漆黒の闇の中から聞こえてくる赤ん坊の泣き声―そして舞台下手側から、一人の女が赤ん坊を腕に抱いて登場し、上手側から現れたリアが舞台中央ですれ違った後、女が上手側奥へと消えて行くのを見送るようにして佇む。
舞台中央の奥に王座の椅子が据えられ、リアはその高い玉座の椅子に座り、一同が舞台正面に対して末広がりに居並ぶ。上手側にゴネリルとオールバニ公爵等、下手側にリーガンとコーンウォール公爵等とコーディーリア。リアの王座の左右にフランス王とバーガンディ公爵も控えている。
イングランドらしき抽象的な模様が描かれたホリゾントを背にしたリアが、おもむろに、ゆっくりとした口調で、「これまで秘密にしておいたことを発表しよう」と言って、国譲りの場と娘たちの愛の程度を尋ねる儀式が始まる。
ゴネリルとリーガンの二人がリアへの愛を語る間のコーディーリアの傍白、「コーディーリアは何と言おう」という台詞は発せられない。
前半部の終わりとなる嵐の場面でリアが去った後、その場に残った乞食のトムに変装したエドガーが天上から滝のように激しく降ってくる雨に打たれている姿を、しゃがんだ姿で道化がじっと見つめていて、そのまま溶暗する。
後半部の最後の方の場面、絞め殺されたコーディーリアを車椅子に載せ、リアがそれを挽いて登場し、「そして、哀れな阿呆は首をくくられた。だめだ、だめだ、生きていない」と言ってコーディーリアの横に横たわり、そのまま絶命する。リアが最後に目にしているのはコーディーリアではなく、嵐の場を最後にして消えた道化であった。
「この悲しき時代の重みに耐えるのが我らの務めだ」というエドガーの最後の台詞の後、一同はコーディーリアとリアを乗せた車椅子を押して舞台奥へと消えて行く。舞台上には、上手にゴネリル、下手にリーガンの死体が横たわったままの状態で暗転する。
これらが自分の印象に残った場面である。
登場人物では、コーディーリアと道化を演じた原田真絢が、道化の役で台詞を歌で表現したことが際立っていたことと、土井ケイトが演じるエドガーが、私生児エドマンドの姉として名前はそのままで女性として演じたことが注目された。コーディーリアと道化を一人の俳優が演じるという演出はそれほど珍しいことではないが、エドガーを女優が女性の役として演じるのを見るのは初めてで、最後まで観ていてもその必然性がなく、疑問を感じた。
登場人物とそれを演じる出演者で特に注目されたのは、当然のことながらリア王を演じる木場勝己と、道化が歌う唄で強い印象を感じさせた原田真絢、そして女性としてのエドガーを演じた土井ケイトであった。
この舞台の特徴を一言で表現すれば、「初めて」ということである。それは、河合祥一郎による完全フォリオ版訳での初上演、シェイクスピア劇を初めて演出する藤田俊太郎、そしてリア王を初めて演じる木場勝己という「初物尽くし」であった。
「役を演じるというのは、俳優がその役について書く感想文」だという木場勝己の言葉を借りれば、この観劇日記が、この劇を観た僕の感想文である。
時間をおいて思い出した感想は、泣いている赤子を抱いて舞台を通り過ぎて行った女性の演出は、藤田俊太郎が蜷川幸雄のもとで演出助手をやっていたことを彷彿させる手法のようだと漠然と思った。あの赤子の泣き声は、リアがグロースターに向って言う台詞、「人は生まれると、この阿呆なる大いなる舞台に出たと知って泣くのだ」を思い出させる。また、赤子を抱いた女を見送るリアの姿は、荒野をさまようリアを感じさせるものがあった。
出演は、元宝塚雪組トップスターの水夏希がゴネリル、名取事務所所属の森尾舞がリーガン、ケント伯爵には青年座の石母田史朗、エドマンドに章平、コーンウォール公爵に新川將人、オールバニ公爵に二反田雅澄、グロースター伯爵に井原剛志、オズワルドに塚本幸男など。
上演時間は、前半1時間35分、休憩20分、後半1時間15分で、3時間10分。
終演後、演出の藤田俊太郎と翻訳者の河合祥一郎によるアフタートークがあったが、観劇後の気分を乱されたくなかったので、聞かずにそのまま帰った。
訳/河合祥一郎、演出/藤田俊太郎、美術/堀尾幸男
音楽/宮川彬良、衣装/有村淳(宝塚歌劇団)、照明/大石真一郎
9月18日(水)13時30分開演、KAAT神奈川芸術劇場・ホール内特設会場
チケット:(シルバー)9000円、座席:3列18番
|