シェイクスピア以外の観劇記録・劇評

 

4月の観劇日記
 
009 1日(土) 劇団夜想会公演 『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』

作/清水邦夫、演出/野伏翔、美術/浅井裕子
出演/原田大二郎、清水紘治、川上麻衣子、石村とも子、宮内敦士、内山森彦、水島文夫、他

紀伊国屋サザンシアター

【ストーリーと感想】
総勢61名出演の大舞台。出演者の数だけでなく、舞台装置も舞台一杯に3つの階段をセットした大がかりなもので、階段の隙間を縫うようにして5本の枯れ木が怨念の揺らめく炎を表象するかのように、銀色に鈍く光っているのが印象的であった。
内容も見ごたえあるものだった。狂った将門を演じた原田大二郎もよかったが、将門の影武者を束ねて操る三郎役の清水?治がよかった。その弟五郎の宮川敦士は、ハムレットを演じていたときにいい俳優だと思ったが一段と上手さが増してきたように思う。
この舞台は、清水邦夫のタイトルに詩的心情を煽り立てられるが、芝居そのものも詩的心情をかきたてられるものであった。

<感激度> ★★★★ 

久しぶりに感激度のランキングマークをつけてみたくなった。

 
010 2日(日) シリーズ「われわれは、どこへいくのか」@ 『カエル』

作/過士行、翻訳/菱沼彬晁、演出/鵜山仁、美術・衣裳/加藤ちか
出演/千葉哲也、有薗芳記、宮本裕子、今井朋彦

新国立劇場・小劇場

 

【ストーリーと感想】
一口に言えば老いとボケの問題であるが、そのなかにさまざまな社会現象を織り交ぜた笑いとペイソスに溢れ、観て得をしたと思えるドラマ。
創立百年以上の歴史を持つ由緒ある善明女子学舎の創立者の4代目で、理事の毛利信行(山本学)は足が不自由で車椅子の生活をしており、極端に人嫌いな老人で長年家政婦のとき(中村たつ)以外とは人と会わない。その彼がパソコンのサイトで「動かない風見鶏、車椅子、独り」という謎のような文句の割り込みメールを流したことから、たちまち独り暮らしの老人ということで、お金目当て(だけではなそうなのもいるが)で訳の分からない連中が押し寄せてきて、ときの説得を振り切って結局3人の若者の居候を許してしまう。毛利老人を取り囲んで集まったそれぞれの人物の状況に興味が移る。
ユニフォーム会社の経営者井原(風間杜夫)は会社の経営資金難を乗り切るために、毛利老人を取締役に迎えて資金の出資を頼むのが目的であった。首尾よく彼は銀行預金の通帳を任された上にカードの暗証番号まで教えてもらう。しかし彼も根っからの悪人ではなく、毛利老人のボケによるものではないかと疑念を抱き、どうしたものかと迷ってしまう。そんな彼の尻を後押しするのは元保険外交員で、毛利老人の今を拝借して売れない占い師をしている藤井彩(根岸季衣)。
家政婦のときが心配したように、毛利老人のボケが始まっていたのだった。彼の記憶は突然12年前に遡り、井原を「タツオ」と呼ぶ。タツオとは毛利の息子の名前で、12年前彼が運転する車の事故で死なせてしまったのだった。彼が車椅子の生活に頼るようになったのもその事故が原因だった。
毛利は、彼の元に集まってきた連中を、今や、逃げた妻や、愛人や、母親と思い込む。同じ12年前、浮気がばれて妻のナツエは家を出て行ったのだった。家政婦のときはそんな毛利の妻に反感と敵意をもっており、毛利老人を支えてきたのは自分だという自負の満足感の中にいる。
ボケの世話はできないと居候のフリーター川田(田中壮太郎)は、同じ居候で工務店の営業マン鈴木さんご(佐川和正)と一緒に出て行こうとする。彩は、毛利老人が預金通帳まで預けたのは、井原の人物を信用したからであり、井原は残って面倒をみるだろうと押し付ける。はじめは戸惑っていた井原も、毛利のぼけた姿を見て、すすんで老人の息子になりきる。ここらあたりの人情が山田太一ならではのペイソスと笑いがある。
山田太一の作品には悪人が出てこない。誰もが人間としての弱みを持っていて、どこか気を惹かれずにはいられない。
誰にも押し寄せてくる老い。その老いに、自分はボケるのではないかという恐怖感を、この年になってくるとよく理解できる。そのなかで、フリーターや出社恐怖症の女性、保険会社の外交員、バリアフリーの売り込みにきた工務店の営業マン(山田太一の手にかかると悪質な業者でなく、気の弱い人間になっている)、そして経営資金難になって銀行から融資を断られたユニフォーム会社の経営者は、銀行はただ本部からの指示だからというだけで、人格が見えないことに苛立ちと怒りの向け先がない。今の社会にごくフツーにありそうなことばかりである。

 
011 8日(土) 木山事務所公演 『出番を待ちながら』

作/ノエル・カワード、翻訳/高橋知伽江、演出/末木利文、美術/石井みつる
出演/南風洋子、松下砂稚子、加藤土代子、北村昌子、溝口順子、大方斐紗子、堀内美希、
水野ゆふ、他

俳優座劇場

 

【ストーリーと感想】
出番のなくなった女優たちがその晩年を公共の慈善施設で余生を暮らす。表向き明るく振舞ってはいても、そこでの出番は死でしかないという境遇が逆説的に悲しくも響いてくる。モードを演じる大方斐紗子の演技が凄く印象的。それにしても今日の観客は8割以上がかなりの年配者ばかりだったのも何か象徴的な気がする。

<感激度> ★★★★ 

ドラマの登場人物に近い実年齢の女優さんたちの迫力ある演技を楽しませてもらった。

 
012 9日(日) 劇団昴公演 『チャリング・クロス街84番地』

原作/ヘレーン・ハンフ、訳/江藤淳、潤色/吉岩正晴、演出/松本永実子、 美術/皿田圭作、濱名樹義
出演/牛山茂、望木祐子、竹村叔子、飯田和平、他

三百人劇場

 

【ストーリーと感想】
観ることができてよかった。観てよかった。ストーリーとしては、20年間に渡って古書を注文してきたイギリス文学と古書好きのアメリカ女性ヘレーン・ハンフとロンドンの古書店マークス社の社員フランク・ドエルとの手紙のやりとりだけで、そこに何ら大きなドラマが起こるわけでもない。しかし本好きであれば、次々と注文される書籍の著者名だけでも触手が動かされるものがある。僕にとってそれはジョン・ダンがその一つであった。
役柄としてはヘレーン・ハンフの望木祐子が、最初の印象としてはしゃぎすぎたような感じで、想像していたイメージと異なった印象を感じた。フランク・ドエルを演じた牛山茂はいかにもイギリス紳士の古書店の社員にふさわしいような沈着な趣があってよかった。
以外であったのは、戦後のイギリスも敗戦国日本と変わらず食糧難と配給生活、闇市があったという歴史的事実。そして日本やドイツが戦後復興のためにアメリカの援助を多大に受けたのに比べ、戦勝国であるはずのイギリスなどがアメリカからの援助も乏しく復興資金にも欠いて困窮の生活を強いられていたということ。もっと歴史を学ぶ必要を感じた。
このドラマを観て、書物を愛するということと、本をいかに読むかということもいい刺激となった。

 
013 14日(金) 俳優座劇場プロデユース公演 No.1 『女相続人』

原作/ヘンリー・ジェイムズ、脚本/オーガスタ&ルース・ゲッツ、翻訳/安達紫帆、
演出/西川信廣、 美術/朝倉 摂
出演/鈴木瑞穂、八木昌子、土居祐子、瀧田陶子、井口恭子、増沢望、他

俳優座劇場

 

【ストーリーと感想】
この劇を見るきっかけは鈴木瑞穂が出演するということが一番の動機であった。かつて同じ俳優座劇場プロデユース公演で、彼が出演した『こわれがめ』でその演技に魅せられてからというもの、彼が出演するドラマをできるだけ観たいと思うようになった。彼の演技の素晴らしさだけでなく、今回のドラマ全体についても非常に見がいのあるものであった。
ヒロインのキャサリン・スロウパーを演じる土居祐子の演技もよかった。彼女は幼い頃から父親の期待に答えようとしてそれができないために自分は駄目な人間だと思い込み、引っ込み思案となっていて、莫大な財産がありながら結婚の機会もなかなか訪れない。彼女の従姉の婚約祝いの内輪のパーテイに、従姉の婚約者が一緒に連れてきた青年モリス・タウンゼント(増沢望)が彼女に一目ぼれする(そのように装う)。モリスはキャサリンを巧みに口説き落として早々とプロポーズする。初めて自分を認めて愛してくれたモリスにキャサリンは夢中になる。しかし父親のドクター・スロウパー(鈴木瑞穂)はモリスの魂胆を見抜いて反対する。キャサリンの気持が覚めないのを知ると、ドクターはキャサリンと二人で、冷却期間として6ヶ月のヨーロッパ旅行に出かける。キャサリンの気持は旅行中も変わらず父親にとっては苦々しい結果でしかなかった。一方、モリスは留守宅を守るキャサリンの叔母ラヴィニア(八木昌子)を尋ねて毎晩のようにドクターの邸に入り浸って好き勝手に過ごす。旅行から帰ったキャサリンはモリスとの結婚を認めようとしない父親を見捨てる決心をし、父からの遺産相続権を放棄してモリスと駆け落ちする決心する。しかしモリスは遺産相続が目当てなので、それが期待できないとなるとキャサリンを見捨ててしまう。父親からの拒否だけでなく、今は信じる恋人からも見捨てられたキャサリンは、父が自分を愛してくれたことなどないと、父との関わりを一切拒否する宣言をする。しかし欧州旅行から帰った後の父は、病気となって医者である自らの診断で余命が幾日もないことを覚る。父を拒否したキャサリンであったが、死を間近にした父親が弱々しい足取りで階段を上って寝室にいく姿を見て、思わず駆け寄って肩を貸して抱きかかえるようにして一緒に昇っていく。その姿は見るものに、和解のない、冷たい妥協の冷ややかさとして伝わってくる。その冷ややかさが、父の死後、強さとして現われてくる。父の死から2年後、キャサリンは父の残した邸宅の主となって、かつての父親のように君臨(?)している。キャサリンを見捨ててカリフォルニアで一旗揚げようとしたモリスが落ちぶれ果てて戻ってきて、ラヴイニアを通してキャサリンとのよりを戻そうとする。キャサリンはモリスとのよりを戻したように見せながら、かつてモリスが自分に対してしたのと同じような方法で彼を見捨てる。そのラストのシーンが印象的である。キャサリンの変化を土居祐子が上手く演じていて、このドラマを濃密なものにしている。
一目ぼれしたようにキャサリンにプロポーズするモリス・タウンゼント役の増沢望も、その相続金目当てが見え見えを実に巧みに演じているので、見ている者を第三者的に批判的な気持に煽らせていくところが心憎かった。
キャサリンの叔母ラヴィニア役の八木昌子は、モリスがキャサリンの相続の金目当てがはっきり分かっていても、それを容認してモリスへ肩入れする。その愚かしさも、彼女が最後の方でつぶやく、「女が一人で生きていくのは、時間が長く感じるものなのよ」という言葉でせつなく響いてくる。
お目当ての鈴木瑞穂はキャサリンの父親ドクター・スロウパーを演じる。愛する妻を娘の出産と引き換えに失い、妻の美しい思い出だけが残っていて娘に歪んだ形の愛を押し付け、自分の目線でしか常に娘を見ることができないため、娘のすべてに満足することができない。それがキャサリンをコンプレックスに導いていることに気付かない。結局のところ、利己的でしかないのだが、誰もがそういう一面をもっていて納得させられるのではないか。

<感激度> ★★★★ 

見ごたえ十分。騙されているとしても、あるいは財産目当てとはっきり分かっていても、自分を認め、愛してくれている、それがたとえそのような振りをしているとしても、それを信じられる方が幸せなのかもしれない。人にとって、愛は、さまざま。

014 30日(日) シリーズ・「われわれはどこへいくのか」A 『マテリアル・ママ』

作・演出/岩松了、美術/池田ともゆき
出演/倉野章子、仲村トオル、伊藤歩、岩松了、早船聡

新国立劇場・小劇場

 

【ストーリーと感想】
シリーズ「われわれは、どこへいくのか」の第2弾。
第1弾の『カエル』は未来世界を予兆するかのような印象であったが、今回は、モチーフとしては現代的・日常的でありながら、全体としてはシュールで絶対的な象徴性を感じさせる。
「マテリアル」という硬質な響きと、情緒的な「ママ」という組み合わせのタイトルからして、物質的な日常性の危うい交差を感じさせる作品である。
娘が置いていった車を傷つけられたからということで、その車を世間から隔離して座敷に鎮座させている。物質文明の象徴ともいうべき車を座敷に置くというママ(倉野章子)の非現実的行為。そして車の買い替えの売り込みで、せっせと通ってその車の面倒を見る若いセールスマンのイクオ(仲村トオル)。セールスマンがやってくるまで車の面倒をみていた隣の中年の独身男性、イシガキ(岩松了)。そのイシガキをママは、イクオになぜか弟として紹介している。そのイクオにはトキエ(伊藤歩)という恋人がいるが、近所の人には二人は兄妹の関係となっている。それが物語の展開の中で、二人は本当の兄妹の関係の記憶を共有していく。
ママの娘は、海外の戦争の犠牲者である子供たちの世話をする福祉関係のボランテイア活動で、遠いメコン川の地に行ったまま不在である。車は娘のものなので、娘の意向を聞いてからということで、ママはイクオへの返事をいつまでも待たしている。ママとその娘の関係も微妙である。ママの亡くなった夫と娘の関係がフツウでない深い関係で、そのため娘はママから嫌われていると思っている、と同じ福祉関係の仕事をしているヘルパーの轟さん(早船聡)から聞かされる。しかし、その娘は実在しているのか、だんだんと怪しい気分になっていく。
ママをめぐって、隣のイシガキさんはイクオに嫉妬の警戒心を抱き、イクオもそのようなイシガキさんに敵愾心を燃やしている。一方ではトキエがママにイクオのことで怪しい懸念を抱く。
それぞれの怪しげな疑心暗鬼で蠢く中で、ママの飼っていた小鳥が紐で首くくられるという衝撃的な事件が起こる。その犯人は、旅に出ていたはずのイシガキさんのようでもあり、トキエでもあるように見える。
そのように絡み合った心理を象徴するかのよう二、車の鎮座した座敷とリビングの二つの回り舞台が、時にめまぐるしく回転して切り替わる。
不条理というより不合理な世界であるが、硬水のイメージとでもいうような、噛みしめた味はなかなか忘れ難いものが残る作品である。日常性の中で忘却した、心の中に潜む不可解性を人為的に想起させるような、そんな作品である。われわれは、ほんとうにどこへ行くのであろうか?!

 

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