2025年髙木登観劇日記
 
   義庵 第5回公演 『リチャード三世』                No. 2025-028

 舞台中央には王座の椅子。舞台奥下手からグロスター公リチャードが、手に白薔薇を持って登場。その衣装は紫色のダブルのスーツで、右肩から背中にかけて獣の毛皮が貼りつけられており、片方の袖は中央部からカットされて腕が露わになっている。しかしながら、その容姿と容貌は普通人と変らない。
 「われらをおおっていた不満の冬もようやく去り」(小田島雄志訳で、この劇では文言が異なる)で始まるリチャードを演じる加藤義宗の独白の台詞の文言と言い回しは、これまで自分が親しんできたものと異なって、まったく現代的に聞こえた。
 リチャードが手にしていた白薔薇は、その場を立ち去る時、王座の背もたれの上にさして、この劇の最期の場面までそのままの状態で、今が白薔薇のヨーク家の時代であることを表象していた。
 その白薔薇は、リッチモンドがリチャードを倒して王座に就き、白薔薇と赤薔薇を統合すると言って王座から抜き取られ、投げ棄てられる。投げ棄てられた白薔薇は舞台中央に残ったまま、最後にその白薔薇にスポットライトが当てられ、舞台は暗転して幕となる。白薔薇がシンボルとしてまざまざと脳裏に残った終りであった。
 この劇を観終わって帰りの電車の中でパンフレットを確認すると、今回の訳が小田島雄志でなく、孫である小田島創志のものであることに気付き、今日の劇の台詞の違和感に納得がいった。
 今年4月の俳優座劇場最後の上演である『テンペスト』で、初めてシェイクスピア劇を翻訳した小田島創志の次回公演『リチャード三世』が二作目のシェイクスピア劇翻訳となることをその時知ったのにすっかり忘れて、小田島雄志訳と思ってずっと見ていた。
 小田島創試訳でリチャードを演じる加藤義宗の独白の台詞まわしは現代的な趣がして、これまで自分が観てきたリチャードと比べて、ねちっこさがなく、淡白な感じに聞こえた。
 リチャードのアンへの求愛の場面で、アンの衣裳が黒色のキュロットで、全体を黒いレースで覆っているものの膝から下の肌が透けて見えていて、その場にふさわしくない衣装だと違和感があったが、これはアンを演じる山崎薫がクラレンスの娘ほか、暗殺者など複数の役を演じるためで、あとになって衣装の着替えの問題からだろうと納得したものの、やはりその場としての違和感は拭えなかた。
 衣装については全般的にちぐはぐな感じで、特に市長役の衣裳とその演技は市長としてのイメージからはほど遠かった。市長登場の場面では、市長のみの登場で市民の登場なしで、リチャードの祈りの場面も彼一人での登場で、神父や司祭が一緒にいる多くの演出とは異なっていた。
 多くの舞台では、リチャードはせむしでびっこをひき、片手も萎えたような状態で登場するのがほとんどであるが、加藤義宗のリチャードは正常人の姿であり、ヘイスティング卿が魔法で自分の腕を萎えさせたという台詞の場面でも、ただ単に「魔法をかけた」と言うだけで、腕を枯れ木のように萎えさせたというような身体についての言及所作はなく、全体を通してリチャードの身体的欠陥を強調するような場面はなかったのも特徴の一つであった。
 主演のリチャードを演じる加藤義宗とバッキンガム公を演じる津村知与支以外の出演者は、一人数役を演じる。
 アンのほか複数役を演じた山崎薫をはじめ、エドワード四世を演じる土屋良太は、ドーセット卿、ラトクリフ、枢機卿をも演じ、伊沢磨紀はヨーク公爵夫人、クラレンス公、イーリー司教、サリー伯、使者を演じ、マーガレットを演じるのぐち和美は大司教も演じ、劇の大半をエリザベス役で演じる日下由美も最後の方でリッチモンド側の騎士ハーバートを演じた。その他の出演者としては、へースティング卿他を演じる今拓哉、スタンリー卿他の細貝光司、リッチモンド他の渡邉りょう、ケーツビー他の伊藤白馬、総勢11名。
 これまで観てきた『リチャード三世』と比較して何となくスケールが小さく感じられたのは、ただ単に劇場のスケールの問題ではなく、リチャードが等身大の人物に見えたことと、全体的にコンパクトにまとめられていた感じのせいだろう。
 小田島創志訳による『テンペスト』や『リチャード三世』の舞台は、第三世代の翻訳で新しいシェイクスピア劇の時代がきているような、そんな舞台であった。
 上演時間は、途中15分の休憩を入れて、2時間35分。
 なお、冒頭のリチャードの独白の始まりの小田島創志訳をパンフレットで確認すると、「ヨークの太陽に照らされて、俺たちの不満の冬は、今や栄光の夏に変貌した」となっていた。

 

翻訳/小田島創志、演出/小笠原響
6月18日(水)14時開演、新宿シアタートップス、チケット:6500円
座席:C列5番、パンフレット:600円


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