シェイクスピア以外の観劇記録・劇評

 

9月の観劇日記
 

026 23日(土) 文学座公演 『ゆれる車の音』 

作/中島淳彦、演出/鵜山仁、美術/石井強司
出演/角野卓造、たかお鷹、塩田朋子、鵜澤秀行、栗田桃子、他

紀伊国屋サザンシアター

【感想】
不覚にも中島淳彦の作品を見るのが今回初めてだと思っていたら、今年の3月に加藤健一事務所公演の『エキスポ』で一度見ている。そのときにもその劇の笑いと構成に感心したが、今回も実に楽しく見ることができた。

『エキスポ』もそうであったが時代設定が懐かしい。今回は縁日のテキヤの物語であるが、自分の子供時代によく通った小倉の八坂神社境内の縁日を思い出し、懐かしく思った。香具師の口上にのるとすべてが何か素晴らしい珍しいものに思えたものだった。

物語は、終戦後のドサクサの中でテキヤの縄張りを追われ、放浪の露天商を続けていた金丸一家の組長、金丸重蔵(角野卓造)が、先代組長である父の願いと妻(塩田朋子)に尻を叩かれて故郷の油津に20年ぶりに帰ってきたところから始まる。気の弱い重蔵はできることなら騒動を起こしたくないのだが、妻に尻を叩かれ仕方なしに戻ってきたのだった。しかし20年の歳月は故郷の姿も人もすべて変えてしまっていた。故郷油津はマグロ漁でにぎわった昔日の面影はなく、祭りの前夜だというのに町はひっそりとしている。昔テキヤだった子分の有江(田村勝彦)は警察官となっており、自分を追い出した側の小玉(鵜澤秀行)は建設会社の社長となって市会議員に立候補していたりしているだけでなく、自分の縄張りを奪った張本人の上原丈太郎(たかお鷹)は息子がスーパーの店長で自分は楽隠居の身となっている。

最初は重蔵と丈太郎との間で喧嘩が始まるかに見えたが、結局は丈太郎が過去を詫びることで重蔵が納得しないまま何とか平穏に収まり、一日、昔のテキヤ家業に戻って縁日を盛り上げることになった。

縁日を盛り上げるのに、重蔵、丈太郎、その息子、小玉、上原はかつらをかぶってグループサウンズのタイガースの歌を歌い、舞台を賑わし、大いに笑いを誘う。

重蔵は喧嘩には弱いが、なぜか女にだけはもてて、20年前故郷を去る前に情を交わした女性がいて、その女性は小料理屋をやっており、娘が一人いる。娘は母親から父親はテキヤの親分だったときかされていて、重蔵のことを「お父さん」と呼んでここでまた人騒動起こるが、妻とその小料理屋の女将との話の中で、結局は重蔵の子ではなかったことがはっきりする。

印象的な台詞は、一生懸命生きてきたことに、死んだら向こうでご苦労さんといってくれるだろうか、という丈太郎の台詞は心にしみるものがある。

昭和30年代の僕らは、ほんとうに一生懸命だった、という気がする。昭和20年代は価値観の大転換と戦後のドサクサの混乱からの回復期であり、とにかくガムシャラに生きてきた時代ではなかったろうか。そんな時代に香りを感じさせる台詞であった。

(上演時間、休憩なしで2時間)

 

027 24日(日) 地人会実験劇場A 『演劇の毒薬』

作/ロドルフ・シレラ、翻訳/吉川恵美子・松本有美香、台本・演出/木村光一、美術/島次郎
出演/上杉祥三、藤木孝

ベニサン・ピット

【感想】
演技で人気を博している俳優ガブリエル(上杉祥三)が、公爵の呼ばれてその館に訪ねているが、1時間たっても肝心の公爵は現れず、ガブリエルの周辺を年老いた召使(藤木孝)が動き回るだけで、たまりかねたガブリエルは帰ろうとするが召使に止められる。召使が口を聞いたのはこのときが初めてで、そこから堰を切ったようにガブリエルに演劇のことや階層社会についての意見、批判を語り始める。ガブリエルは召使としては実に博識で進歩的な考え方をしていると思うが、あくまで召使としか思っていない。この召使は公爵が変装していてガブリエルが見破ることができるかどうか試していたのだった。公爵はその言葉の端々に召使らしからぬ言葉で公爵の変装であることを臭わすような台詞を語るのだが、ガブリエルは一向に気がつかないだけでなく、公爵が召使の姿で身分を明かしてもなおかつ信じない有様であった。

公爵はガブリエルに自分が書いた脚本を演じることを懇請し、ガブリエルは不本意ながらもそれに応じる。それはソクラテスが毒杯を飲んだ後、死を前にして語る台詞であるが、公爵はガブリエルに仕掛けをして毒入りのワインを飲ませ、その断末魔の苦しみの中で演じることを強制する。もし公爵が満足できる演技であれば、解毒剤を与えるという条件で行う。生きる希望を抱きながらガブリエルは台詞を演じきる。約束に従って公爵は解毒剤入りのワインをガブリエルに与える。しかしここでまたどんでん返しがあって、最初に飲んだ毒入りワインは、実は気力を落とさせる薬が入っているだけで、ガブリエルは自らその暗示に陥って瀕死の状態を演じていたに過ぎなかったのだった。だからガブリエルは無意識のうちに勝負に勝った、賭けに勝ったという勝利感を抱いたのだった。しかしながら解毒入りのワインこそは毒であった。そこからまたどんでん返しがあるかと思えたが、公爵の脚本の台詞を語りながらガブリエルはこときれる。

この劇から演劇の究極論めいたことや実験劇などさまざまな角度から、いろいろなことが語り得ると思うが、自分が思ったことは、演技に自意識過剰といえるほどの自信をもったガブリエルが、他人の演技、公爵の変装とその演技を見破れなかったことで、最初に勝負がついていたということである。もし、ガブリエルが公爵の変装に気がついていたら、公爵の出方も変わっていたのではないか。これは公爵の賭けでもあった。

上杉祥三と藤木孝の演技は、鬼気迫るような迫力があった。

(上演時間、休憩なしで1時間20分)


 

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