2023年観劇日記
 
   スタジオアプローズ製作 『じゃじゃ馬ならし』        No. 2023-008

―じゃじゃ馬は馴らされた?!―

 見どころ(聴きどころ)はいろいろあるのだが、この日は翻訳者の松岡和子さんが観劇に来られていたこともあって、その敬意も表してちくま文庫の『じゃじゃ馬馴らし』の「訳者あとがき」についてと、この劇の演出との関係について考えてみたい。それは他でもない、この劇の最後の一行、ホーテンショーの台詞である。原文では、
 'Tis a wonder, by your leave, she will be tamed so.'
と未来形になっている。この個所は普通、「お前は手のつけられないじゃじゃ馬を調教してしまった」と現在完了形で訳されるのだが、「あとがき」では、<ルーセンショーの台詞は未来形なのでじゃじゃ馬の調教は「完了」したわけではなく、「未来」はどうなるか分からないという、オープンエンドになっている>と指摘する。そして'by your leave'から、この台詞が誰に向って言っているのかも疑問視する。
松岡和子はまずそのことで坪内逍遥の訳を取り上げる。
逍遥訳では、「(バプチスタに)かういっちゃァ何ですが、全く不思議です、カタリーナさんがあんなに従順におなりになったのは」と、この台詞を一番の年長者であるバプチスタに言っていることを指摘している。
 ついでながら他の訳を見てみると、福田恆存訳では、「ふしぎだよ、失礼な言いかただが、あの人を、ああもおとなしくしてしまうなんて」とあり、小田島雄志訳では、「あのじゃじゃ馬が飼いならされたのも天の裁きだ」となっている。そして松岡訳では、「奇跡だ、言っちゃなんだが、この先もあの人がこんなふうに飼いならされて行くのか」となっており、未来形に訳しているのはこの部分を気にした松岡和子訳のみである。
さらに「あとがき」では、<この「飼いならされて行くのか」の「か」の部分を「か?」と上げれば疑念の色が、「か!」と下げれば簡単と驚きの色が濃くなる>とも付け加えている。
 残念ながら自分はそこまで注意して聞いていなかったので、この最後の台詞の抑揚がどうなっていたか覚えていない。というより、この最後の方の場面では、キャタリーナを演じる君島久子の台詞の口調から、シェイクスピアの妻、アン・ハサウェイとシェイクスピアとの関係を想像してしまったからであった。
それは、シェイクスピアが妻子を置いて故郷ストラットフォードを去ってロンドンに出たのは、年上のがみがみ女房から逃れてのことではなかったかと思ってしまったからである。
 原作では、『じゃじゃ馬馴らし』は「序幕」として鋳掛屋クリストファー・スライの「夢」から始まるが、演出ではこの部分は省略されることが多く、今回の演出でも御多分に洩れずカットされている。この「序幕」にあたる部分では、スライが領主の催す芝居を見物することになって、その劇中劇が本文となって展開していく。しかし、この「序幕」のスライの夢を閉じないままに終るので、「オープンエンド」となっている。
 そのことでこの劇の構造を考えるとき、松岡和子の指摘する「未来形」の疑問も解けるような気がする。つまり、ルーセンショーの台詞でこの劇は閉じられるのではなく、スライが夢から覚める場面へと続くことが予見され、それで未来形の形で終っていると考えることができる。
 だが、このことはここまでにして、今回の劇そのもの、演出について見てみたい。
 オープニングは、まず、この劇の道化的存在であるルーセンショーやペトルーチオの三人の従者たちのパントマイム的な所作、舞踊に続いて、他の登場人物たちの面々が同じようにパントマイムの黙劇的舞踊で舞台を一巡するところから始まり、祝祭的雰囲気を感じさせる。
 そしてエンディングは、先に述べてきたルーセンショーの最後の台詞で何かを表象するかのように、溶暗して終り、あとは暗黒―。
 見どころは、ペトルーチオとキャタリーナの最初の出会いの場面の台詞のやりとりとその演技、そしてペトルーチオがキャタリーナを「調教」していく諸々の場面で、ここはペトルーチオを演じる金純樹とキャタリーナを演じる君島久子の台詞力と演技力にひとえにかかってくるが、二人はその見どころにしっかりと応えてくれ、見ごたえのあるものにする。
 この演出で特に目を引いたのが男役に女優を多用している点であるが、特に、ルーセンショーの従者トラーニオに政宗薫、ビオンデロに岡林芽久、ペトルーチオの従者グルーミオに蒼じゅんら三人の従者役は、そのコンビネーションもよく、『間違いの喜劇』のドローミオ兄弟を感じさせる面白さがあった。
 他には、ルーセンショーの父親ヴィンセンショーには水上あやみ、キャタリーナとビアンカの父親バプティスタに熊谷里美、偽のヴィンセンショーを演じる商人に芳尾孝子がそれぞれ男性役を好演した。
 演技として注目したのは、ホーテンショーの妻となる未亡人役の葉山奈穂子の目と顔の表情の演技。キャタリーナに対してちょっと底意地の悪そうな表情を示すところが何とも言えずうまいと思った。
 変ったところでは、ペトルーチオの召使役であるカーティスを演じたサンタ朗。原作とは少し変わった役割をして、登場した後は劇の最後までペトルーチオに付き従って、エンディングまで舞台上にいる。その台詞回しも、ぶっきらぼうで木で鼻をくくったようなところがあり、場違いな面白さを出していた。
 かわいらしいビアンカを演じた鹿目真紀が、ルーセンショーと結婚した後の豹変の台詞回しの落差をよく出していたのもよかった。
 そして、ルーセンショーに琥珀、ホーテンショーに市村大輔、グレーミオーに深沢誠。
 出演者のそれぞれの役の演技を楽しませてもらった。
 上演時間は、途中10分間の休憩をはさんで、2時間5分。

 

訳/松岡和子、演出/Keeper
4月6日(木)14時開演、新宿Theater Brats
、チケット:4500円、全席自由(最前列中央の席で観る)


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