吉田鋼太郎が主宰する劇団AUN所属の飛田修司のハムレットと金純樹のレアティーズの台詞が激走する一方、番藤松五郎のクローディアス、瀧本忠生のポローニアス、それに墓堀人を演じる芳尾孝子と堀健二郎ら老俳優たちの緩やかな台詞回し、老若男女の役者の緩急交錯する台詞回しのコントラストの妙味と、絶妙なタイミングで挿入されるダンサーたちによるダンスがこの劇の中核をなしていた。
Keeper(故あって変名)が演出するシェイクスピア劇はこれまでにも数多く観てきたが、その演出でダンサーを入れるのは彼の常套手段の一つでもあって見慣れてはいるが、今回は特に場と場のつなぎにおける絶妙なタイミングを感じ、そのためほとんど主役的な役割を果たしているかのようであった。
夜警のフランシスコ―(堀風花)が舞台上手奥に一人立っている。そこへ、交代役のバナード(鈴木智博)が登場し、「だれだ?」とフランシスコ―に向って声をかける。夜警をしているフランシスコ―の方から後から現れた者を誰何するのが普通であるが、バナードが逆に誰何することで、彼が何かを恐れている不安感と緊張感が伝わってくる、その効果をうまく引き出していた。
1幕1場の亡霊登場の場が終わると、白衣をまとった妖精のような姿の5人のダンサーが登場し、ダンスが演じられ、1場の緊張感から解放され、それが終わると2場の国王の「謁見の場」へと移る。
2幕2場の役者たちによるプライアムとヘキュバの台詞のくだりは、黒衣の役者たち(全員女優が演じる)がコロスの輪唱のごとく、次々と持ち回りで語る。一方、その傍らで座長役の堀健二郎と芳尾孝子が舞台上手奥に目立たぬように二人並んで黙然と控えているのがかえって印象的な存在感を感じさせた。
3幕1場の「尼寺の場」では、オフィーリアを演じる鹿目真紀がハムレットの「父上はどこにいる?」という問いかけに、その答えに逡巡する目の動きをとらえ、ハムレットはすべてを覚る。
「尼寺へ行け」と突き放され、狂ったようなハムレットの姿を見て泣き崩れるオフィーリアの台詞は、彼女がハムレットを愛していたという感情がにじみ出る演技であった。
王と父親のポローニアスが立ち去った後もなお泣き崩れたままのオフィーリアを舞台中央前面に残して、白衣のダンサーがオフィーリアの悲嘆を表出するかのようにして舞う。そして、舞台後方にある台座の上を、黒い衣装のハムレットが上手から静かにゆっくりと歩を進め、中央の位置に来たところで暗転し、休憩となる。
ハムレットがイングランドへ送られる時、フォーティンブラスの軍隊に遭遇する4幕4場では、夜警の衛兵マーセラスをも演じるダンサーの一人、沙藤歩美がフォーティンブラスを演じ、軍隊の行進は、白い衣装のダンサーたちが軍太鼓に合わせて拍子を取るかの如く、勇ましく、激しく、足を踏み鳴らして踊ることで表出される。
4幕7場のガートルードがオフィーリアが川で溺れ死んだことを告げる場では、オフィーリアの死が白装束のダンサーたちの踊りで表象化される。
5幕2場、ハムレットとレアティーズの剣の試合で、熊谷真紀子が演じるガートルードはハムレットへの祝杯を自分が代わりに飲むが、カップを両手で握りしめたその手は小刻みに震えている。ガートルードは、居間でハムレットから先王ハムレット殺害の秘密を打ち明けられた後、その後の彼女は、あたかもその告白を聞いていなかったように振る舞うが、ハムレットに代って毒杯を飲む彼女は、ハムレットを守るためにクローディアスの秘密を知らないふりで通していたことが明らかと感じられる演技であった。
最終の大詰めの場面、ハムレットを壇上に担ぎ上げる場は、ハムレットを担ぎ上げる代わりに死せるハムレットの周りを三人の黒衣のダンサーが静かにゆっくりと歩む。そして暗転、幕となる。
このようにダンスそのものがこの劇の中核として感じられ、そこに強い印象を受けた。
言葉が激走してその感情に追いつくことが出来ないハムレットの内面の激情を、ダンサーたちのダンスによってを表出するかのようで、自分には今回のダンサーたちの踊りを主役のように感じられた。
その他の主だった役の出演者は、ホレイショーに前田貞一郎、ローゼンクランツに井村友紀、ギルデンスターンに阿部隼人などで、亡霊は舞台上には登場せず、倉石功が亡霊役として声の出演。
上演時間は、途中10分間の休憩を入れて、3時間。
訳/小田島雄志、台本構成・演出/Keeper
4月6日(土)14時開演、座・高円寺2、チケット:5000円、座席:自由席(D列9番)
|