シェイクスピア以外の観劇記録・劇評

 

2月の観劇日記
 
005 11日(土) 『ガラスの動物園』

作/テネシー・ウイリアムズ、訳/小田島雄志、演出/イリーナ・ブルック、美術/ノエル・ジネフリ
出演/木場勝己(トム)、木内みどり(アマンダ)、中嶋朋子(ローラ)、石母田史朗(ジム・オコーナー)

新国立劇場・小ホール

【ストーリーと感想】
初めて『ガラスの動物園』を観たのは流山児事務所の公演で、その時小田島雄志訳で新潮社文庫本を買った。それを娘の七保が珍しく僕の書棚から引き出して読んで、感激して泣いていた。それでこのドラマを是非みたいといっていたので、今回新国立劇場での上演で二人分のチケットを早くから予約していた。

公演当日、入口で知った顔の女性に出会わし、「いやあご無沙汰しています」と喉から声がでかかった時、目の前の他の人に彼女が先に挨拶をしたので、はっと思い出したのは、彼女は女優で演出家で劇作家でもある渡辺えり子だった。まったくフツーのおばさんに見えるので、知っている人と勘違い。

余談の方が長くなったが、この戯曲は回想劇でどのようにも演じられる、と作者自身が指摘しているように、いろんな演出や俳優で観てみたい作品の一つである。予備知識としては、回想を語るトム役の木場勝己の出演がまず楽しみであったが、それは十分に楽しませてくれたが、今回の僕にとっての強い印象は、ローラ役の中嶋朋子であった。目や、その手の仕草で表現されたガラスのように壊れやすい繊細な感情が痛ましく伝わってきた。

紗幕のスクリーンにガラスの動物たちが走馬灯のように映し出され、誌的なイマジネーションをかきたてる。紗幕が非常にポエトリーな効果を果たしていたのもこの演出、美術の特徴であったと思う。ローラの顔が大写しで映し出されるの最後の場面は、心に強い印象を残した。

娘の感想。本で読んだ方が感動的で泣いてしまったけれども、この舞台もよかったという。

<追記>
トムの母親アマンダに何か物足りなさを感じていたが、その理由が朝日新聞の芸能欄で、編集委員の山口宏子の劇評(2月15日,夕刊)で分かった。アマンダが生活の糧にしている雑誌の電話セールスの場面が完全にカットされている。イリーナ・ブルックの意図的な演出であろうが、その点でアマンダにうすっぺらな不足感を感じたのだと思う。

<追記 その2>
2月16日付け、日本経済新聞夕刊の演劇欄で、編集委員の内田洋一が評する、「中嶋朋子のローラに目がくぎづけになる・・・中嶋のローラは胸の奥にうずくような痛みを起こすのだ」に同感。

 
006 12日(日) 木山事務所公演 『ハリウッド物語』

作/クリストファー・ハンプトン、訳・演出/勝田安彦、美術/石井みつる
出演/宮田充、内田稔、可知靖之、林次樹、村松恭子、広瀬彩、北川勝博、菊池章友、他

俳優座劇場

 

【ストーリーと感想】
木山事務所の「‘5戦後とシリーズ5」の、硬質感を感じさせる作品。

日本人にはなじみがない、というか僕は全く知らなかったハンガリーの作家エデイン・フォン・ホルヴァート(宮本充)を語り手にして、ドイツのナチからの亡命作家達を中心にした1938年から50年までにかけての回想形式のドラマ。そこにはトーマス・マン(可知靖之)やその兄ハインリヒ・マン(内田稔)、ブレヒト(林次樹)などが登場する。

語り手のエドは実際には38年、映画の打ち合わせのために訪れたパリで、暴風雨の中で倒れた木の下敷きになって死亡している。ドラマはそこから展開するのだが、死亡したのは偶然に隣り合わせていた作家らしき人物で、エドは偶然の差で助かっていて、この物語が閉じる段階で、プールで水死する設定になっている。従って、この物語は死んでしまった人間が語る、実際に起こり得た虚構の世界として展開する。その意味で、エドは傍観者でしかない。現実に寄与しない存在として、実際に存在した人物たちと関わる。ドラマの中でエドは、40歳の誕生日をアメリカの亡命生活の中で1941年に迎えるが、彼は実際には37歳でその生涯を終えている。

ハリウッド物語の原作名は、‘Tales from Hollywood’で、「ハリウッドからの物語」となっていて、‘Tales of Hollywood’ではない。ハリウッドについての物語ではない。が、ナチの迫害を逃れてアメリカに亡命してきた著名な作家たちが、彼らの芸術至上主義とアメリカの商業主義の違いのはざまで行き場を探しあぐねる姿があぶりだされる。

トーマス・マンと兄のハインリヒとの確執、不仲。マンの俗物主義的考え。ブレヒトの原理主義的な芸術志向などが、エドとの関係において漫画化されていく。特に、マンについては『ブッデンブローグ家の人々』や『魔の山』で親しんできただけに、ドラマで描かれる俗物主義的な姿勢にある種の幻滅感を覚える。ブレヒトについては、これまでにいくつかそのドラマを観てきたが、概して面白いと思ったことがないので、エドとの決定的決裂の場ではむしろエドに共感した。この3人を演じる可知靖之、内田稔、林次樹はそれぞれに存在感を感じさせる演技。

圧巻は、ハインリヒの妻ネリーを演じた村松恭子。エドの40歳の誕生日に、全裸の姿でエドに祝いの言葉をかける。年老いた作家と結婚した若い妻の鬱屈した痛ましさを感じさせただけでなく、トーマスやハインリヒなどより、よほど現実を生きている存在に感じた。それゆえに、亡命生活の作家たちにはない現実の痛ましさを感じさせるのだと思う。

ハリウッドのプロデユーサー、マネーやソ連領事館員を演じる北川勝博の演技も実によかったと思う。

 

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