2023年観劇日記
 
   演劇集団プラチナネクスト第27回公演
           『マクベスの妻と呼ばれた女』 
          No. 2023-016

 日本人によるシェイクスピア創作劇が特定の関係もない劇団に上演されるということ自体が珍しく、それが中高年の演劇を愛する集団が取り上げたということに大いなる関心と興味を感じた。
 『マクベスの妻と呼ばれた女』を観たのはもう20年前の2002年のことだった。それを演じるプラチアネクストの舞台をはじめて観たのは第10回公演にあたる2014年、『真夏の夜の夢』で、この演劇集団を観劇するのは今回が二度目となる。今回が27回目の公演になるというから、着実に演劇活動を続けていることが伺われる。
 『マクベスの妻と呼ばれた女』を観るのは最初に書いたように今回が二度目であるが、もう20年前の事なので内容もすっかり忘れていたので、はじめて見る劇のように新鮮な気持であった。
 シェイクスピアの劇は当時の演劇状況の関係もあって女性の登場する場面は少ないが、この劇に関してはタイトルに象徴されるように女性を中心にした劇である。しかもシェイクスピアの劇に登場するヒロインたちのオンパレードである。男たちの登場は場面のつなぎの付け足しに過ぎないといっても過言ではなく、マクベスもスクリーンに映し出されるシルエットの姿での登場でしかなく、台詞もない。
 マクベス夫人の傍らに控える侍女たちは、オフィーリアと乳母のデズデモーナの二人。二人が夫人のそばに控える姿は『アントニーとクレオパトラ』のシャーミアンとアイラスのようである。このことはこの劇の最後の方でマクベス夫人が最期を迎える時の状況が『アントニーとクレオパトラ』とまったく同じような印象で演じられることからも裏付けられる。
 劇の骨格はそのタイトルが示す通り、『マクベス』の劇の筋をたどっていく。
 はじめに登場するのが、真っ白な衣装を着た6人の女中たち。この女中たちは『マクベス』の魔女たちでもある。女中頭の名前はヘカティ、その他の女中たちの名前は、『じゃじゃ馬馴らし』のケイト、『ヴェニスの商人』のポーシャ、『ロミオとジュリエット』に名前だけ登場するロザライン、『お気に召すまま』のシーリア、『ヘンリー四世』に登場するクイックリー。そして、『マクベス』の門番の名前が『ロミオとジュリエット』のジュリエット。いずれの登場人物もシェイクスピアの劇のその後のヒロインということで、みな一様に年取っており、この中高年による演劇集団にふさわしい設定となっている。
 ということで、この劇の始まりはこの6人の女中たちによる魔女の台詞から。その魔女の言葉のなかの「きれいは、きたない」がこの劇のテーマとなっているのが、この劇の進行につれて見えてくる。
 ここに登場するマクベス夫人は良妻賢母の見本であり、男性たちからは女性の鏡のように見られている。しかし、6人の女中たちにはマクベス夫人の逆の姿が見えている。「逆」というのは、彼女が真実を真逆に見て、間違いを犯した者をかばい、その過ちを正している者をかえって責めていて、本当のことが見えていないからである。
 マクベスからの手紙を読むのは、マクベス夫人に代わって、夫人の乳母でもあった侍女のデズデモーナ。そして、夢遊病者のようにして深夜に徘徊するのもマクベス夫人ではなく、狂乱のオフィーリア。彼女たちは夫のマクベスをその気にさせた夫人の罪をかばって隠していた自責の念にかられ、オフィーリアはそのために狂ってしまう。
 マクベス夫人は、マクベスの最後を聞いて自害を決意し、それを止めようとしたデズデモーナは夫人を止めることが出来ず、自ら先に自害する。この場面は、『オセロー』の場面と共に、『アントニーとクレオパトラ』の廟堂でのシャーマンとクレオパトラの自害の場面と重なるだけでなく、それをさらに裏付けるように、夫人には罪がなく赦されるという言葉を伝えに来るのがマルカムであり、時すでに遅しであった。この潔い最後によってマクベス夫人が聖女扱いにされるのを恐れ、ヘカティはマクベス夫人にマクベスの罪を負わせる噂を広めることで本来の『マクベス』のマクベス夫人に仕立て上げる。悪女に仕立て上げられた夫人の不幸は、自分というものがないことを象徴化する「マクベス夫人には名前がない」ということであった(ほかの登場人物には全員名前がある)。
 話の主筋の流れより、6人の女中たちがダンカン王の殺害に起因する戦争をいかにして避けようかという試みがすべて逆に流されて、結局、マクベスのスコットランドとマルコムとマクダフが率いるイングランドの戦いが起こってしまうのだが、その戦いがこの劇の冒頭で二階舞台のスクリーンに映し出されたヒットラーによる戦争に始まって、ISとの戦争などの映像と合わせて、現在起こっているロシヤのウクライナ侵攻を想起させる。
 この劇の面白さは、ヘカティを中心とした6人の女中たちがその戦争を食い止めるためにいろいろ手をつくしながらも真逆の結果へと導かれていくプロセスにあり、その意味でもこの6人のそれぞれの女中たちが主役となっているところの面白さであり、その6人の女中を演じる女性陣が好演。
 主筋の骨格は『マクベス』であるが、女性の登場人物にシェイクスピアの他の作品のヒロインの名前がついているが、それは名前だけでなく劇中でそれぞれの劇のエピソードを絡ませているのでそのことを思い出すという面白さも加わっている。つまりこの一つの作品でヒロインのそれぞれのドラマを想起させる面白さでもある。
 出演は、6人の女中と同じ側に立つ門番のジュリエットらの庶民派、それに対してマクベス夫人とデズデモーナとオフィーリアの貴婦人側の合計10人の女性たちを主役に、脇役としてバンクオーとマクダフ、それに兵士やマルカムを演じる男性たち4人。マクベスは映像のシルエットとして登場。一部のキャストは両方に出演するが、公演はSOL組とLUNS組のダブルキャストで、自分が観たのはSOL組。
 上演時間は、休憩なしで2時間。6人の女中たちのそれぞれの個性ある演技を楽しませてもらった。


作/篠原久美子、演出/中野志朗
6月24日(土)17時開演、中野ザ・ポケット、
チケット:3000円、全席自由(最前列中央の席を取る)


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