高木登劇評-アーデンの森散歩道-別館-

 

10月の観劇日記
 
033 5日(金) 俳優座公演 『豚と真珠湾』―幻の八重山共和国―

作/斎藤憐、演出・美術/佐藤信
出演/大塚道子、田中壮太郎、中野誠也、可知靖之、塩山誠司、田中茂弘、安部百合子、小澤英恵、他

俳優座劇場


034 6日(土) 木山事務所公演 『駅・ターミナル』

作/堤春恵、演出/末木利文、美術/石井みつる
出演/外山誠二(伊藤博文)、久世星佳(津田梅子)、村上博(伊藤巳代治)、金子由之(福地源一郎)、林次樹(金子堅太郎)、本田次布(車掌)、内田龍麿(川上音二郎)、岩下まき子(川上貞)、他

あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)柿落とし

【観劇メモ】
東池袋に新しく、301席の小劇場「舞台芸術交流センター・あうるすぽっと」が誕生。
木山事務所の『駅・ターミナル』はその柿落としの4作品の一つとしてミュージカル『ハロルド・モールド』に続く2番目の上演作品となる。
堤春恵の前作、『最終目的地は日本』が、在日韓国人ピアニスト河松愛(ハ・ソンエ)を主人公に、その舞台を飛行機の機内に限定されていたのに対し、今回の作品は津田梅子(久世星佳)と伊藤博文(外山誠二)の二人を軸にして、その舞台を列車の車内に限定されている。
劇中伊藤博文が吐くセリフ、「駅は劇場だ」がこの舞台のモチーフとなっている。

「駅」、

それは常に、ターミナル。

行き着く場所、

そして出発の場所でもある。

人生の出会いの場でもある。

外山誠二の演じる伊藤博文によって、伊藤博文に対する自分の持っていたイメージ(どちらかというとマイナスのイメージ)が、もっと懐の深い人物として認識を改めさせるような、そんな感じであった。政治家の評価などというものは、時代によって変わっていくものだと思うが、この劇では津田梅子を通して、政治家というより一人の人間として、一人の男として、そのロマンを感じさせるものだった。


035 12日(金) 音楽劇 『三文オペラ』

作/ベルトルト・ブレヒト、音楽/クルト・ヴァイル、翻訳/酒寄進一、演出・上演台本/白井晃、美術/松井るみ、歌詞/ROLLY
出演/吉田栄作(メッキ・メッサー)、大谷亮介(ピーチャム)、銀粉蝶(シーリア・ピーチャム)、篠原ともえ(ポリー)、ROLLY(ジェニー)、猫背椿(ルーシー)、佐藤正宏(タイガー・ブラウン)、他

世田谷パブリックシアター

【観劇メモ】
ブレヒトの劇を見るとき、いつも喉に骨がひっかかったような違和感(不快感とは異なる)を覚えていたのだが、またそれが特色のようにも思えるのだが、それはブレヒトの異化作用と大いに関係していることだと思うのだけれど、今回の演出では原作の持つその異化作用は感じつつもその違和感がなく、非常にまっすぐに面白さを体感した。
そのことは、今回の演出に関係してくる酒寄進一の新訳に負うところが大きい。

今回の上演のために演出家の白井晃の依頼を受けて、ドイツ文学者の酒寄進一がそのために訳したもので、非常に現代風な訳となっている。ブレヒトの原作がもともとは、18世紀英国のジョン・ゲイの、『乞食のオペラ』を改作したものであり、この改作が1920年代のドイツの文化的(貴族趣味のオペラ音楽など)、社会的(ブルジョワ資本主義の搾取階級批判)、政治的なものへの反動、風刺であったという点で、そういう面では現代のわれわれには直接的に理解することが困難な点も多くあると思う。

酒寄進一の新訳では、非常に現代語的になっており、たとえば、「マジ」とか「わたくしテキニハ」など現代的卑俗語も頻繁に使用されていて、その言葉の用法が内包している現代の社会批判あるいは風刺、文化批判、政治批判というものが体感できる。もちろんアドリブ的な「年金問題」のような政治問題がチラチラとセリフの中に出てきたりすることも、そのことを感じさせてくれる要因の一つではあるが。

が、なんといっても吉田栄作のメッキ・メッサーがチョウカッコイイーのであって、それに娼婦ジェニーを演じるセクシーなROLLYの歌も魅惑的。乞食の元締めピーチャムの大谷亮介、その妻シーリア・ピーチャムの銀粉蝶、娘ポリーの篠原ともえなど、みな個性的な演技と歌で楽しませてくれた。

ブレヒトは「『三文オペラ』のための註」の中で、「歌をうたうことで、俳優はひとつの機能転換を行う」と説明しているが、この劇はセリフ劇(ストレート・プレイ)というより、音楽劇、オペラなのだということを白井晃の演出ではあらためて強く認識させてくれた。開演冒頭、パンチングメタルボードのスクリーンに、「貧乏人が見られる格安のオペラ、料金7500円」というスーパーインポウズの文字が流れる。そう、これはオペラなんだ、とはじめに脳髄に刷り込みされる。だから、音楽劇を聞くのだと最初からその態勢ができていたと思う。

この演出の特徴として感じたことは、ブレヒトの原作では劇の終わり、メッキーが死刑を執行される前に女王の恩赦で救われた上に、終生年金を与えられ、身分も世襲貴族の列に加えられるメデタシメデタシのハッピーエンド(?)となっているのだが、白井晃はメッキ・メッサーを電気椅子の処刑を執行して死なせてしまう。しばらくそのままの沈黙が続くので、原作が分かっている者にとっては多少の意外な気持を感じるのだが、やおら、ピーチャムが話を戻し、メッキが無事釈放される。

そして、ROLLYの「メッキ・メッサーのテーマソング」が歌われ、キャストが挨拶の礼を次々にしていき、フィナーレとなる。このフィナーレもよかった。

途中休憩15分を挟んで3時間の上演時間。


036 26日(金) 加藤健一事務所公演 vol.67 『コミック・ポテンシャル』

作/アラン・エイクボーン、訳/小田島恒一、演出/加藤健一、美術/大田創
出演/加藤忍(ジェーシー)、蟹江一平(アダム)、加藤健一(チャンドラー)、西山水木(カーラ)、他

下北沢・本多劇場

【観劇メモ】
彼を尊敬するアダム(蟹江一平)に対してテレビドラマ監督のチャンドラー(加藤健一)にして言わしめる、喜劇の二つの特色が、「意外性」と「怒り」だとは、この原作者アラン・エイクボーンその人の言葉であろう。

舞台は、近未来のテレビスタジオを中心にしての喜劇。

今ではドラマを演じるのはロボットであるアンドロイド。監督はそのアンドロイドを制御するアシスタントを指示することがその仕事であり、創造性やオリジナリテイという個性は必要とされない。

アンドロイドの女優ジェーシーがプログラミング以外の反応を示して限りなく人間に近づき、人間であるアダムの愛情に応えて彼に恋愛感情を抱くようになる。決められたプログラム以外の所作のため、ジェーシーは混乱を来たし、人間で言えば死を意味する「初期化」されることを自ら望むようになる。

この喜劇の怖いところは、ロボットのアンドロイドが限りなく人間に近づいていくこととそれに正比例して人間そのものがアンドロイドに限りなく近づいていることを見せつけられるところにある。チャンドラーのテレビ局のオーナーであるレスター・トレインスミス(辻親八)はアンドロイドを極端に毛嫌いしているが、それは老齢な彼が命を保っているのは数々の手術で体の中の至る所にコンピューターの回路が組み込まれていて、その体は限りなくロボットに近づいているからだ、と思わせられるのである。

2004年の初演で、このアンドロイドのジェーシーを演じた加藤忍はその年の紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞し、今回も同じ役。チャンドラーも前回同様に加藤健一が演じた。そのほかは前回からはかなり入れ替わっていたが、今回のキャステイングもそれぞれに個性あふれる俳優陣で、その個性的演技を楽しむことができた。

再演であっても、新鮮な気持で「意外性」を楽しむことが出来た。


037 27日(土) 三つの悲劇ギリシャから 『たとえば野に咲く花のように』

作/鄭義信、演出/鈴木裕美、美術/島次郎
出演/七瀬なつみ、永島敏之、梅沢昌代、三鴨絵里子、大石継太、大沢健、佐渡稔、山内圭哉、他

新国立劇場・中劇場

【観劇メモ】
この劇は中劇場でなく小劇場で上演されるべき作品だということを日経、朝日の二紙が劇評欄で評していたが、その通りだと思った。自分の席は10列の43番、といっても前から10列目ではなく最前列の、舞台やや上手よりの席だが舞台装置からするとまったく中央であるといってよい。舞台装置からすると、この最前列の上手側の端は舞台がよく見えないのではないかと思われる構造である。

自分の席はそのように特等席であったので、舞台の濃密さを十二分に味わうことができたのだが、新国立劇場の中劇場の構造では、端側の席や後方部の席ではこの舞台の持つ味わいを感じることが出来ないのではないかと感じた(新国立劇場の構造は出来た当初から指摘されていることだが・・・)。それに土曜日のマチネだというのに、客席もせいぜい6割がたの入り。であれば、はじめから小劇場の方がずっといいのに、と思った。

とはいえ、劇の中身は濃いものがあり、役者のうまさもあって退屈させないものであった。

ギリシャ悲劇(アンドロマケ)を素材にしていることになっているが、そのおどろおどろしさがなく、むしろ限りなく喜劇に近い。たとえていえば、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』のような喜劇。全体は喜劇だが、シャイロックに焦点をあてれば悲劇的である、というような。ここでは、この悲劇(あるいは喜劇)ではまずだれも死なない。いや、死んだと思わせて思い切り悲劇的な気持に陥らせる。しかし、ダンスホールの珠代(梅沢昌代)の恋人菅原太一(大石継太)は死んだと思っていたら、死んだのは他の人間で本人は無事に戻ってくる。同僚の鈴子(三鴨絵里子)の恋人淳雨(大沢健)が直也(山内圭哉)に刺し殺された、と思ったら、腹に入れていた本のおかげで無傷だった。そして、この二組は無事に結ばれる。完全にはハッピーエンドとはいかないのは、珠代(七瀬なつみ)がやっとその愛を受け入れた康雄(永島敏之)が、珠枝が妊娠したのも知らないまま帰ってこないままで終わること。

悲劇でもないが、かといって完全な喜劇でもない、95パーセントの喜劇・・・とでもいうべきドラマ。

 


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