シェイクスピア以外の観劇記録・劇評

 

2016年9月の観劇日記

014 11日(日) 14時開演、文学座アトリエ公演 『弁 明』

作/アレクシ・ケイ・キャンベル、訳/広田淳郎、演出/上村聡史  
出演/山本道子、小林勝也、栗田桃子、松岡依都美、佐川和正、亀田佳明

信濃町・文学座アトリエ、(チケット:4300円)、座席:A列36番

【観劇メモ】
美術史家クリスティン・ミラーの誕生日の祝いに、日頃疎遠な息子二人とその恋人たちがやって来る。 クリスティンの長年の友人ヒューが緩衝材の役割を果たしている。 長男のピーターは銀行に勤めており、低開発国を絶えず訪問にしており、そんな息子をクリスティンは搾取として蔑視する。長男の恋人トルーディはアメリカ人で、二人は礼拝所で知り合ったという。 クリスティンは自分の信条として宗教としてのキリスト教も嫌っており、そういうことからもトルーディに一歩距離をおいて接するが、彼女はクリスティンのことを尊敬して一生懸命語りかける。 トルーディはピーターと訪れたリビアで入手したローカルの仮面を誕生祝に贈るが、現地の物をむやみに持ち出すことも彼女の主義に反することとしてあまりいい顔をしない。 しかし、この仮面は最後には二人の意思を通わせえる仲介物となる重要な意味を持つ。 ピーターは母が最近出した回顧録『弁明』に、自分たち息子のことが一切触れられていないことに、幼いころの出来事と重なって許せないこととして、その事を追求するつもりでいる。 弟のサイモンはいつまでも現れず、舞台女優でテレビで売れっ子になっている彼の恋人クレアだけがやって来る。 クリスティンと彼女とは全くそりが合わず、反目し合っている。 いつまでも現れない次男のサイモンがカギを握る人物となっているが、1幕の終わりまで登場することがない。 その夜遅くなって皆が寝てしまった後、雨の中、転んで割れたガラス瓶で手を怪我したサイモンがやって来るところで1幕は終わる。 その夜、クリスティンがその手のガラスの破片を抜き取りながら、二人の会話が進んでいくところから2幕が始まる。 二人の息子は母親とイタリアで生活していたが、父親が二人を連れ出す。しかし、いくら待っても母親は迎えに来てくれなかった。そして幼いサイモンがイギリスから一人イタリアまで母親を訪ねていくが、言葉の行き違いで母親は翌日まで迎えに来ず、その間の恐怖の経験をポツリポツリと語る。 サイモンは翌朝、誰とも顔を合わさないまま出て行ったが、クレアは夜中中話し合って二人は別れることになったと報告する。 トルーディはクリスティンを理解しよう努めているが、二人の息子とクレアは結局、本当の所を理解し得ないままである。 母親を理解しないピーターに対して、長年クリスティンを見てきたヒューは彼女のために弁護し、母親に対して暴言を吐けば自分が許さないとまで言う。 回顧録『弁明』の内容については劇の中で一切語られることはなく、回顧録として息子の自分たちのことが一切書かれていないことに対して問題にされるだけで、『弁明』そのものはミステリーとしてこの劇の中核となっている。 アトリエ公演としての実験的な舞台で、舞台構造は三角形で観客席は三方から観劇するようになっている。 息詰まるような、緊張感ある舞台であった。 この劇の主人公クリスティンを山本道子、友人ヒューを小林勝也、ピーターを佐川和正、トルーディを栗田桃子、クレアを松岡依都美、サイモンを亀田佳明が演じた。

上演時間:2時間45分(途中休憩、15分)

 

015 30日(金) 14時開演、第43回 名作劇場

No.87 曾我廼家五郎作 『五兵衛と六兵衛』 No.88 仲木貞一作 『柿実る村』  

企画・演出/川和 孝

両国、シアターX、チケット:2500円(シニア、出演者優待割引)、全席自由席(最前列にて観劇)

【観劇メモ】
今回の名作劇場は、喜劇と悲劇の2本立て。 喜劇と悲劇と一口に言っても、その幅は非常に広く、そして深いものがあり簡単には割り切れないものがある。 シェイクスピアの全集(フォリオ)にあるように、主人公の結婚で終わるものを「喜劇」、主人公の死で終わるものを「悲劇」として単純明快に区分できれば問題もないが、『柿実る村』は主人公の死で終わるので「悲劇」として割り切れるとしても、『五兵衛と六兵衛』はその様に単純ではないが、そこはかとない喜劇性を感じるということで、「喜劇」と称して間違いない。 両作品に共通して感じたことは、人情味ということである。 『五兵衛と六兵衛』は、貧乏長屋に住む五兵衛と六兵衛の二つの家族の話で、五兵衛は紡績工場の機械の油さしをする工員で月給とりながらも安月給で貧乏生活、隣に住む六兵衛は車引きで天気が悪ければ仕事がないその日暮らし、二人とも女房だけで子供もなく親類縁者にも恵まれないこともあって、兄弟同様の契りを結んで助け合って生きている。 六兵衛は元々財産家の生まれであったが、極道の末に勘当され、本家とも縁を切られていた。 その本家の者が亡くなり、跡取りの一人息子は失踪して行方知れず。そのため、六兵衛に思わぬ10万円という大金の相続をする話が転げ込んでくる。 六兵衛と女房のおらくはとたんに貧乏長屋を見下し、高価な衣装を着て豪邸に住むことを想像して有頂天となり、五兵衛にもそのおこぼれのおすそ分けをしようと言う。その言い草と、俄か成金となった六兵衛への嫉妬心から、六兵衛の申し出をはねつけてしまい、二人の仲は決定的に崩れてしまう。 ところがそこにはオチがあって、失踪していた跡取り息子が見つかり相続の話が水の泡と消えたところに、米代の借金取りがやって来て、六兵衛は五兵衛に取り立て代金の無心をせざるを得なくなり、その事で二人は元通り仲直りして幕となる。 人情の機微に富んだ苦い味でありながら、どこか心にしんみりとくる人間模様の喜劇である。 五兵衛に根本明宏、その女房おらくに鷹嘴喜洋子、六兵衛に船阪裕貴、女房のおたつに高崎佳代、番僧・一念の女鹿伸樹ほか、村長の湯沢勉、弁護士の矢田稔など脇役が好演し、舞台を盛り上げ、楽しく、面白かった。 『柿実る村』は、北条方の村に上杉の軍勢が押し入ってくる戦国時代を背景にした舞台。 その村は、土地がやせていて米作が出来ず、元は北条方の侍であった渡四郎次が村長となって、村の産物としての柿づくりに専念している。男衆はみな戦に駆り出され、残っているのは年寄りと女子供だけの村に、上杉軍がやって来たことで起こる悲劇。村の女を駆り集める上杉軍の侍頭加賀見藤弥太が、背後から鉄砲で撃たれて死ぬ。 その犯人捜しで、村長の下僕、倉蔵が犯人として捕まり、その責任を負って渡四郎次も縄目を受ける。 夜明けまで二真犯人が見つからなければ、倉蔵を犯人として処刑するというので、村長が自分が犯人だと名乗って自害して村を守り、幕が下りる。 村長の渡四郎次に根岸光太郎、その娘八重に野々宮かおり、その婿で上杉勢の侍頭でもある音若に麻生潤也、女中ひさにおぎのきみ子、ほか総勢11名の出演。自分が抱いてている芝居らしい芝居を楽しませてもらった。 二作とも実に見応えのある舞台であった。

上演時間は、途中15分の休憩を挟んで、2本で2時間半。

 

 

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