2022年観劇日記
 
  サロンdeお芝居 No.9公演 道徳劇 『エヴリマン』     No. 2022-026

―イギリス演劇の原点・現存する最古の道徳劇―

 「文学の立体化・リーディング&パフォーマンス」を目指す"サロンdeお芝居"が、コロナ禍による休演以来2年ぶりに公演。「クリスマスの物語 Ⅲ」と題して、第1章が、マンスフィールドの短編『理想的な家族』をベースにしたリーディング劇『二―ヴ氏の一日』(25分)、10分間の休憩の後、第2章で道徳劇『エヴリマン』のパフォーマンスを上演(55分)。
 その『エヴリマン』。はじめにプロローグ役として「博士」が登場し、ブリタニカ国際大百科事典から引用して『エヴリマン』について説明する。それによれば、『エヴリマン』は、<1495年頃の執筆で、オランダの"Eleckerlijc"からの翻訳と推定され、人間をめぐる「美徳」と「悪徳」の葛藤をテーマとし、「死」が訪れたとき、最後の審判の席に立ち会ってくれるのは「善行」以外ないという教訓を寓意的に描き、「知識」「美」「友情」などに擬人化されて登場する人物は、単なる象徴を超えて性格描写としても精彩を放っている。1901年にW. ポールがロンドンで復活させ、20年にホーフマンスタールによる翻案『イェーダーマン』(1911)がザルツブルク祝祭の際、スペクタクル様式で上演されて大きな反響を呼び、以後同祝祭の恒例行事となった>とある。
 『イェーダーマン』は、『エヴリマン』に題材をとり、H. ザックスが1549年に書いた『臨終の富者の喜劇』を参考にして書かれている。この劇の内容としてはザックスのタイトルがそのものズバリを表現している。
 道徳劇を観たであろうシェイクスピアを身近に引き付けて、「博士」を演じた高橋正彦が、プロローグでシェイクスピアの『十二夜』の冒頭のオーシーノ―公爵の台詞、「音楽が恋の糧であるなら、つづけてくれ…」や、『お気に召すまま』のジェークイズの「人間は男女を問わずすべてこれ役者に過ぎぬ…一人一人がさまざまな役を演じる」の台詞を口にすることで、この劇を一挙に身近に感じさせた。
 物語の中心は「人間」(富者)で、「人間」の放蕩を怒った「神」が、人生の始末書を書かせて彼を連れてくるように「死」に命じたところから始まっていく。
 「人間」は一人で死の巡礼に出ることを恐れ、連れを求める。最初に頼むのは「友情」だが、口先だけの約束に終わってしまい、次に「親類」のいとこに同行を求めるがこれも断られ、続いて「財産」にも逃げられる。
 万策尽きたところで善き行いの「善行」に助けを求める。「善行」は同行を同意するが、「人間」のこれまでの不道徳な所業のために足腰が立たない状態で動けず、妹である「知識」に同行させようという。「知識」が同行に同意すると、続いて「美」「力」「分別」が現れて彼らも同行するという。
 そこで「人間」は司祭のもとで悔い改め、死への巡礼の心の準備ができ、いよいよ墓穴に入ろうとすると、「美」がまず逃げ、続いて「力」、「分別」も「人間」から去っていく。さらには「知識」までもが同行を拒否し、「人間」の改心で足腰が治った「善行」だけが最後まで彼と共にするという、非常に分かりやすい教訓劇であった。
 「博士」と「神」を高橋正彦が演じ、主演の「人間」には菊池真之、「死」と「美」を小春千乃、「友情」を西村正嗣、「善行」を森秋子、「知識」を沢柳迪子、「親類」と「天使」を深川史麻、「天使」と「分別」をたかくえみ、「財産」を小林美穂、「力」を川邊慎一、「天使」を廣森斉子が演じた。
 道徳劇としての静粛さの中にも、出演者それぞれの熱演・好演の熱いエネルギーとパワーを感じさせる素晴らしい劇に、感動をいっぱいにした。
 拍手!拍手!!そして、日本ではほとんど皆無といっていい道徳劇の公演、その貴重な公演の観る機会を与えてくれたことに感謝!!!

 

作者不詳、上演台本・演出/島川聖一郎
12月9日(金)18時30分開演、阿佐ヶ谷ワークショップにて、チケット:2000円


>> 目次へ