高木登 観劇日記2018年 トップページへ
 
   彩の国シェイクスピア・シリーズ 第37弾
    石原さとみX藤原竜也 『終わりよければすべてよし』       
No. 2021-003 

 彩の国シェイクスピア・シリーズ最後となる第37弾は、シェイクスピアの 問題劇とされる『終わりよければすべてよし』。
 開演とともに目を見張らせたのは、開帳場式の舞台全面に真っ赤な曼殊沙華。
そしてわずか数秒の間で舞台は暗転し、再び舞台が明るくなると、この劇のヒロイン、ヘレナがその曼殊沙華の中にたたずんでいて、やがて何かを思い詰めたようにその曼殊沙華の庭園の中を駆けまわる。
 曼殊沙華は天上に咲く花とされ、四華の一種で見る者の心を柔軟にするというが、それは舞台の上で演じる者が見る柔軟さであるのか、それとも舞台を観る観客の心を柔軟にするものであるのか?!
 場面転換は曼殊沙華の庭園にギリシア風彫像や円柱によって、ルシヨン伯爵夫人邸やフランス王の王宮に素早く転換され、スピーディな舞台展開を可能にする。
 この作品が「問題劇」とされる所以は舞台の最終でバートラムが本当に、心からヘレナを受け入れたのかどうか、という曖昧さを残しているところにある。
 今一つの問題劇『尺には尺を』では、公爵の求愛をイザベラが受け入れるかどうかは台詞の上では一切ないのでイザベラの演技が問題となってくるが、この『終わりよければ』の場合、少なくとも台詞の上ではバートラムは彼女に許しを請い、ヘレナをいつまでも心から愛すことを誓う。
 しかしながら、そこには台詞にない疑念を感じさせるものがあり、そのような苦みの残る演出を見せられたこともあり、今回の結末の演出を楽しみにしていた。
 結果は「終わりよければすべてよし」で、ハッピーエンド的な終わり方であった。
 単に許しを請う台詞と永遠の愛を誓うだけでなく、バートラムがヘレナと二人きりで曼殊沙華の庭園の中で睦まじく向かい合う姿で終わり、「終わりよければすべてよし」を表象化していたのも印象に残るものがあった。
 それだけでなく、小悪党のパローレスも赦されラフュ―卿の庇護を受けることになり、すべてめでたく収まる。
 登場人物については、上演史的にはパローレスが注目された時代とヒロインのヘレナが中心となる時代があるが、今回の舞台においては、個人的な印象としてはこのシリーズではおなじみの横田栄司が演じるパローレスに一番面白みを感じ、喜劇的人物の代表であるフォルスタッフを彷彿させるものがあった。
 ヒロインのヘレナはこのリーズ初出演の石原さとみで、溌溂なさわやかさが印象的であった。身分違いのヘレナを疎んじる憎まれ役のバートラムには藤原竜也、フランス王に吉田鋼太郎、ルシヨン伯爵夫人に宮本裕子、ラフュ―卿に正名僕蔵、デュメイン兄弟の兄に河内大和、劇団AUNからは沢海陽子ほか3名など、総勢で20名の出演。
 今回蜷川幸雄演出との違いを特に感じたのは、群衆登場場面の猥雑さで、フローレンスの市外でバートラムらの凱旋行進をフローレンスの未亡人やその娘たちが出迎える場面―蜷川演出では、たぶん、大勢のさまざまな市民を登場させて猥雑さと混乱の混沌を描き出していただろうと思い、懐かしさと一抹のさびしさを感じた。
 このシリーズも今回をもって最終を迎えたわけだが、昨年新型コロナウィルスの関係で上演中止となった『ジョン王』は結局上演されないまま終わりとなったのが心残りである。
 今回はコロナ感染で緊急事態宣言(埼玉はまん延防止措置対象)のさ中ではあったが、当劇場は平常通りの上演で、満席状態の「密」な状態であったのは、複雑な気持ながらも嬉しい限りであった。
 上演時間は、2時間45分。途中休憩、15分。

 

翻訳/松岡和子、演出/吉田鋼太郎、美術/秋山光洋、照明/原田保、衣装/西原梨恵
5月14日(金)13時開演、彩の国さいたま芸術劇場・大ホール
チケット:(S席)10,000円、座席:1F、M列29番

 

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