2023年観劇日記
 
   Sophia Shakespeare Company公演 "Romeo and Juliet"      No. 2023-011

手品のような?タネを明かせば・・・?!

 劇の始まり方には、どのように始まるかというワクワクさせられる期待するものがいつもある。
 開演直後の闇が明るくなると、舞台上には登場人物を演じる出演者全員がそれぞれ思い思いの姿で静止した状態でいる。
 『ロミオとジュリエット』の始まりは、二人の運命を予言するプロローグのコーラスがソネットの形式で語られるが、その朗読を登場人物の中の誰が演じるかというのも興味深いところ。
 この劇の始まりでは、その出演者全員によるイタリア語らしき言葉での歌で始まり、プロローグの台詞は登場人物の一人一人が輪唱するように語っていく。登場人物がコーラスとして全員で語る形式は全く目新しいものではないが、歌を交えて始まったところに目新しさがあった。
 路上での喧嘩の始まりは、キャピュレット側はティボルトとグレゴリーの二人、モンタギュー側はマキューシオとの間で戦われる。この登場人物での演出は、出演者の数による制約もあっての工夫であるが、ほかにも主要な人物ではキャピュレット夫人の登場がなく、キャピュレットがその代わりをも務める演出となっている。
 しかしながら一番の特徴として感じたのは、ロレンス神父のありようであった。
 ロレンス神父は、マントを羽織って顔もフードで覆って、その顔も目と鼻と口の部分だけを残してあとは黒い仮面で隠されており、右手には小さな鎌をいつも手放さずに持っている。そして、始めから最後まで台詞は一言も発しない。その異様な姿と、手に鎌を持っていることから、ロレンス神父はロミオとジュリエットの運命を悲運の死に導く死神としての表象化として感じられた。
 ロレンス神父がなすことは、良かれと思ってなすことがすべて裏返しとなって、結果的にロミオとジュリエットの死を導いていくということで、この発想を大変面白く思って見た。
 舞台のもう一つの特徴としては、フェンシングによる戦いの場が結構長く演じられ、その剣さばきが非常に巧みで、けっこう練習したことが伺え、感心して見た。
 演出上や演技上で興味を引いた点は以上に集約されるが、劇全体の感想として一番気になったのは、台詞の発声であった。全員、英語は流暢であるものの、台詞になっていなかった。日本語が話せるから誰もが役者になれるわけではないのと同じく、英語劇だからと言って英語が流暢に喋れるからと言って台詞がうまく語れるわけでもない。ほとんどの出演者の台詞が耳に届かず、聞き取りにくかった。ただひとり、台詞としてよく聞き取れたのは、マキューシオを演じた和智太誠君。彼は、現在は社会人であるが、麗澤大学に在学中、バントック先生のもとで英語劇をやってきただけに台詞・演技ともしっかりしていて、台詞も聴いていて耳によく届いた。
 演技面で気になったところは、ロミオがマキューシオの復讐でティーボルトを殺す場面。剣で戦った後、剣を捨ててロミオはティーボルトに馬乗りになって首を絞めて殺す演技が長く続き、その殺害方法と共にこの舞台にふさわしくなく違和感と不快感を感じさせた。
 ロミオとジュリエットのバルコニーシーンは、台詞に精彩がないため燃え上る心が伝わってこなかったのも残念。
 また、ジュリエットがロミオの後追い自殺する場面では、『夏の夜の夢』の劇中劇でシスビーが剣でピラマスの後追い自殺する場面を思わせ、何となく茶番風に感じさせるものであった。
 モンタギューとキャピュレットが最後に和解して、二人がジュリエットとロミオの銅像を建てることを語る台詞は、ボソボソッとした感じの会話で、最後の感動の余韻も何も感じさせないもので物足りないものであった。
 コロナの影響でまる3年間というもの大学にも来られなかった状況を考えると、よくここまで頑張ってやれたと本当はほめてやらねばならないところであろう。学生であるからには長くて在学中の4年間だけで、たえずメンバーも入れ替わっていかざるを得ないのが、この3年間はコロナで部員も集まらなかったであろうし、続けようにも稽古も十分できなかっただろう。どんな形であれ、続けていくことで継続性が保たれるということに大きな意義があるだろう。そのことを考えるとき、よくできたとほめてやりたいと思う。
 表題に「手品のような?タネを明かせば・・・?!」と書いているが、これまで書いてきたことは、実はこの上演に関して何も知らない状態で自分が感じたことを書いてきたのだが、終演後、麗澤大学のバントック先生と森川先生と御一緒に四ツ谷駅の近くで食事をした時に裏話をお聞きしたが、それによるとロレンス神父役の出演者が公演当日に突然消えたしまったということで、急遽、その役の代役を全員でカバーすることになったということであった。
 それで、神父がなぜ顔を隠しているかということと、台詞がまったくない理由がよく分かった。しかし、自分はそのことを知らずにいて、却っていろんな想像が働いてよかった。特に、神父がロミオとジュリエットを結果的に死に導いてしまった皮肉を考える時、神父が死神の恰好をしていることに意味深長さを感じたので、出演者逃亡が「けがの功名」となった舞台で、個人的にはこの演出だけでも一見の価値があったとさえ思った。
 神父が台詞を語らないので、ジュリエットが神父から仮死となる眠り薬を受け取る場面では、ジュリエットは神父が持っている本を手渡されて、その本を開いて眠り薬に関する内容を声を出して読むことで状況がはっきりと分かるように工夫されていたのも面白い趣向であった。
 また、バントック先生が主役が演出を兼ねるのは舞台の全体を把握できないのでよくないというようなことを話されていたが、演出者と出演者の関係も分かっていなかったので、その場では一般論を話されているのかと思ったが、観劇の当夜、出演者の和智君から当日の出演者と役柄についてラインで知らせてもらったことで、バントック先生が話されていた意味がよく分かって納得した。
 和智君からの出演者情報については、次のようなものである。
 ヒロインのジュリエットは当団体の代表である峯芽衣奈(みね・めいな/上智大学・理工学部3年生)、ロミオは小川深彩(おがわ・みさ/日本大学・芸術学部映画学科3年生)で、主演と監督・演出を兼ねている。
 以下、先に名前を紹介した和智太誠君のほか、乳母とティーボルトの役を堀田ゆうみ(日本大学・芸術学部映画学科3年生)、ベンヴォーリオにMaria Yovita Nugraha(法政大学1年生)、キャピュレット役に社会人のSupachat Kotcheap、パリスとグレゴリー役に郭子豪(情報経営イノベーション専門大学3年生)、公爵と召使役に山口夕稀南(明治学院大学4年生)、そして社会人で俳優の西内薫がモンタギューと薬屋、全員で9名であったが、本来はもう1名、ロレンス神父役がいて10名の予定であった。
 SSCといえば上智大学のシェイクスピア英語劇の団体と思っていたので、メンバーの構成を見て多少驚きでもあったが、麗澤大学などとのネットワークを考慮するとうなずけるものがあり、今後ともこの多様性をもって頑張っていってほしいと願う。
 上演時間は、前半1時間、休憩10分間をはさんで、後半1時間の、全部で2時間10分。

演出/小川深彩
5月4日(木)11時開演、上智大学キャンパス1号館講堂にて


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