主演二人による共同演出の核心は、「愛」
最初から最後まで目を離せない演技と演出の斬新な工夫で息が抜けず、全心(!)で観劇し、どっと重く心が感動に溢れる感激の舞台であった。
何から書き始めたらいいのか分からないほどなので、その感動の最後の場面から書き記す。
「スクーンでの戴冠式にはこぞって参加してもらいたい」というマルカムの言葉で一同下手へと一気に退場し、舞台前方中央には、マクベスの死体がそのまま取り残されている。
息詰まるような静かな沈黙の後、舞台下手からマクダフの幼子を演じた女の子役(一人は成年女性ではあるが)二人が、そのマクベスの死体にまでやって来て、マクベスの胸にそっと小さな花束を手向ける。
そして同じく舞台下手からバンクオーがやって来て、横たわるマクベスの手を取って起き上らせ、上手から現れたダンカンの方に目を向けさせる。ダンカンはマクベスに手を差し伸べ、二人はしっかりと抱擁し、ダンカンはマクベスをいたわるようにして抱きしめる。それをバンクオーが優しいまなざしでほほえましく、さも満足したように眺める。何とも言えない感動で、このとき全身(心)で、この劇のテーマが「愛」であると感じた。
この最後の場面を見れば、始まりからのすべての場面の演出と演技に納得がいく。
開演時の魔女の登場は、舞台下の観客席での演技で始まる。その魔女役も一定したものではなく、劇中別の役を演じるだけでなく、魔女が登場する別の場面では入れ替わって演じる者もいて、衣装、容貌も魔女という容姿にとらわれず自由自在である。
魔女登場の場面で圧巻なのは、マクベスが自分の運命を知ろうと自ら魔女たちを訪れる場面である。
ヘカティを演じる颯太の唄と踊りに合わせて出演者のほとんど全員が舞台に登場して颯太の踊りに合わせて踊る。これまでの緊張感が一気に吹っ飛ぶようで、唄と踊りに心が弾む。
劇中での「唄」ということに関しては、門番登場の場面もそうであった。門番役も一人ではなく、三人が台詞を唄と踊りで演じ、その前のダンカン殺害の場面の緊張感を一瞬の間解放する。
マクベスとバンクオーの二人の関係も、冗談を言い合う親密な関係として描かれ、温かみを感じるものがあり、ここにも「愛」があふれている。
勝利をもたらしたその二人を迎えるダンカン王も、威厳の中に慈愛を含んだ愛情に満ち溢れた存在として演じられた。
ここいらで主演の二人について書きたくなってくる。
タイトルロールを演じる平澤智之は、2001年から2010年までシェイクスピア・シアターで、数々の主要な役を務めた劇団の中心的存在であったが、退団後は自身が主宰する平澤シェイクスピア・アカデミーを創設して一般人の演劇指導を行ってきたものの、この2024年にキングスメンを立ち上げるまでプロの舞台に立つことはなかった。
この『マクベス』では、これまでの空白期間を一気に取り戻すかのような、全身全霊を籠めた演技と台詞で強烈なマクベスを演じた。最前列の客席からは、彼の足先を通しての演技が激しく目に入ってくる。
足先を見ていると、というより自然とそこに目が行くのだが、足の甲が心もち浮き上がったように、足の裏の中心部が中空状態となって足そのものは舞台床面にぴったりと張り付いており、その足もとから体の上方へと神経が全身くまなく鋼線のように張りめぐらせたような緊張感がみなぎって、体全体が神経と筋肉と化し、顔の表情も神経がピリピリと張っている。台詞も緩急剛柔、留まるところなしである。
彼と共同演出の高村絵里が演じるマクベス夫人も、これまで演じられてきたどのマクベス夫人とも異なる演技で、自分の感想の気持が追いついていけないほどであった。
高村絵里は、源氏物語など平安文学を専門とする文学博士でもあるかたわら、シェイクスピア・シアターの出口典雄に師事したシェイクスピア演劇大好き人間という一風変わった経歴の持ち主で、今回、平澤と二人で演劇ユニットキングスメンを創設し、演出者としての名前は国文学者らしさをうかがわせて篁エリと名乗っている。
彼女が演じるマクベス夫人は、いい意味でコケティッシュなマクベス夫人で、体全体で愛を表現する。
マクベスからの手紙を読む場面では、一人で読むのではなく、侍女たちを傍にして読んで聞かせるようにして読む。夫への愛をむき出しにした純真さにほほえましさを感じる。
その高村絵里はマクダフ夫人をも演じ、最後にはマクベスの付き人シートンをも演じる。シートン役では、マクベスの「小僧」のようにして彼にじゃれつくような仕草と、犬が主人を見つめるような愛を求める目でマクベスを見つめるのが印象的であった。
主要な役を務める登場人物も、マクベス以外のほとんどの出演者が複数の役を兼ねるのだが、その中にあってマクダフのみを演じる鈴木吉行の演技には温かみを感じた。
鈴木は、板橋演劇センターでシェイクスピア全作品にタイトルロールを含め主要な役を演じてきただけあって、今回のこのカンパニーにあって、ごく自然な形で場を盛り上げているのが一見して分かる存在であった。また、殺陣の演技もベテランの貫録を発揮していて魅せるものが多々あって、彼を長年観てきた僕には十二分に楽しませてもらえたのが素直にうれしかった。
マクベスの相手役バンクオーを務める頼孝延は、後半では医師役も演じるが、シェイクスピア初挑戦とは思えない演技と台詞力に魅了された。
シェイクスピアの英語劇や日英語劇で50年のキャリアをもつY氏は、このカンパニーでは柳誠直の芸名で出演しているが、彼が演じたダンカンはこれまで見てきた彼の演技を超えるものを感じ、あらためて感動した。彼は、ダンカンのみならず、牧師役としても登場する。
このカンパニーでの特色として、舞台経験が初めてという出演者や、シェイクスピアは初めてという出演者がいるが、全員に対して平等に出番を作られているのが感じられ、出演者全員をできるだけ途切れることなくすべての場面に登場するようにキャスティングしているのが伺え、そこにも演出者の「愛」を感じた。
複数役をするなかで、舞台経験としてはまったくない女性二人の一人、マクベス夫人の侍女などを演じる春間ゆりは、負傷した将校がダンカンに報告する場面では、腕に赤十字のマークの入った腕章をつけた衛生兵の役をも演じたが、この時の細やかな演出にも注目した。また、今一人、還暦を過ぎて演劇経験ノンキャリアという小澤まりりんは、侍女の外、衛生兵や暗殺者などいろいろな場面に登場し、衣装の着替えも大変だろうと思うが、一生懸命に演じているのが伝わってきた。同じくシェイクスピア初挑戦で、60歳を過ぎて初めて芸能の世界に入るという前川要は、ロス役を懸命に演じているのが感じられ、そのひたむきな姿に心温まるのがあった。
特筆すべきことはいろいろあるのだが、そのなかの一つとしてマクダフの子ども役がある。
ひとりは、たぶん就学前の子だと思うが、彼女はまだ人前でうまく話せないということもあってか台詞はない。そして、今一人の子役(成人女性)は「ろう者」で、マクダフ夫人を演じる高村とは手話で話す演技をする。
今回初めて出会う出演者も多いのだが、その一人一人に愛着を感じる。
バンクオー役を演じた頼孝延以外、主要な役を演じる出演者は長年観てきた俳優がほとんどであるが、魔女や暗殺者、老シーワードなどを演じた立花慎之介は、彼が関東学院大学でシェイクスピア英語劇に出演しているときからプロになった今日までずっと観てきており、彼の演技と台詞力の成長ぶりを見るだけでもうれしくなる。
若手の出演者としては、バンクオーの息子フリーアンスをはじめ、門番や貴族、使者などを演じる福本真也、魔女や暗殺者、門番その他を演じる凱世と小松大和、マルカムを演じるしおん、そして今回振付指導もした颯太は、ドナルベーン、魔女、暗殺者、小シーワード、ヘカティなどを演じ、レノックスや暗殺者を演じたユウキは、このカンパニーで殺陣の指導も行った。
シェイクスピア劇ベテランの出演者を含め、このようにそれぞれの得意の分野でカンパニーを作り上げるのに協力した全員に惜しみなく拍手を贈りたい。
最後になったが、何もない舞台空間を埋める背後の映像を担当したけんドリーの映像も、舞台の展開を邪魔することなく、それでいて目を和ませてくれるもので素晴らしかった。
カンパニーの温かみを感じさせる全員がステキでした!!
上演時間は、休憩なく2時間。濃密な舞台であった。
訳/小田島雄志、演出/平澤トモユキ&篁エリ
5月14日(火)19時開演、座・高円寺2、チケット:3500円、
全席自由(最前列中央の席を取る)
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