いつものように出演者全員が黒いマント服に黒いソフト帽でクラッピングしながら登場し、その儀式が終わるとその内の一人が黒マントの衣装とソフト帽を他の者から剥ぎ取られ、登場人物の一人物の衣装の姿となって手枷と足枷のブロックをはめられ、その場に横たわらされ、その人物は眠りに陥る。
黒い衣装の亡霊たち数名が背後で彼の事をじっと見つめている。下手側の亡霊の一人がジュピターを背中に乗せた鷲となって、眠っている男の前に立つ。
ジュピターは、この劇の冒頭部で二人の紳士が語る話を、その二人の紳士に代わって語る。そこに横たわっているのはポステュマスで、ジュピターの話が終わったところで眼が醒め、イモージェンとの別れの場面が始まる。
ポステュマスが眠っているところにジュピターが現れて彼の事を語るこの場面は、この劇の終盤の場を想起させ、一種の円環構造を予感させたが、終わりの場面ではこの劇にない意味深長な台詞が発せられた。
王シンベリンが全てを許し平和の到来を告げるのがこの劇の最後の台詞であるが、その台詞が終わった後、ローマの将軍リューシャスが、戦争が繰り返し起こることを陰々と予言する。それは今起こっているロシアのウクライナ侵攻や、イスラエルのガザ攻撃など、戦争が絶え間なく起こっている現在を想起させるメッセージに聞こえるものであった。
山崎清介脚本・演出の『シンベリン』は、この開幕のシーンと終わりの場面のこの台詞にすべてが凝集され、その巧みな構成が自分にとって大きな感動を残す舞台であった。
出演者は全員で8名であるが、名前のある人物で一役だけの出演者はポステュマス役の大西遵、イモージェンのすずき咲人心、それにピザーニオ役の戸谷昌弘だけであるが、キャスティングを見たとき、クロートンとグィディーリアスの二役を若松力、ヤーキモとベレーリアスを演じるのが谷畑聡となっていたので、その二人が演じる登場人物がそれぞれ同時に登場する場面をどのように演出するのか興味津々であった。
クロートンとグィディーリアスの二人が争う場面は、グィディーリアスの代りに弟のアーヴィラガスと闘わせることでこの問題は解決させていた。一方、ヤーキモとベレーリアスが同時に登場する終盤の場面では、それぞれ自分の台詞をしゃべらない場面では舞台奥に引っ込ませ、一方を舞台上に残す。そして引っ込んだ人物の台詞の場面になると、急いで衣装を着替えたその人物が登場し、その見え見えの変換に観客席から暖かい笑い声が聞こえ、ほほえましく、愛嬌のあるものであった。それはその二人の登場人物を演じている谷畑聡の演技力に負うところが大いに付与していたからでもあろう。
今一人、登場人物で早変わりを必要としたのは、リューシャスと医師のコーニーリアスを演じた伊澤磨紀。彼女の早変わりの登場もユーモラスな感じを与えるものであったのは、彼女の持つ雰囲気が醸し出すものであった。
役柄で特に注目したのは、ヤーキモを演じた谷畑聡。顔全体で表す表情と目の動きが特に印象的であった。
王妃とアーヴィラガスの二役を演じた星初音は、王妃役が圧巻で強い印象であった。クロートンを演じた若松力は、原文にはない台詞や所作が面白かった。
客席と舞台がすぐ近い平土間の舞台で最前列に座っていたので、シンベリンを演じる山崎清介が、終盤の場面で目の前に近づいた時、彼の表情の皺の一つ一つまでが克明に見え、彼も年取ったのだなあという、しみじみとした感慨を深く覚えた。よい意味で、その老熟さを感じた。
これまでにも今年度最高と思った舞台はあったが、この舞台も最高の舞台と思える舞台であった。
上演時間は、休憩なしで2時間10分。
小田島雄志翻訳による、脚本・演出/山崎清介、衣装/三大寺志保美
8月28日(水)14時開演、すみだパークシアター、料金:(ゲネプロ)4000円、全席自由
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