高木登2001年の観劇日記別館
 
  演劇集団円公演 「永遠 PARTU 彼女と彼」観劇日記 
 

暗い。とにかく暗い。

人間の<業>を背負った闇の暗さ。吸血鬼を愛した女1。そのために百万年の<生>を生きねばならない。愛した吸血鬼は、百万年の生を終え、灰となって消えた。女は、生きるために血を吸う。百万年を生きる<業>を背負って。死ねない苦しみを噛みしめながら。その女が、自分が愛した吸血鬼と似た男と出会う。男は<僧侶>。男も<業>を背負って生きている。男は真面目な職人であった。ふとした巡り合わせで深い仲となった娼婦と心中をはかって海に身を投げたが、不運にも自分だけが助かってしまう。そして男は僧侶となり、日夜読経に身を託す。そして男は、夜、女と出会い、互いに愛を感じあう。だが、女は愛する者を三度までしか愛すること(=吸血)を許されない。永遠の愛のために、女は男の吸血を耐え忍ぶ。男は愛を求める。そして、二人はお互いの過去を語る。男は<永遠の愛>を求めて、女の身体のすべてを食い尽くす。男は、死が至るまで、もう何も食べることは出来ない。女は男の体の中で永遠に生きる。二人は<死>を手にしたがゆえに、真に永遠に<生きる>。粘着質の軟体動物のような声の肌をした岸田今日子と、剛直で甲殻類の肌合いをした野太い声の渡辺謙が、がっぷりと渡り合って濃縮された緊張感ある舞台である。この緊張感と暗い気分を救ってくれるのは、浮浪者である男1の吸血鬼、三谷昇。この浮浪者・男1は、「永遠 PART T」で、現世の生に絶望して、闇の生を求めて女1に血を吸ってもらう。それからは、自分を蔑んだ目で見てきた若い女の血を吸いまくることに喜びと快楽を見いだす。だが、この「PART U」では、もうそんなことにも飽きてしまい(というより百万年生きなければならないことに疲れて)、今では若い女の血を吸うこともやめて、点滴で血を補給している。三谷昇の男1は「ハムレット」における<墓堀人>、「マクベス」における<門番>のような役割である。

<女1>が<僧>に食べられて、肉体が浄化されても、<闇>は依然として心に重くのしかかったままで、最後まで救われない気分をかかえて見終えた。

作/岸田理生、演出/山本健翔、紀伊国屋サザンシアターにて、6月23日(土)観劇

感激度 ★  

<感激度寸評> この劇は、おそらくじんわりと、長い時間がたって、その印象がふつふつとわいてくる作品だろう。だが、今観たその瞬間の印象は、暗く重いがために、私の感激度は今ひとつ。芝居は、観て楽しく、面白くありたい。(作品の価値観と感激度の尺度は断るまでもなく異なる)


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