2025年髙木登観劇日記
 
   『マクベスに告げよ~森の女たちの名前を』           No. 2025-040

 <マクベスが知らない「魔女」にされた女たちの行方を院長が知っている。日本の精神医療の闇は深い>と、『マクベスに告げよ』と題したタイトルと、精神科医で劇作家のくるみざわしんの書下ろしという言葉に引き寄せられた。
病院を舞台にしたシェイクスピアの翻案劇はこれまでにもいくつか観たことがあるが、『マクベス』の翻案劇としては初めてだった。
 観劇した印象としてはシェイクスピアの『マクベス』というより、日本の精神医療の現状告発という方が強かった。
 精神病院で亡くなった三人の患者たちが「森の女」たちとして、それぞれの鉄格子の独房の中から、『マクベス』の魔女たちの「きれいはきたない、きたないはきれい」の台詞を交えて自分たちの運命を訴えるところから始まる。
 森の女たちには名前がない。病院の院長からは「分裂病の人」としか呼ばれず顔さえも覚えられていない。
 その病院では7年前にある事件が起こって、その事件で無罪となった看護師が戻ってくる。
 病院長は、自分が頼んでいた拳銃(モデルガン)を事務長から渡され、満足そうに拳銃をなでる。
 その病院では、一般病棟と異なる6号病棟があり、一般医療と精神医療を一緒にした治療をする特殊な病棟で、他の病院で受け入れられない患者を積極的に受け入れ、収益第一主義としている。
 7年前の事件とは、看護師石岡が患者に馬乗りになって首を抑えて死なせてしまったが、裁判では業務上の事故ということで無罪となっている事件で、その後石岡は、夢の中で森の女たちと出会い、その事故に対する責任を感じ、患者と心から接することを決心するのだが、皮肉にも彼が配属されたのは6号病棟であった。
 石岡は、そこで自分は天皇家の血筋の生まれで家族からも阻害されたという妄想を抱いていて、家族から見放された女性患者の坂上と出会う。彼女が拘束され入室させられる部屋は、石岡が殺した患者の部屋であった。
 坂上は、「反対の反対、反対の反対は反対」という言葉を繰り返し、診察中の院長神滝を戸惑わせるだけでなく、いつの間にか患者と診察医の立場が入れ替わる。
 6号病棟では、新薬などを多量に与え、患者を薬漬けにしてしまう。坂上はその薬を自分に必要なものだけ選び、あとは飲もうとしない。石岡は坂上に協力してその他の薬を便器に流して捨て去ってしまう。
 指示に従わない坂上を院長は彼女を身体拘束することを命じる。最初に石岡がそれに反対し、彼の頑なな反対についに看護師長も折れ、他の看護師もそれに協力し、ついに病院長への造反が始まる。
 孤立した院長は、引き出しから拳銃を取り出す。石岡たちは一瞬たじろぐが、院長はその拳銃を自分の頭に向けて引き金を引く。皆が驚いているところで、モデルガンだと言った後、「一人にしてくれ」と言ったところで場面は大きく転換する。
 病院長は、患者たちの名前と顔写真を見ながら執務している。分裂症の患者としか呼んでいなかった亡くなった患者に対しても今は名前で呼んでいる。
 6号病棟は今や患者たちのサークル作業所、ワークショップとなっていて、院長服を脱いでラフな格好で執務しているデスクにやってきて、今はそのワークショップの責任者となっている石岡が院長に今日は「うどんです」と言って、食事に誘いにやってくる。
 今は退院した坂上もやって来る。院長は自分が彼女から察を受けたんだと告白し、彼女の作業所のうどんを一緒に食ベル誘いにのり、最後は円満な結末で締められる。
 精神病院での看護師による患者への虐待は、身近では2022年の滝山病院の事件報道があるが、この劇は、結末のハッピーエンドを除いて、劇中の出来事はすべて事実をもとにしたドラマである。
 シェイクスピアの『マクベス』とは、森の女たち(=魔女)の「きれいはきたない、きたないはきれい」の真逆の台詞と、それを体現化する患者坂上に関連性を感じるものの、全体としては現在の精神医療体制やその体質への痛烈なる批判、風刺の劇の感じのほうが強く感じられた。
 マクベスという名は、この劇中で精神病院の三代目の院長が子供の時代、将来の院長として(将来王となる存在として)周囲から恐れられながらちやほやされてきたことから彼を指している。
 個人的にはこの劇における精神医療の問題は非常に近しく、現実のものとして実感として受け取れるものであったが、その深いところでは、終演後のくるみざわしんと一般社団法人精神障害当時社会ポルケの代表理事山田悠平とのアフタートークで、もっと驚かされる事実を知らされた。
 劇中、病院長の神滝が拳銃を入手するが、これは2010年から社団法人日本精神科病院協会の会長を務めている山崎学が、2018年の協会誌に「(患者への対応のため)精神科医にも拳銃を持たせてくれ」と書いている事実に基づいたものである。
 また、神滝病院は祖父から三代続く精神病院であるが、山崎の病院も親子二代続く病院で、彼は「身体拘束で、なぜ心が痛むの?」と言って、「一般病院での拘束のほうがはるかに多く、精神福祉法に則った拘束で法に沿った措置で何も心が痛むものはない」と語っている。
 法律がすべて正しいとは限らないことは、ハンセン病患者への優生保護法など見れば自明のことであり、そこに何も疑問を感じず、法に従った措置だと公然と言い放つ姿勢に驚かざるを得ないだけでなく、そんな彼に国は、2016年、旭日重光章を授けている。
 くるみざわしんは、国家資格の制度にも疑問と批判を語っているが、まさにその通りだと思う。
 精神医療現場で実際に自分が見分してきたことの中に、患者の診察が3分となく、医療室に入ったかと思うとすぐに出てくるのをいくたびも見てきたし、やたら多くの薬を処方するのもそばで見てきた。
 反対に、患者の話を辛抱強く1時間以上かけて聞く精神科医も見ている。営業的にはこんな医師がいる病院は経営が成り立たなくなるのだが、くるみざわは潰れてしまえばいいのだと言い放つ。
 拘束バンドで患者を縛るところも実際に見てきたことがある。涙が出るほど悲痛な気持ちになる光景である。
 病院の窓口では、入院する患者の家族が、入院前に保証金10万円を請求され、「地獄の沙汰も金次第」と悲憤しているのも聞いてきた。
 シェイクスピアの『マクベス』とはかけ離れた感じの劇ではあったが、考えさせる劇であった。シェイクスピアのふところは深い。
 出演は、病院長の神滝に原口健太郎、看護師長に小林美江、看護師野木に三浦伸子、看護師中峰に滝沢花野、この三人は「森の女」も演じる。看護師石岡に岩戸秀年、事務長に川口龍、患者の坂上に大手忍の7名。
 上演時間は、休憩なしで1時間45分。

 

作/くるみざわしん、演出/東憲司
10月12日(日)14時開演、中野・劇場MOMO、チケット:(シニア)4000円、全席自由


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