2025年髙木登観劇日記
 
   演劇ユニット・キングスメン第3回公演、『ロミオとジュリエット』   No. 2025-001

― Fear No More ―

 副題についている'Fire No More'については、シェイクスピアに扮して序詞役を務める柳誠直(変名)が、開演の10分ほど前から始めたマエセツで詳しく説明された。
 'Fear no more'は、『ロミオとジュリエット』よりおよそ15年後の1610年頃に書かれた『シンベリン』の4幕2場で、死んだ(と信じられる)ヒロインのイノージェンを埋葬する場で、実の兄たちによって謳われる一節で、それは、
  Fear no more the heat o'th'sun,      「もう怖くない、夏の暑さも
  Nor the furious winter's rages.       荒れ狂う 冬の嵐も
  Thou thy worldly task hast done,      この世での 務めは終わり
  Home art gone, and ta'en thy wages.     給金をもらい 家路をたどる」 (松岡和子訳)
 イノージェンは、実は死んだのではなく仮死状態となる薬を飲んで死んだものと思われ、埋葬される場面である。薬を飲んで仮死状態になるところがジュリエットと重なるという共通からこの台詞が引用されているのであるが、話はそこで終らず、敬虔なクリスチャンである柳は'wages'について「給金」の外に「罪の報い」の意味があることを『ローマの信徒への手紙』の一節(6章23節)'The wages of sin is death'(罪の報いは死なり)を引いて説明する。このwagesについては松岡和子訳の「給金」をはじめ、坪内逍遥訳でも「其の代」と訳していて、労働の報酬としての労賃の意としていて、「罪の報い」の意味を採用していない。また、アーデン版やニューケンブリッジ版でも特にそのような註釈を加えていない。シュミットのLexiconも「罪の報い」の使用例を挙げていないが、英英辞典のWebsterなどには「罪の報い」の用例として先に示した「ローマ人への手紙」の一節があげられており、普通の英和辞典にも「罪の報い、応報」などの意味を載せている。
 僕が感心したのは、柳が敬虔なクリスチャンだからこそこの語彙に注目した点である。翻訳では二つの意味で表すことはできないので一つの意味でしか訳せないが、原文を読むことの大切さはこんなところにもあるのを痛感した。実を言えば、『シンベリン』は昨年原文を再読したばかりであったので、余計に目からうろこの感がした。
 自分にとって今回この公演を観た価値はこのマエセツだけでも十分にあったと言っても過言ではない。
 マエセツで語られたその他の事は、当日配布されたチラシに記載されている内容の繰り返しで、今回の上演がシェイクスピア時代の上演形式と同じように「電気による音響効果や照明効果を使用しない」ことや、「一人の役者がいくつもの役を演じる」ということで、シェイクスピア時代の観客になったつもりで御覧くださいというものであった。
 この序詞役は、観客席の最前列に座っていてそこから登場し、プロローグをはじめ、劇の進行役を英語で演じたのがこの公演の大きな特徴の一つであった。
 肝心の舞台については、一番目についたのは何と言っても一人複数役であった。それは過剰とも言えるほどで、特に際立ったのはジュリエット役の絵里が、キャピュレット家の家僕グレゴリをはじめとして、モンタギュー夫人、マキューシオまで演じるので、始めから終わりまで舞台に出ずっぱりの状態であった。今回の出演者の顔ぶれからするとマキューシオをやれそうな者が他にいなかったのでやむを得ないところかも知れないが、登場人物の造形としてこの兼役は自分としては余り感心できなかった。
 変ったところではロミオと大公エスカラスを演じる平澤智之がジュリエットの乳母を演じたのと、ユウキがその乳母の娘スーザンを演じ、ロミオと乳母が同時に舞台に登場する場面では、別の乳母の姿で乳母役を務め、他にティボルトとパリスをも演じた。
 修道士ロレンスを演じる林勤衛がキャピュレット夫人も演じているが、これはまったく同一人物だと気付かなった。
 ベンヴォーリオを演じた鈴木吉行は他に修道士ジョンを兼ね、序詞役の柳誠直は薬屋の役も演じた。
ロミオとジュリエットの結婚する場面では、出演者と共に観客も一緒になって讃美歌312番の「慈しみ深き」を歌う趣向が取り入れられていた。
 少し意外であったのは終わり方であった。ロミオとジュリエットが死んで舞台上に横たわっているところで終るかと思ったのだが、二人はそこでおもむろに起き上がり、毒薬の小瓶と短剣を二人の形見のように舞台上に残して観客席の方へと退場していく。薬瓶と短剣が二人を表象するものとして残されたことでそこで終わりかと見えたのだが、少し間をおいて観客席側から市民たちの叫び声がし、舞台上に大公をはじめキャピュレット家の者たちとモンタギュー家の者たちが登場する。
 ロミオは平澤智之であり、ジュリエットは絵里である。そして大公は平澤で、モンタギュー夫人は絵里である。両家の和解の場のためには、衣装替えのため二人はいったん引っ込まざるを得ない。また、モンタギュー役が体調不良で降板して代役が務めていることもあって、この場ではモンタギューは死んだことにされて、台詞はすべてモンタギュー夫人の絵里が語る。
 この最後の場面は原作に沿っているとはいえ、早変わりの必要など無理をせずに、二人の死の場面に余情を持たせるようにして終った方が印象的ではないかと思われた。
全体的には一部の過剰な一人複数役で、人物造形をゆっくり味わう暇もなく慌ただしい感じの舞台であ った。
 出演者は総勢11名で台詞なしの出演者も数名いた。
 上演時間は、休憩なしで2時間20分。


小田島雄志訳、演出/篁エリ&平澤トモユキ
1月5日(日)13時開演、座・高円寺2、チケット:4000円、全席自由


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