オートリカスを楽しんだ 『冬物語』              No. 2024-037

 これまでいろいろな『冬物語』を観てきたが、それぞれに見どころと魅力を感じたが、この演出者による『冬物語』も何度か観てきた。観劇日記を読み返さないとほとんどみな覚えていないのだが、不思議と、この演出者本人がオートリカスを演じた舞台だけは覚えている。そして、今回も一番の印象は、田中香子が演じるオートリカスだった。
 今回の出演者情報を知った時、彼女がオートリカスを演じたら面白いものになるだろうという期待感があった。というのも、この演出者による彼女のシェイクスピア劇での出演歴を見るとき(全部観ているのだが)、マクベス夫人を演じたかかと思うと、『リア王』ではコーデリアと道化の二役を演じており、『から騒ぎ』ではドグベリーという道化役を演じている。また、そのほかの活動ではシアターXでの名作劇場で、シリアスな役を清楚に演じているのを観てきているので、その芸域の振幅の広さの面白さを個人的に楽しませてもらっているからでもあった。
 その彼女が自分の期待通りというか希望通りのオートリカスを演じ、期待通りの演技で楽しませてくれた。
 出演者の個人的演技とは別に、全体としての構成にもこれまでにない斬新な演出があった。
 まず、開幕冒頭のシーン。ボヘミアの貴族アーキデーマスとシチリアの貴族カミローの二人の会話の場面、これは時にカットされることもしばしばあるが、この演出では、舞台は薄暗いまま、二人の会話の声だけが語られる。その間、舞台上ではシチリア王リオンティーズとボヘミア王ポリクシニーズなどが登場しての黙劇が演じられ、カミローとアーキデーマスの会話が終わると、舞台上は一旦はけて、二人のダンサーが登場し、ダンスを踊る。そのダンスが象形的で、見る者をして惹きつける。それが終わると、リオンティーズがポリクシニーズを引き留める場面へと移行されていく。
 この演出でのもう一つの特徴として、前半部と後半部の区切りの場面が大方の演出と異なっている点であった。
 前半部は、ハーマイオニの裁判のさなかにマミリアスが死んだことを聞いて彼女が死に(実際には生きているのだが)、リオンティーズが後悔の念に駆られる場面で終り、休憩の後、後半部は、アンティゴナスがボヘミアの海岸でパーディタを捨てる場面から始まる。つまり、前半部はシチリアの場面のみに限定して、後半部はボヘミアと、結末の場面であるシチリアへと再び戻る。この演出では、前半部が65分、10分の休憩の後、後半部が90分と長くなっている。
 大方は、羊飼いが捨てられたパーディタを見つけたところで前半部を終え、「時」の登場から後半部とすることが多い、つまり、時間の経過で前半部と後半部に分けるという演出が普通になっている。
 この場面展開におけるダンサーのダンスの挿入のタイミングが絶妙であるのと、そのダンサーの踊りが非常に象形的であることで、この劇全体のシンボル性が強く感じられた。
 好みや良い悪しは別として、「時」の登場も一風変わっていたのも、この演出での特徴の一つとなっていた。その「時」を演じたのは、流山児事務所・シアターRAKU所属の高野あっこであるが、赤いドレス姿で、観衆を巻き込んでの演技であった。その赤い衣装で衣装で思い出したのは、ハーマイオニの衣裳で、彼女は裁判の時には真っ白な衣装であったが、石像の場面では鮮やかな赤いドレス姿であったことで、これまで自分が観てきたハーマイオニ像とは異なった印象に感じられた。
 この最後の大円団の場も見どころの場面の一つであるが、この演出では、ハーマイオニが台座から自ら動き出すのではなく、ポーリーナに促されたリオンティーズが台座に立つハーマイオニの手を取って導き降ろされるのも、自分が観てきた『冬物語』では経験したことがない光景であった。
 原作にある、リオンティーズがカミローとポーリーナを結びつける台詞もないまま一同は退場していくが、この場の雰囲気では寧ろその方が自然に感じられた。
 このように、細かな点での演出の違いに興味を感じながら全体を楽しませてもらった。
 主な出演者は、先に紹介した以外には、リオンティーズに金純樹、ポリクシニーズに劇団AUNの飛田修司、ハーマイオニに伊藤藍、ポーリーナに水上あやみ、パーディタに鹿目真紀、カミローにうちだけんすけ、羊飼いに熊谷里美、道化で羊飼いの息子に珠理日菜など。ダンサーは、根岸花と藍川百映。
 上演時間は、途中10分間の休憩を挟んで、2時間45分。
 平日の夜であるにもかかわらず、観客席がほとんど満席に近かったのも自分にとっては驚きであった。

 

訳/小田島雄志、台本構成・演出/カズ
10月9日(水)19時開演、座・高円寺2、チケット:5000円、全席自由


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