今回は新地球座代表の倉橋秀美が、明日からの別の公演の出演を控えていて不参加のため、ゲスト出演を含めて3人だけで演じることが決まっていて、台本もその事を考慮した構成とした。
第一部はこれまでのシェイクスピアのソネット日英語による朗読(日本語は、逍遥訳と高木訳)と尾崎廣子による辻邦夫の短編朗読に加えて、今回から新たな試みとして、荒井先生の業績を偲んで高橋正彦により、『先生とシェイクスピア』と題して先生の著書の中からシェイクスピアの作品論の朗読と、高橋の先生への思い出を語るコーナーが設けられ、今回は『ハムレット』の作品論が語られた。
新地球座の中心メンバーの一人、久野壱弘が10月から沖縄に移住することになっていて、彼の参加も今回と次回9月の公演を残すのみとなったこともあって、久野の関係者の参加者が予約の半分以上を占め早々と満席となり、僕のお客さんも2名程お断りするような状況であった。
第二部の坪内逍遥訳『ハムレット』は、語り部として森秋子がゲスト出演し、森は他にガーツルードとオーフィリャを演じ、演出の高橋正彦がクロ―ディヤスとポローニヤス、久野壱弘がハムレットを演じた。
新地球座ではこれまでにも『ハムレット』をいろいろな形で上演してきたが、今回ほど感動を強くしたことはなかったと言ってもよい。もっとも僕は、素晴らしい舞台を観るたびに今回が最高だと言えることを至福の悦びとしていて、素晴らしい劇を観た時にはいつも今回が最高と言っている。
久野がハムレットをどのように演じるかはまったく白紙の状態で聴き入ったが、謁見の場における最初の台詞、「親族以上だが、肉親(しんみ)以下だ」にはじまって、この場面における第一独白の台詞が発せられた時、ハムレットの感情を抑えた静寂と、内燃のマグマの噴出の激烈なる奔流に巻き込まれていき、驚嘆と感動に満たされた。もうそれは、朗読や演読を越えた、久野壱弘の台詞そのものが演技であった。
久野が演じたハムレットは、久野の台詞力に見られる力強さの陰に、ハムレットの内に秘めた憤りが佯狂と真の狂気がないまぜとなって噴出する。佯狂のハムレットは、クローディヤスに対しての台詞に多くあらわれるが、ポローニヤスとのやりとりの中にも表出される。そして真の狂気は、ハムレットの真実の心を反映して、尼寺の場におけるオーフィリャに対して発せられる。久野はその佯狂と狂気の心の状態を、時折発する大きな笑い声で表象化する。その狂気の笑いはハムレットの心境を見事に表出するものであった。
ハムレットの内に秘めた憤りの原因は何か?!それはハムレットの独白の中で幾度も繰り返される早すぎる母ガーツルードの叔父との結婚。叔父であるクローディヤスが亡きハムレット王の跡を継いで王位に就いたこと自体に対しての怒りはないと言ってもよい。クローディヤスの王位継承は、制度としての選定王として手続きを踏んだものであり、形式的には非難されるべき点は何一つない。また、寡婦としての莫大な資産を抱えている嫂のガーツルードとの結婚も、政略的には順当なものと言える。それをハムレットが非難するのは、早すぎる母の再婚、しかも父の弟との結婚であり、そこにはハムレットの母親に対する特別の感情があるとしか思えない。そういった複雑な心情を内に秘めた憤りはハムレットのマザコン説にもつながるものであるが、ここでの演技はそれを表出するものではない。
久野は最初、自分では弱々しいハムレットを演じるつもりであったらしいが、演出の高橋の意向でそれとは異なったハムレットとなり、それに対する久野の心のギャップが逆にこのような形のハムレットを生み出したとも言える。
その久野の素晴らしさは、森秋子の語りとハムレットと相対峙するクローディヤスを演じる高橋正彦とのアンサンブルによって一層強化された。
この3人の出演者の年齢は合計すると230歳を超えているが、彼らの台詞の声はとても70歳以上、80歳以上とは信じられない若々しさと瑞々しさに加えて、声には艶があった。なかでも14歳と想定されるオーフィリャを演じた森秋子の声は、演じている彼女の実年齢が信じられないほどに若々しく可憐に聞えた。
登場人物の台詞の聴きどころは、ハムレットの第一独白や「世に在る、世に在らぬ」に始まる第四独白もさることながら、「尼寺の場」におけるオーフィリャを演じる森秋子の可憐さ、また、ハムレットがポローニヤスを「魚屋」と呼ぶ場面での久野壱弘と高橋正彦の掛け合い漫才のような軽妙なやり取りの面白み、クローディヤスが改悛の情を吐露する独白場面の高橋正彦の深みのある声調による演技、そして、オーフィリャが川で水死した知らせを語るガーツルードの台詞を語る森秋子の声調には悲しみの痛みに震わされた。ところが、この台詞は僕の台本にはなかったもので、僕の台本に入れていたホレーショーや、フォーチンブラスの最後の台詞をカットして、演出の高橋が入れ替えて挿入したものであるが、非常に効果的でよかったと思う。
それでこの朗読劇の最後の台詞は、ハムレットの「おお、餘(よ)は空寂(くうじやく)!」で結ばれ、この後の空寂を埋めたのは、東儀雅楽子が演奏する笙の音の響きであった。東儀雅楽子の笙は、この朗読劇におけるもう一つの主人公でもあり、要所要所の場面で大事な役を果たし、この朗読劇の雰囲気を高揚する素晴らしい演奏であった。
終演後、観客席から惜しみない拍手が贈られ、無事終了した。
翻訳/坪内逍遥、監修/荒井良雄、台本構成/髙木 登、演出/高橋正彦、笙演奏/東儀雅楽子
7月24日(水)18時30分開演、阿佐ヶ谷・名曲喫茶ヴィオロンにて
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