シェイクスピア以外の観劇記録・劇評

 

3月の観劇日記
 
007 5日(日) 加藤健一事務所公演 『エキスポ』

作/中島淳彦、演出/久世龍之介、美術/柴田秀子
出演/加藤健一、畠中洋、加藤忍、さとうこうじ、有福正志、浅野雅博、他

下北沢・本多劇場

 

【ストーリーと感想】
今は懐かしい大阪万博の1970年が時代設定。世はまさに高度成長期の幕開け。僕は大学を出て社会人2年目で某保険会社に勤務していた。プログラムに、この1970年の一年間の主な事件と当時の物価が載っている。大学卒の初任給が男子36,000円、ラーメンが150円、はがきが7円で封書は15円、タクシーの基本料金(東京)が130円だったとある。この年の衝撃的な事件として、3月によど号ハイジャック事件があり、11月には作家の三島由紀夫が東京・市谷の自衛隊に乱入し割腹自殺している。「人類の進歩と調和」をメインテーマにして開催された大阪万博はそんな時代の出来事の一つであった。
物語は、宮崎県のとある地方で、そこで食堂とラブホテルを経営していた母親ひさ子が突然亡くなり、その通夜が行われている。通夜にやってくる弔問客は遺族には見知らぬ顔ばかりで、そこに珍事件が引き起こされる。通夜の振舞い酒の相伴にあずかる見知らぬ客(さとうこうじ)は、酒の飲みすぎでトイレばかり通っている。またいわくありげな二人の中年の男性が故人の人徳を偲ぶようにして、長男の康夫(加藤健一)に話しかけてくる。そのいわくありげな様子が次女珠子(高橋麻理)の本当の父親ではないかと、長男のいとこ賢作(新井康弘)が疑う。次女珠子は二人の兄と姉と年が離れて生まれただけでなく、顔も似ていないということで、小さい頃から拾われてきた子とからかわれてきた。僕らもよく小さい頃、叱られたりするとよくおまえは橋の下で拾ってきた子だと言われたものだった。通夜の客の一人が旅行代理店の者(外波山文明)で、母親が万博の申し込みを5人分していたと言いだす。何もかも母親が亡くなって起こってきた知らぬことばかり。おまけに康夫が飲み屋で関係をもったことがある女性の亭主がやってきて、康夫の母親がその償いに毎月決まった日に15000円の慰謝料を払ってくれていて、今日が丁度その日だと支払いを要求してくる。母親は毎日欠かさず日記をつけていたので、もしや何か書き残していないかと、康夫はラブホテルに行ってみると、何者かに荒らされた形跡がある。がとにもかくにも日記を無事探し出した康夫は、今度はそれの隠し場所に一苦労する。通夜の客をそのラブホテルに泊めると、そこでまた一騒動起こる。例のあやしげな二人組みの一人が、長女千代子(加藤忍)の元亭主である山下(畠中洋)と一緒にやってきた東京のレコード会社の男(伊原農)に夜這いをかけてきたのだった。もう一方の男は、首吊り自殺を図って失敗する。その二人は実はホモの関係で、長い間母親の経営するラブホテルに通っていたので、母親が世間体をはばかるようなことを日記に書き残していなかった気になって、実は康夫より先にホテルに忍び込んでいたのだった。通夜の翌日、康夫はどこから都合をつけたのか、飲み屋の女の亭主に15,000円渡す。そこへ康夫の妻の君江(富本牧子)が、香典が盗まれたと騒いでやってくる。怪しいのは通夜の相伴酒でトイレばかり行っていた見知らぬ男に違いないと取り押さえる。彼は香典泥棒ではあったが、彼の前に喪主である康夫の父親が、大阪万博の旅行費用分の20万円だけ盗んだのだった。康夫も香典から15,000円を抜き取っていたのだった。もつれにもつれた人間関係も最後には糸がほぐれるようにすっきりとする。
これを宮崎弁で演じているので親しみがあって、さわやかみのある喜劇に仕上がっている。

 
008 12日(日) 地人会第100回公演 『流星に捧げる』

作/山田太一、演出/木村光一、装置/石井強司
出演/風間杜夫、根岸季衣、山本学、中村たつ、田中壮太郎、他

紀伊国屋サザンシアター

 

【ストーリーと感想】
一口に言えば老いとボケの問題であるが、そのなかにさまざまな社会現象を織り交ぜた笑いとペイソスに溢れ、観て得をしたと思えるドラマ。
創立百年以上の歴史を持つ由緒ある善明女子学舎の創立者の4代目で、理事の毛利信行(山本学)は足が不自由で車椅子の生活をしており、極端に人嫌いな老人で長年家政婦のとき(中村たつ)以外とは人と会わない。その彼がパソコンのサイトで「動かない風見鶏、車椅子、独り」という謎のような文句の割り込みメールを流したことから、たちまち独り暮らしの老人ということで、お金目当て(だけではなそうなのもいるが)で訳の分からない連中が押し寄せてきて、ときの説得を振り切って結局3人の若者の居候を許してしまう。毛利老人を取り囲んで集まったそれぞれの人物の状況に興味が移る。
ユニフォーム会社の経営者井原(風間杜夫)は会社の経営資金難を乗り切るために、毛利老人を取締役に迎えて資金の出資を頼むのが目的であった。首尾よく彼は銀行預金の通帳を任された上にカードの暗証番号まで教えてもらう。しかし彼も根っからの悪人ではなく、毛利老人のボケによるものではないかと疑念を抱き、どうしたものかと迷ってしまう。そんな彼の尻を後押しするのは元保険外交員で、毛利老人の今を拝借して売れない占い師をしている藤井彩(根岸季衣)。
家政婦のときが心配したように、毛利老人のボケが始まっていたのだった。彼の記憶は突然12年前に遡り、井原を「タツオ」と呼ぶ。タツオとは毛利の息子の名前で、12年前彼が運転する車の事故で死なせてしまったのだった。彼が車椅子の生活に頼るようになったのもその事故が原因だった。
毛利は、彼の元に集まってきた連中を、今や、逃げた妻や、愛人や、母親と思い込む。同じ12年前、浮気がばれて妻のナツエは家を出て行ったのだった。家政婦のときはそんな毛利の妻に反感と敵意をもっており、毛利老人を支えてきたのは自分だという自負の満足感の中にいる。
ボケの世話はできないと居候のフリーター川田(田中壮太郎)は、同じ居候で工務店の営業マン鈴木さんご(佐川和正)と一緒に出て行こうとする。彩は、毛利老人が預金通帳まで預けたのは、井原の人物を信用したからであり、井原は残って面倒をみるだろうと押し付ける。はじめは戸惑っていた井原も、毛利のぼけた姿を見て、すすんで老人の息子になりきる。ここらあたりの人情が山田太一ならではのペイソスと笑いがある。
山田太一の作品には悪人が出てこない。誰もが人間としての弱みを持っていて、どこか気を惹かれずにはいられない。
誰にも押し寄せてくる老い。その老いに、自分はボケるのではないかという恐怖感を、この年になってくるとよく理解できる。そのなかで、フリーターや出社恐怖症の女性、保険会社の外交員、バリアフリーの売り込みにきた工務店の営業マン(山田太一の手にかかると悪質な業者でなく、気の弱い人間になっている)、そして経営資金難になって銀行から融資を断られたユニフォーム会社の経営者は、銀行はただ本部からの指示だからというだけで、人格が見えないことに苛立ちと怒りの向け先がない。今の社会にごくフツーにありそうなことばかりである。

 
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