2025年髙木登観劇日記
 
   鮭スペアレの持たざる演劇 『すってんテンペスト』         No. 2025-032

 口コミ情報で寺の場所が分かりづらいとあったが、途中までは地図を頼りに何とか行けたが、そこから先の方角が分からず、近くの人に聞いても知らなくて交番を教えてくれた。交番の高齢のおまわりさんも知らず、地図台帳を広げて捜してくれ、方向だけは分かった。寺が多くてどの寺か分かりづらかったが何とか迷わずに辿り着いた。
 開演前の待合室は寺の座敷で、開演後の10分間、その場でプロジェクターを用いての解説があり、その後、整理番号順に本堂に案内され、そこですぐに開演された。
 10分間の解説では劇団の名前の由来や設立時期などの説明に続き、本編の作品解説と登場人物の説明があり、この作品のテーマが「ゆるし」であることを語った。演出者の疑問は、プロスペローがなぜ赦すことになったのかということと、赦す気になったその時期と契機について、エーリエルのことばにあると中込遊理は解いて、演劇としては3幕3場の饗宴の場について、どのように舞台化できるかという興味を語った。
 2005年に中込遊理が旗揚げした「鮭スペアレ」は、2010年から「演劇は墓参り」として、ウタイと名付けたコンテンポラリー能としてその様式を定め、2014-5年に第1回本公演『幽玄音楽劇ロミオとジュリエット』を上演している。僕は、2017年10月の第2回公演『幽玄音楽劇ハムレット』のゲネプロを観たのが最初であった。
 第3回は、2018年12月、『鮭スペアレ版まくべす』、第4回、2020年2月、『物狂い音楽劇 リア王』、第5回は、コロナ感染の最中の2021年4月で、『肉体を持たないリチャード三世』と公演を続け、今回は久し振りの本公演の6作目で、自分は初回を除いて全本公演を観てきている。
 公演タイトルに「幽玄音楽劇」などの枕詞が付けられているところに興味と関心がわく。
 今回は「鮭スペアレの持たざる演劇」と称して『すってんテンペスト』がそのタイトルで、まず「持たざる演劇」と「すってん」の冠言葉に疑問と、関心、興味を覚えた。
 「すってん」については何も思いつかなかったので、試みに『広辞苑』にあたってみると、「すってん」は「すってんころり」で「勢いよくころぶさま」とあって、さらに「すってんてん」は「金銭や物がなくなったさま。株に失敗してすってんてんになる」とあって、そこでハタと気付いたのが「すってん」に、テンペストの「テン」をつなげると、「すってんてん」となって「丸裸になる、何も持たなくなる」の意となり、「持たざる」と結びつく。
 プロスペローは魔法を棄て、下僕として使っていたキャリバンやエアリエルを解放し、更には娘のミランダをもファーディナンドと結婚させて独りきりとなることで、まさにすってんてんになる。
 演出者の意図は分からないが、タイトルについては自分なりの解決が出来たように思う。
 そして「赦す」ことは、何もかも捨て、自分を裸にすることではないかとも思う。つまり、自分を追放した弟やナポリ王たちに対する復讐の念や怨みの気持を棄て去ることによって、自分を裸にして「すってんてん」になることが、「赦す」ことになる。これらのことについては、この観劇日記を書き始めて初めて思いついたことである。
 さて、本舞台について。
 露地のプロスペローを演じる中込遊理が鳴らす鉦の音で、舞台は始まる。
 嵐の場面は、全身黒い衣装の4人の登場者によってゆらぎの所作によって演じられ、やがて二人が衣装を着け、プロスペローとミランダとなり、残りの二人はウタイとして後方にさがる。また、脇には二人が楽器の奏者として座っている。全員で6人による舞台である。
 プロスペローとミランダの所作と台詞は、それぞれマイとウタイに分離されて演じられる。
  能様式のコンテンポラリーダンスを交えた所作は鮭スペアレの基本的な演技で、ウタイの美声とともに楽しませてくれる。
 ミランダをマイとして演じる上埜すみれは、ファーディナンドのマイも演じ、その二人を同時に演じるのにミランダの衣裳とファーディナンドの衣裳の両方を前後に着て、一人で二役を演じたのも印象的であった。
 3幕3場の「饗宴の場」は、露地のプロスペロー役の中込遊理が出て来て、その場の台詞の間、観客に目を閉じるように促してこの場を想像して下さいと言う。台詞を聴くことで想像力を楽しむ趣向としている。
 プロスペローの「赦し」は5幕1場のプロスペローとエーリエル(エアリエル)の会話に体現される。
 プロス「精霊(すだま)を、汝(おのし)は如何(どう)思ふ?」
 エリエ「若し人間であったら、憐然(かはい)さうだと思ひませう」
 プロス「俺もさう思ふであらう、ああ、空気に外(ほか)ならぬ汝(おのし)でさへ、彼らの苦しむのを見て、哀れと感ずるのに、彼らと同じ人間と生れて、同じ鋭い悲しみを味ひ得る俺が、汝よりも、同情が乏しくて何としよう?」
 と言って、プロスペローは骨髄にまで徹した怨みを棄てて、彼らを赦すことになる。
 この舞台の最期は、「閉場詞」のプロスペローの台詞を、出演者一人一人が台詞を引き継いで語っていき、最後は露地のプロスペローを演じた中込遊理が締めの言葉を語った後、観客に向って共に一本締めの締めを促し、一本締めで終わる。
 出演者と主な役は、露地のプロスペローに中込遊理、プロスペローに清水いつ鹿、ミランダとファーディナンドのマイに上埜すみれ、プロスペローのウタイやステファノー役にマサムネ葵、ミランダのウタイとトリンキュローに水上亜弓、楽器演奏とカリバン(キャリバン)に宮川麻理子。
 本舞台の上演時間は、70分とこれまでの作品と同じ長さの時間。
 終演後、出演者全員のアフタートークが30分間予定されていたが、自分は観劇の感想がかき乱されるのが好きでないので、そのまま会場を後にした。

 

訳/坪内逍遥、構成・演出/中込遊里、構成・ドラマトゥルク/宮川麻理子
衣裳/清水いつ鹿、能楽指導/一瀬唯
7月27日(日)15時開演、高円寺・曹洞宗瑞祥山鳳林寺、チケット:4000円


>> 目次へ