高木登 観劇日記2018年 トップページへ
 
   PARCO Produce公演
     女性だけで挑む 『ジュリアス・シーザー』         
No. 2021-013

 良し悪し、好き嫌いは別にしてパルコプロデュースの『ジュリアス・シーザー』の特徴は、第一に出演者全員が女性であること、そして開幕時と終幕の場での音楽(チャイコフスキーの交響曲第4番のようだったが、音楽音痴の自分には自信がない)、そして鈍い輝きの鏡面の舞台装置にあった。
 舞台三方の壁面がすべて鏡面仕立てであることで登場人物の姿が鈍く写し出され、それはその人物の心を表象化しているととらえれば面白と思うのだが、そこまで感じるには至っていなかった。
 出演者が全員女性であるだけでなく、主演格を含めほとんどがシェイクスピア劇初出演か、その経験がほとんどない女優陣で占められていたのもその特徴の一つと言えるだろう。
 そのことは、よく言えば手垢のついていない新しいシェイクスピア劇への挑戦ともとらえることができる。
 その主演格には、シーザーにシルビア・グラブ、アントニーに松井玲奈、ブルータスに吉田羊、キャシアスに松本紀保とスター級の女優陣(とは言っても、残念ながらこの中の誰一人として自分は知らない)。
 劇の構成は前半部を主体にし、後半部のフィリッピの戦いの場面はほとんど割愛され、シーザーの暗殺者たちはアントニー一人の手で次々と殺され、キャシアスの最後も自分で自刃し、ブルータスが彼を抱きかかえてその死を悼むと、この場面の一連の動きはすべてカットされていた。
 原作との違いの一つに、ブルータスの自殺も部下のストレイトーではなく小姓のルーシアスが手伝い、また、原作では矛盾的な台詞の場面、キャシアスと激しい口論の後、ブルータスがポーシャの自殺のことをキャシアスに告げるが、その後にメサーラーがポーシャの死の報告をしたとき、ブルータスはそのことを初めて知ったように受けるが、その報告の台詞がこの舞台では省略されていた。
 ブルータスの死骸を前にしてアントニーは、暗殺者の中で一人ブルータスだけが高潔な人物であったと彼を称えるが、そのアントニーの台詞に覆いかぶせるようにして、舞台奥ホリゾントの上段からオクティヴィアスが「その徳にしたがって遇しよう…このうえは戦場に休戦の合図を。われわれも行こう、そうして、このめでたい日の栄光を共々に分ちあいたいものだ」と言って締めるが、上からのこのオクティヴィアスの台詞は、次のアントニーとオクティヴィアスとの覇権争いで彼がアントニーの上位に立つことを暗示するように見えた。
 劇を通しての感想としては、トレボ-ニアスとオクティヴィアスの召使を演じた三田和代以外全員知らない女優ばかりということもあって、シーザー暗殺者たちの一群や、その他の登場人物像の見分けがしにくかったことと、シーザー暗殺の大義名分を説明するブルータスの演説と、シーザー追悼のアントニーの演説の聴きどころにも、心を揺さぶられるものがなかったのは、劇を観る前からの想定通りであった。
 演出の森新太郎によれば、シェイクスピアの男性のすばらしい台詞を女性に言わせたら面白いだろうと思ったということと、そのことでシーザーは先に彼が演出した『メアリー・ステュアート』でエリザベス女王を演じたシルビア・グラブをシーザーにと真っ先に考えたということであるが、必然性を言うなとリアは言うが、女性だけで演じる必然性をあえて問いたい気持ちにかられた。
  これまでの経験から女性だけのシェイクスピア劇に期待していなかったものの、やはり、なぜ女性だけで演じる必然性があったのか、スターを集めての単なる客寄せでしかないのではないかと思わざるを得なかった。
それでもなお高い料金を払って観に行くのは、シェイクスピア劇だからとしか言えない。
 出演は、ほかにオクティヴィアスとポーシャに藤野涼子、キャルパーニアとレピダスに鈴木崇乃、占師とルーシアスに高丸えみりなど、総勢18名。
 上演時間は、休憩なしで2時間15分。

 

訳/福田恆存、演出/森 新太郎
10月10日(日)13時開演、渋谷PARCO劇場、チケット:11000円、座席:Q列15番

 

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