02年の観劇日記別館
 
  文学座公演 『人が恋しい西の窓』      2002.10.11
 

ユーモアとペイソスに溢れた山田太一のヒューマニズムの悲喜劇。

この物語の主人公中江田英治(坂口芳貞)が、繰り返し口に出す、「人は事実だけでは生きていけない」という言葉が、真実が明るみに出てくるにつれて説得力を帯びてきて身につまされるようになる。

この物語のキー・ファクターは「古箪笥」。

そのことが明らかになるのは、英治の父小杉重行(飯沼慧)の告白からであるが、それはこの物語の大詰めでのこと。英治の父は45年前、英治がまだ8歳のとき忽然と姿を消し、その後まったく消息を絶ってしまう。それが突然英治の前に顔を出すのは、英治が長年勤めてきた会社をリストラされ、その上、妻元子(八木昌子)にも離婚されて一人ぼっちとなってしまった直後のこと。父はその間、息子英治を陰ながら見つめてきていたように、英治の消息をよく知っている。英治の母が6年前に亡くなったことも知っている。だが、彼の住所を知らず、英治のリストラされた会社に訪ねていって彼の住所を尋ねている。会社では住所を教えてもらっていないのに、なぜか突然、英治のマンションに現れる。よく考えてみるとつじつまの合わない矛盾を感じさせる。

英治は当然のことながら、父親の受け入れを拒否する。その夜は何とか追い返しはしたものの、数日後父親は便利屋(三木敏彦)を使って荷物を運び込んでもらい、英治のマンションに強引に居座ってしまう。英治の「人の良さ」の優柔不断が、結局はそれを受け入れてしまう。彼がリストラされたのも、離婚されたのも、本当は彼が持っている本来の気質であるこの「人の良さ」からくる優柔不断であるように感じられてくる。中小企業の営業部長として辣腕をふるい、自他ともに自負していた「会社は俺が支えている」という強気が表の顔とすれば、彼の内面は実はその反対の弱さに包まれている。彼を訪ねてきた元部下である女子社員(山田里奈)からは、節度ある上司として尊敬もされていたのは、表面上の強がりの姿勢が彼をストイックに抑制させていた結果である。その緊張の糸がリストラと離婚でぷっつりと切れ、自制心を失って女子社員に抱きつくという失態を演じる。その英治を演じる坂口芳貞が、コミカルで哀れなリアリテイを感じさせる。

英治の人の良さと気弱さは、その女子社員が訪ねてきているときに(開幕の場面では観客にはそのことが分かっていない)、別れた妻が忘れ物の荷物(へそくり)を便利屋を連れて取りに来て、女子社員を慌ててバス・ルームに隠れさせたり、その便利屋のことを彼女の恋人か何かと気を回してなんでもないそぶりをして見せたりすることにもよく表現される。

英治の妻だった元子の恋人平川(今村俊一)が便利屋の案内で、英治のマンションを訪ねてくる。あいにく英治は不在で父が応対する。用向きは、英治に「自分がどんなにつまらない」妻であったかを聞いてくるように、元子から言われたからである。平川は元子との結婚を望んでいるが、元子は恋人の関係のままでいたい、結婚すれば自分がどんなにつまらない人間であるか分かってしまう、だからそのことを元夫の英治に聞いて来い、と言われたのである。このあたりの話も現実にはありえないような話であるが、今村俊一のキャラクターが妙に説得性をもたせる。二人の関係が離婚前からであったことを聞いた重行は烈火の如く怒り、平川と彼の後を追って訪ねてきた元子と、便利屋の3人を追い返す。

重行は、英治の妻だった元子の不倫のことを知ったその夕方、英治に2,3日中に英治のマンションを出て行くことを告げる。英治は妻の不倫のことは知らないままであるが、重行はそのとき初めて自分の失踪の原因についての真実を語る。重行の失踪の原因は、英治の母の不倫であった。母の俳句の師匠であった大塚安太郎が、その相手であり、「古箪笥」はその大塚からの結婚祝の贈り物だった。重行は以前から妻の不倫を疑っていたが聞き出せずにいた。しかし、英治が8歳のとき、家族で大洗の海水浴場に行き、重行はそこでついに妻を問い詰め、真実を知り、そしてそのまま失踪してしまったのだった。だから重行が初めて英治のマンションを訪ねたとき、いまだに捨てられずにいるその「古箪笥」があるのに気づいて、強いショックを覚えるのだった。

そして重行は、英治を「見れば見るほど、おまえは大塚安太郎に似ている」と繰り返し言う。しかしながら、英治が妻に裏切られていたことを知っている重行の口から、英治が「大塚安太郎に似ている」と繰り返し言えば言うほど、「おまえは俺に似ている」と言う風に聞こえてくる。親子に二代に渡って妻に裏切られるという共通性。

あれほど父に「出て行ってくれ」と言っていた英治が、血筋からすれば他人であるその父をいまでは引きとめようとする。自分の妻の事情を知らない英治の「人の良さ」が、ますます滑稽なまでに悲しく見えてくる。「人は事実ばかりでは生きていけない」という言葉が、本当は英治に必要な言葉だと、人は知る。

西の空には夕焼けと、カラスの鳴き声。そして、二人の男の「孤独」。

(作/山田太一、演出/坂口芳貞、装置/石井強司、紀伊国屋ホールにて、10月11日夜観劇)

 

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