彩の国シェイクスピア・シリーズ No.2 Vol. 1
          柿澤勇人主演 『ハムレット』     
       No. 2024-016

 20121年5月の『終わりよければすべてよし』で終るところを、新型ウィルス・コロナの感染の影響で公演中止となっていた『ジョン王』を2022年2月に上演して、彩の国シェイクスピア・シリーズのシェイクスピア全作品上演が終了したが、このたび彩の国さいたま芸術劇場開館30周年記念として、シェイクスピア・シリーズ第2弾が始まった。その第1回目の作品は、『ハムレット』。
 これまでの松岡和子訳に代って、吉田鋼太郎が馴れ親しんできた小田島雄志訳での上演である。
 翻訳者の違いだけでなく、舞台全体の感じも蜷川路線とは異なって感じるものがあった。
 蜷川幸雄の演出では、演劇を総合芸術として、音楽、舞台装置がもっと大掛かりで、多くの出演者という特徴があったが、吉田鋼太郎の演出は、どちらかと言えばその対極にある感じで、特に奇をてらったところもなく、むしろ台詞中心の舞台と言えた。
 この舞台の最後は、普通の演出では舞台上にそのまま残されたまま終わるクローディアスやガートルード、レアティーズの死体を、フォーティンブラスの部下や廷臣たちが引きずって運び去ったのは台本(原作)通りではあるが、少し驚きでもあった。そしてハムレットだけが舞台上に残され、スポットライトが彼を四角く照らし出す。
 それからしばらくの間沈黙の静けさが続いて、やがて天井から黄色い花の束が、一つ、また一つと落されていく。上から物を落とすという演出は蜷川演出の常套的なものであったが、まるでそれはあたかも蜷川へのオマージュのようであった。
 その黄色い花は、ハムレットとオフィーリアの「尼寺の場」に初めて登場するが、それはオフィーリアの狂乱の場で、彼女が手に持つヘンルーダやスミレなどの花の代りに使われ、狂気を表象しているようであった。
 その狂気ということについては、オフィーリアの狂乱を演じる北香那の「目」の表情に驚かされた。
 彼女の狂気の叫喚の声にまず驚かされて思わず双眼鏡を手に取って彼女の表情を見た。
 彼女の眼は完全に狂って見えた。
 これまでにもいろいろなオフィーリアの狂乱を見てきたが、台詞の表情や所作で表現するのがもっぱらで、このような目の狂乱を見たのは初めてで、思わず恐怖にも似た戦慄が走った。
 台詞中心の劇と書いたが、柿澤勇人の演じるハムレットは、劇(激)する台詞の演技で、僕には彼のハムレット像の焦点がつかめず、彼のハムレットをどのように評したらいいのか分からないままである。
 舞台装置としては、城内の場面では舞台の周囲に円柱があるだけで、あとは素のままである。城内以外の場面の違いは床面の照明の変化で表し、特に印象的であったのはハムレットがイギリスに送られるときに遭遇するフォーティンブラスのポーランド遠征の場面での床面の積雪の跡を示すような模様を呈する照明であった。
 劇中劇の場面では、クローディアスとガートルードは観客席の中で観劇し、その劇中劇はタイやバリ島などの小乗仏教を想起させる金ぴかの衣装と所作であったのも印象的であった。
 今一つこれまで見てきた舞台と異なる情景は、ガートルードがオフィーリアの水死したことを告げる場面で、それを聞いたレアティーズが心を乱して立ち去って行くのを心配してクロ―ディアスがガートルードを促して後を追っていくが、ガートルードはその場に残ったまま、泣き崩れて床に泣き伏し、舞台は暗転したことだった。
 出演は、ハムレットの柿澤勇人やオフィーリアの北香那のほか、クロ―ディアスと亡霊を吉田鋼太郎、ガートルードを高橋ひとみ、ホレーシオを白洲迅、レアティーズを渡辺豪太、ポローニアスや墓堀人を正名僕蔵など、総勢15名。出演者の内、自分が知っているのは吉田鋼太郎のみであった。
 上演時間は、前半は、ハムレットがガートルードの居間を訪れたところまでで1時間45分、15分間の休憩の後、後半部が1時間35分で、合計で3時間35分。

 

翻訳/小田島雄志、演出・上演台本/吉田鋼太郎
美術/杉山至、照明/原田保、衣装/紅林美帆
5月8日(水)14時開演、彩の国さいたま芸術劇場大ホール 
チケット:(A席)8000円、座席:2階U列2番(2階席の最前列で左端)


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