高木登劇評-アーデンの森散歩道-別館-

 

1月の観劇日記
 
001 7日(日) 新宿梁山泊 『夜の一族』

作/コビヤマ洋一、演出/金守珍、舞台美術/大塚聡+百八竜
出演/大貫誉(男)、広島光(青年)、渡会久美子(女)、黒傘男(コビヤマ洋一)、三浦伸子(水商売の女)、他

下北沢、ザ・スズナリ

【感想】
新宿梁山泊20周年記念企画として、コビヤマ洋一の作品3作連続上演の第一弾。
僕は3作通しのチケットを予約したので、合計で6000円と割安となった。
この作品はチラシによれば、1994年に高円寺の稽古場発表会として初演され、その後96年、98年、2000年と再演されている。キャストとしては、初演以来「男」役の大貫誉だけが一貫して同一役を演じている。
話の荒筋はざっといってこうである。
派遣社員のアルバイト青年(広島光)が道路工事(?)の現場の夜警をしている。誰も来るようなことのない道路に一人でいるところに、雨も降っていないのに黒い傘をさした謎の男(コビヤマ洋一)が通りかかって青年に話しかける。また一人になったところで、交代勤務の夜警の男(大貫誉)が現れる。そして、「まだ生きていますか」というモールス信号の音。男は元陸上自衛隊で通信兵をしていたということでそのモールス信号を解読できた。男は夜警の仕事を放り出して、青年とともにそのモールス信号の主を探しに出かける。暴走族の連中に人間違いされて襲われ、半死の状態で倒れているところを、女(渡会久美子)に助けられる。実はこの女がモールス信号を発していたのだった。女は、マンションの窓から自殺して飛び降りた女の顔が自分の方を見て笑って落ちえていくのが見えた、その顔が、鏡を見ると自分の顔であった・・・。引きこもった彼女を呼び出そうと、青年と男は戸口の前でアメノウズメのように、ボレロを踊る。・・・そして気がついたとき、青年は上半身裸の姿で、元の道路工事現場の前で眠っていたところをあまりの寒さに目を覚ます。
上半身裸でボレロを踊る大貫誉と広島光の、削ぎ落としたような無駄のない筋肉質の体に魅せられた。
渡会久美子の寡黙な立ち振る舞いに、深い孤愁が漂っていた。
コビヤマ洋一は、その存在自体が謎のような雰囲気を常に持っている。
夢と現実が交錯するシュールな世界。生の向こう側に在る肉体を超えた魂の世界からの声のようでもある。
1時間10分という凝縮された上演時間の中で、ひと時の不思議な世界を浮遊した。

 
002 9日(火) 新宿梁山泊 『月光の騎士』

原作/作/コビヤマ洋一、演出/金守珍、舞台美術/大塚聡+百八竜
出演/六平直政、梶村ともみ、米山訓士、コビヤマ洋一、他

下北沢、ザ・スズナリ

【ストーリーと感想】
新宿梁山泊20周年記念企画、コビヤマ洋一作品上演の第2弾は新作。
『夜の一族』では黄金色の月は上手奥にあったが、『月光の騎士』では、舞台中央に大きく煌々とした黄金色の満月。この黄金色の月は舞台の展開で真っ赤な夕日を浴びた朱色の月と変じ、最後には鉛色の月から灰燼にきしたようになる。月の詩的な変化もさることながら、物語の展開も意外な方向へと流れていく。仮想の現在と近未来、そして最後はおよそ半世紀前の過去の世界を覗かせてくれる。
売れない青年漫画家(米山訓士)は絶望して自殺を図ろうとするが死に切れない。屋根の上から女(梶村ともみ)がそんな彼に声をかける。女はアルツハイマー患者の夫・男(六平直政)の面倒を見ている。男は月を追って屋根に上ってきたのだった。女は青年に死ぬ前に気を落ち着けるためにとお茶を勧める。女は青年の自殺を止めないが青年は結局死ぬことができない。女は男がかつて役者を目指していたが彼女との結婚を期にそれを諦めたが、「飲む、打つ、買う」と粗暴な生活で女は苦労が絶えなかったことを青年に語る。しかし、アルツハイマーとなって男が自分自身でなくなろうとしたときになってはじめて自分のところに帰ってきたのだった。
とそんな話をしているところへ、「妙な男」(コビヤマ洋一)がやってくる。彼は他人の運命については当てることが出来るのに自分の運命についてはさっぱり見通せない。その結果が、足にカイワレが生えるという奇病にとりつかれることになった。そのカイワレをサカナにして3人はワンカップで酒盛りをし、踊り始める。女が酔って寝てしまうと青年と奇妙な男は去っていく。
目覚めた女と男。男は苦労をかけた女を旅に連れて行こうと言う。それも豪華船での世界一周旅行。女はタイタニックのドラマのように、自分を抱きしめてほしいと男に頼む。男は船首で女を抱きしめる格好をする。しばしの陶酔・・・・。男は突然くずおれ、ついに自分でなくなる。女は号泣して男の首を絞めて殺し、屋根の上から落とし、自分もその後を追う。・・・・・赤い月から鉛色の月への変貌。
解体屋が二人の自殺があったその家の解体作業にやってきて話すことには、その屋根から自殺した二人はホームレスで、実際には夫婦ではなく、女の話は彼女が勤めていたバーのマダムの身の上話を借りたものだった。
解体された屋根の下から現れてきたのは、半世紀前の一家団欒の風景。一家の主がテレビを買ってきて、近所界隈からもそのテレビを見に集まってくる。
そしてまた現在へと戻り、売れない漫画家は二人の死を悼んで花束をその屋根に捧げる。
ドラマの途中では、「ワタシノ故郷ヲシリマセンカ」という夜の騎士がコロスのようにして、リフレインする。
六平直政の演技がなんともいえないうまさ。
次の韓国の劇団による同シリーズ第3弾が楽しみ。

 
003 13日(土) 演劇団コリペ 『リュウの歌』

作/コビヤマ洋一、演出/イ・ユンチュ、監修/イ・ユンテク、翻訳/金ユチョル
出演/チュ・エンキョン、イ・ジュンヒュ、イ・ユリ、他(総勢14名)

下北沢、ザ・スズナリ

【ストーリーと感想】
新宿梁山泊20周年記念公演企画第三弾は、韓国の演劇団コリペによるコビヤマ洋一作品『リュウの歌』の韓国語版での上演。演劇団コリペも劇団創設より20周年を迎えるという。
韓国語での上演のため言葉はほとんど理解できなかった(字幕が出ていたが台詞とのタイミングが合っていなかったりしていた)が、期待通りのパワーを感じさせる演技だった。
このシリーズを通して共通した舞台背景は高層ビルと大きな満月で、ここで月が重要な役割を果たしている。
字幕の台詞で詩的だと感じたのは(メモを取っていないので不正確かもしれないが)、
<誰も見ていないから 海は海ではない・・・
<誰も見ていないから 空は空ではない・・・
という台詞や、原爆ババア(キム・ミスク)が繰り返し口にする
<地平線が見える・・・
という台詞。これらの台詞は言葉が分かれば、あるいは日本語の上演であれば、もっと身にしみて感じていたことだろう。
物語は、大都会の高層ビルに囲まれたゴミ捨て場の奈落の世界で展開する。
リュウはそのゴミ捨て場で拾われて育てられ、そのゴミ捨て場の世界の希望の星の存在であるが体が成長とともに朽ちていくという奇病にとりつかれていて長生きが出来ない。彼女(この役では女優のチュ・ヨンキョンが演じている)は盲目のリョクサイ(イ・ジュンヒュ)に育てられた。
保険所の所長ミツナリ(ハン・サンミン)もまた捨て子でリョクサイに育てられたが、そのゴミの世界から抜け出して、その前身を抹殺すべくゴミの世界の消滅を図って、消毒液を撒き散らし、リョクサイを拉致していく。そのリョクサイを救出しようと、リュウや仲間のおけら(キム・チョルヨン)やトウタ((ソ・センヒュン)、夢子(キム・ソヒ)らが保険所に乗り込んでいく。そこでトウタを突然目が見えなくなってしまう。
結局は、ゴミ捨て場が必要であるということでミツナリは必要のない人間として解雇され、ゴミ捨場の世界に戻ってくる。ミツナリはリョクサイを「お父さん」と呼んで抱擁し、ナイフで刺し殺す。このとき月は朱色に変じる。
リュウも寿命がきてついに命が果て、物語は終わったかのように見える。
暗転の後、舞台は再びゴミ捨て場のダストシュートからゴミが次々と送り出されてくる。
そしてどこからか赤ん坊の泣き声・・・夢子がその赤ん坊を拾い上げ、目の見えなくなったトウタに手渡す。
その赤ん坊はリュウの生まれ変わりであり、トウタはリョクサイの再生である仕組みとなっているのが見える。
言葉は分からなかったが、最後の場面で全体の構造が一挙に見えてきて、感動的であった。
(上演時間、1時間40分)


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