シェイクスピア以外の観劇記録・劇評

 

1月の観劇日記
 
001 7日(土) 新宿梁山泊公演 『楽屋2006』


作/清水邦夫、演出/金守珍
出演/池田美香、沖中咲子、梶村ともみ、草野小夜架、他

下北沢、ザ・スズナリ

【ストーリーと感想】

舞台はすべて楽屋裏。登場人物は舞台に上がることを夢見る二人のプロンプター。しかし実は彼女たちは存在しない存在、つまり幽霊である。楽屋裏でいつかは立てるという舞台を夢見て、自分が想像する役のメイクに余念がない。お互いにその夢の実現できないことを揶揄しあう。そこにもう一人、チェーホフの『かもめ』のニーナの役が取れなかった女優の卵が加わる。3人になったところで、そのニーナになりそこねた新人をイリーナにして、チェーホフの『三人姉妹』の最後の台詞が3人で語られるというところで終わるというオチ。
日本で上演されるチェーホフのほとんどの劇が、僕にとっては退屈で面白くないものが多いのだが、このようにアドリブ的になったものはなぜか面白い。チェーホフは自分の作品を喜劇だといっているが、その喜劇性が普通の上演では感じられないのが、こういった形だとその諧謔性が出ていて面白いのはなぜだろうか。

 

002 15日(日) 俳優座公演 『喜多川歌麿女絵草子』

 

原作/藤沢周平、脚本/池田政之、演出/安川修一、美術/宮下卓
出演/中野誠也、荘司肇、河野正明、森一、志村要、島英臣、岩瀬晃、清水直子、他

紀伊国屋サザンシアター

【ストーリーと感想】
時は寛政の改革の松平定信が失脚した直後。歌麿40歳代で実力、評判とも絶頂期。彼を見出し育て上げた蔦谷重三郎は寛政の改革の処分のあおりで身代半分となり、かつての気力がない。浮世絵も美人画の時代から役者絵に時代の風靡が移り、美人画以外には絶対描かないという歌麿に役者絵を描かそうとする。歌麿は蔦谷の気概が萎えたことにむしろ反感を抱く。評判・実力ともに世間の評判では絶頂期にあるといいながら、筆の力が衰えてきたことを歌麿自身が一番気付いている。蔦谷もそれを見抜いていて、歌麿は彼の口からそのことを言い出されるのを恐れている。歌麿は、自分の描く美人画の女性はただ美しいだけでは満足できない。内面の不可解な怪しみを秘めた女性に惹かれるが、歌麿が描く女性がことごとく不幸な運命を辿る。それで彼が美人画のモデルに選ばなければそのような不幸に陥らなくてすんだのではないかと自責の念に駆られるようになる。歌麿は自分が描きたいものなら盗んでも描けというのが絵師の務めと信じてきたにもかかわらず、このごろでは自分が女たちを不幸にしたのではないかという気持にふさぎこむ。一方では、彼の身の回り一切をする女弟子の千代の女心が痛々しく伝わってくる。歌麿を思う気持が切なく伝わるだけに、観ている者をして、歌麿よ、おかみさんにしてやれ、という気持になるのだが、そこが芝居の見せ所で、結局は千代は他人に嫁いでしまう。歌麿に役者絵を断られた蔦谷は写楽という無名の正体の知れない絵描きを見つけて彼に描かせる。その下絵を見せつけられた歌麿は衝撃を受ける。これまでの役者絵とは異なり、役者本人の顔がそこにある。歌麿失意の中にも、蔦谷の向こうを張って吉原のきれいどころ十人勢揃いさせた美人画で勝負しようと若狭屋の申し入れが入る。歌麿はそれを受けるかどうか迷っており最後までその結果は判然としない終わり方であるが、演出ではこの吉原の美人画で歌麿の新天地が開ける未来を感じさせる印象を感じた。歌麿の中野誠也が特によかった。そして千代の清水直子に可憐な情感を感じた。

参考のために藤沢周平の原作と読み比べると、内容に少しずつ違いがあり、そのこと自体も面白いと思った。

 
003 21日(土) 燐光群公演 『スタッフ・ハプンズ』

作/デイヴィッド・ヘアー、訳/常田景子、演出/坂手洋二、美術/二村周作
出演/中山マリ、鴨川てんし、川中健次郎、猪熊恒和、大西孝洋、江口敦子、他

【ストーリーと感想】
9・11後から、イラク戦争開始までのプロセスを実名の政治家を登場させて、どのようにその決定がなされていったかをカリカチュア化して描く際どい政治劇。イギリスの劇作家による作品であるから、これはイギリスの立場から見たイギリス人のブレア首相に対する強烈な諷刺劇となっているが、それにしても実名でこれだけののものが上演されるということがすごい。イラク戦争開始の決定に至るプロセスにおいて、ブレア首相のアメリカへの盲従ともいうべき追従を痛烈に漫画化している。イギリスの作品だから日本のことが出てこないといえばそれまでだが、アメリカの同盟国といいながら、日本のことがブッシュ大統領からも、その側近からもまったく言及されないという、日本の立場とは一体何なのか。ここではブレア首相が徹底的にカリカチュア化されているが、それだけに日本はもっと主体性をもって考え、行動すべきではないのかと改めて感じさせられる。というより、自立的な見識もなくイラクへの自衛隊派遣を決定した日本の政府、というより小泉首相の愚かさを見せつけられた思いがする劇である。発言の内容にリアリテイがあって、実名で登場する政治家を扮する俳優の顔が、実際にそのように見えてくるのもすごかった。とくに吉村直のパウエル国務長官、杉山英之のブレア首相はそっくりさんと思えるほど似て見えてくる。猪熊恒和のブッシュ大統領も、段々とそのように見えてくるから不思議だ。それは台詞が持つ力だと思う。このドラマを要約する難しさはその発言内容の要約だけでは全体の様相が損なわれてしまう、その絡み合いの妙味が見どころだからである。

政治の場における言葉の使い方で恐いと思ったのは、劇中でブッシュ大統領が国連演説の中で原稿にない発言をして、その中で‘resolutions’(決議案)という単語を単数で言うべきところを複数形で不用意に言ってしまったために、そのことが後々政治的駆け引きの重要な問題を担うことになる。それをうまく利用して使うフランスの外交交渉にも、日本とは段違いの外交手腕とそのしたたかぶりを感じさせられた。そして英語の単数形と複数形、冠詞の使い方の恐ろしさを改めて思った。

 
004 29日(日) こまつ座公演 『兄おとうと』
 
作/井上ひさし、演出/鵜山仁、美術/石井強司、音楽/宇野誠一郎
出演/辻萬長、剣幸、大鷹明良、神野三鈴、小嶋尚樹、宮地雅子

ストーリーと感想】
3年前の上演と同じ俳優で再演。再演とは言いながら、今回は1場増えて、第2幕4場に「説教強盗」の場が追加されているので、全く同じとは言えない。あえてなぜこの場面が挿入されることになったのかが興味深い。
物語は日本の民本主義の先駆者、吉野作造とその弟信次兄弟を軸にして展開していく。二人は東京帝国大学を首席で卒業する兄弟揃って秀才であるが、兄おとうとの進む道と考え方は正反対に分かれる。兄は民本主義の理想論者となり、弟は大日本帝国の官僚となって法の番人を任ずる。弟は兄の言論を反逆罪、不敬罪と責めて、二人の仲は決定的に遠ざかってしまう。
吉野作造を演じる辻萬長とその弟信次を演じる大鷹明良の役柄の対比がよく出ており、その二人の妻を演じる剣幸と神野三鈴も持ち味を感じさせる。
場面ごとにその役柄を変えて演じる小嶋尚樹と宮地雅子の演技が、一場一場実に面白い。
特に印象的なのが、小嶋尚樹が、吉野作造に天誅を下さんとする右翼の学生を演じる場面が面白かった。
また、最後の場面「寝言くらべ」ではこの二人が、箱根湯本温泉の小川屋旅館で不思議な兄妹、太吉とお春を演じ、その再会の場面は笑わせるとともに、泣かせてくれる。
9年間も疎遠な関係となって会っていなかった作造と信次の兄弟の再会と和解は理屈っぽい関係だが、太吉とお春の再会は、理屈も何もない人間としての情愛を肌に感じさせるもので、その対比がまた実にいい。
井上ひさしの凄さは、憲法や法律の問題を日常の言葉の次元におろして語らせるところにある。
彼の最近の上演作品を見ていると、この国がどんどんおかしな方向に進んでいることを痛感させられる。

平和とは何か。
それは「三度のごはん、きちんとたべて、火の用心」という言葉に集約される。
なんと分かりやすい言葉であることか。そんな、単純なことが守られないようでは、国家のありようがない。

 

 

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