇評

 

2017年3月の観劇日記

003  7日(火)13時30分開演、こまつ座 第116回公演 『私は誰でしょう』

作/井上ひさし、演出/栗山民也、音楽/宇野誠一郎、美術/石井強司  
出演/朝海ひかる、枝元 萌、大鷹明良、尾上寛之、平埜生成、八幡みゆき、吉田栄作、朴勝哲(ピアノ演奏)
紀伊國屋サザンシアター、チケット:6600円、座席:6列13番

【観劇メモ】
2007年1月の初演以来、10年ぶりの再演。 放送用語調査室主任、佐久間岩雄役の大鷹明良以外はすべて入れ替わり、「尋ね人」担当の脚本班分室長・川北京子は浅野ゆう子から朝海ひかる、脚本家志望の分室員・山本三枝子は梅沢昌代から枝元萌、同じく分室員で神田脇村書店長女の脇村圭子は前田亜希から八幡みゆき、組合書記の高梨勝介は北村有起哉から尾上寛之、山田太郎は川平慈英から平埜生成、フランク馬場は佐々木蔵之介から吉田栄作。
井上ひさしの戯曲は常に多面的な問題を提示して、見るたびに違った角度からの問題を感じさせてくれる。

 

004  9日(木)19時開演、MATCHLESS HERO公演 『PRISON』

作・演出/栗原智紀  
出演/菊地真之、岡本高英、井並テン、霍本晋則、大塚秀記、山田隼平、モリタモリオ、其田健太郎、 栗原智紀、他女優6名
下北沢・Geki地下Liberty、チケット:3800円、全席自由席

【観劇メモ】
構成と骨格がしっかりしているので、最後のオチが効いてくる良質なシリアス・コメディを楽しんだ。
物体の背景は、裁判制度が始まって有罪判決が増え、どこの刑務所も飽和状態で、とある刑務所で、中には死刑囚で殺人犯の松井(岡本高英)、スリの川村(菊地真之)や下着泥棒の足立(山田隼平)や結婚詐欺師の天野(井並テン)、ハッカーの戸田(モリタモリオ)などさまざまな犯罪者が一つの部屋に7人も同居している。
そこで死刑はどのようにされるのかという話が持ち上がり、13階段を昇って絞首刑になるのだということから、その階段をどのようにして昇るのか、スリの川村の発案でその昇り方のリハーサルを始める。
このリハーサルが最後のオチへとつながるのだが、それは最後まで見ないとその時には分からない。
そこへもう一人、殺人犯として荻野(其田健太郎)が新たに入室してくることになる。
彼は自分では冤罪だと主張し、入ってきた早々に、真犯人から妹を守るために脱獄すると言い出す。
ハッカーの戸田が脱獄計画を立て、それぞれの犯罪特技をもって役割分担を決め、1か月後の慰問会の日が警備も手薄になるということでその日を決行日とする。
死ぬことを望んで最後まで脱獄計画に参加しなかった死刑囚の松井も加わるが、皮肉にもその脱獄決行の日に彼の死刑執行が決定される。
他の連中は計画通り脱獄を決行し、松井は死刑執行の真っ白な13階段を昇るが、その時に彼はリハーサルでなされた階段の昇り方で昇っていく。
暗転。
冤罪だと主張していた荻野は真犯人が捕まって釈放されたが、他の脱獄犯たちは元の部屋に戻っている。
脱獄決行の日は雨で、逃亡を図った排水溝には水があふれて全員溺れてしまったという。
そこへ、死刑執行されたはずの松井が腕にギブスをはめて看守につれられて戻って来て、一同唖然とする。
松井いわく、リハーサル通りにやったら最後の段で足を踏み外して転げ落ちてしまって死にかけ、死刑囚を死刑以外で殺すわけにはいかないと必死の看病で助かったのだという。
その彼は牢名主のような存在で、自分を語らないことで却って重きをなしている人物として造形されていただけにそのオチのおかしみが増幅され、彼を演じる岡本高英の好演技に納得を感じさせた。
物語の伏線となっている中心的な登場人物の伏せられた過去の話(服役することになった犯罪の内容)なども展開の中で明らかにされていくのも興味深い。
登場人物の中では殆ど人と口を聞かないオタクの次原を演じる大塚秀記が存在感を感じさせたのは役得ともいえる。
作、演出の栗原智紀が看守役で、クールな感じで印象に残った。
上演時間は1時間45分の予定が、2時間近く熱く演じられた。
終演後、この日の観劇では偶然にもマキさん、ヒデミさんと一緒になり、終演後に出演者とも一緒になって遅くまで飲み明かした。

 

005 17日(木)14時開演、川和孝企画公演・第44回名作劇場 『厩舎』、『僧俗物語』

企画・演出/川和 孝
『厩舎』/田中 純 作、『僧俗物語』/江戸馬齢 作
両国・Xシアター、チケット:2500円(シニア及び出演者による割引)、全席自由席(最前列にて観劇)

【観劇メモ】
両作品とも45分前後の1幕ものだが、ずっしりと重厚な内容であった。 二つの作品に共通しているのは、作者についてはまったく知られていないということで、特に江戸馬齢は名前からしてペンネームのようであるが、残されている作品はこの1篇のみであるということである。
このように無名で埋もれた作品を発掘して世の中に再び日の目を見させてくれるこの企画に感謝したい。
大作ではないが、心にしみじみと残る作品であった。 自分の記憶のためにも簡単に両作品の概要を記す。

『厩舎』
1919(大正8)年に発表された作品。
家族内の問題で精神を病んでいる退役軍人が主人公で、その家族内の問題とは、使用人でしかも戦場では命の恩人ともなった馬丁が、長女と恋仲になり一子まもうけたことであった。
命の恩人と身分の差は別問題で、退役軍人はそのことでプライドが傷つきトラウマとなり、馬丁を家から追い出し、長女は家に留まらせはしたものの女中として取り扱っており、その事件の後生まれた二女と三女は事情を知らず、長女を女中としてしか取り扱っていない。
主人公の長男のみがその事件を記憶していて、一人だけ、長女を姉として気をつかっている。
退役軍人は、自分の家に傷をつけられたということで、長女の息子まで邪険に扱ってきたため、その子はひねくれた子に育っている。
しかし、実は、退役軍人はその自分に対して腹が立っており、その事件のあった厩舎で一人、ときおり忍び泣いているが、ついにそのいわく因縁のある厩舎を取り壊す決意をする。
父が一人忍び泣いているのを知っている長男は意を決し、姉とその子供に対する扱いを改めるように頼む。
折も折、その日、姉の子供が近所の家で盗みを働き、刑事が訪ねてくる。
盗んだカバンが見つかったことでその子供は近くの川に投身自殺をし、長女は嘆き苦しみ、父の退役軍人も空を仰いで心で慟哭する。
主人公の退役軍人を演じる菅原司が好演、その長男役に菊口富雅、長女に矢内のり子、刑事役に女鹿伸樹、他、総勢10名の出演。
上演時間は、45分。

『僧俗物語』
この作品は1930年9月の『舞台戯曲』に載ったものを企画・演出の川和の目にとまって上演の運びとなったもので、作者については一切知られていないだけでなく、作品はこの1作が残っているだけという。
川和の解説によれば、この作品の主人公である木食上人は実在の人物で、宝暦5年(1755)に現在の塩山市上萩原に生まれたが、この物語ではその木食上人のいつ頃を描いたかは不明とある。
戯曲の内容は、この木食上人の住む村に或る日盗人が現れ、村人に追われて上人の家に匿ってもらう。
上人は弟子と共に日々、村々の寺のために仏像を彫っているが、その中に女人と幼い子供の一体の像があるが、村人たちにもその像のいわれを知らない。
盗人は酒まで馳走になり、そこで一夜を過ごすことになるが、夜中にうなされて目が覚める。
盗人は、上人に促されるままに過去の罪状を語るが、その話の中でその盗人が唯一犯した殺人が、実は上人の妻子であったことが判明する。盗人が夜中にうなされたのは、母子像のせいであった。
上人は、その盗人が自分の妻子を殺した者であることが分かっても許し、無事逃げられるように自分の僧衣を与える。
盗人はその僧衣をまとって家を出るが、捕まる覚悟でその衣を脱ぎ捨てる。
あとで、その衣が脱ぎ捨てられているのを弟子が見つけ、月を見上げて深く嘆息する。
木食上人に井ノ口勲、弟子に高橋岳則、盗人に根岸光太郎、他村人役、総勢8名の出演。


006 17日(木)18時開演、文学座有志による自主企画公演 『この道はいつか来た道』

作/別役 実、演出/藤原新平  
出演/本山可久子、金内喜久夫
信濃町・文学座アトリエ、チケット:3000円

【観劇メモ】
別役実の風景がなつかしい。笠のある電球が一個付いた電信柱とポリバケツが一個。
出演は、男1と女1と、無記名の登場人物。
内容的には何ということもない作品であるが、出演者と演出者の合計年齢が256歳で、売りは、後期高齢者2人と末期演出家による「ホスピスを逃げ出した老人の人生最後の逢引、ペーソスとユーモアに満ちた愛の物語」というキャッチフレーズと、4年ぶりの再演。
本山と金内の絶妙な息の合った台詞回しが聴きどころ。
内容的に何もないせいか、後ろ席からはいびきがずっと聞こえていたが、自分には面白かった。
上演時間は、45分。

 

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