高木登 観劇日記2018年 トップページへ
 
   新国立劇場演劇研究所・第14期生試演会 
                 『尺には尺を』         
No. 2020-020

 自分にとってこの劇の見どころの一つ、というか最大の山場は公爵がイザベラに求婚の意思表示をする場面であるが、果たして、当日貰ったプログラムに演出家の山崎清介が「ただいま稽古を始めて4週間が経ち、昨日は本番で使用する大道具も搬入されたところ、あと3週間、結末の演出はまだ決めていません、研修生たちの芝居を観続けていかないと決められないのです」とあって、わが意を得たりの感があった。
 舞台上には、太さが人の大きさ程で、天井まで届かんばかりの5メートルほどの高さの柱が、横列に4本、縦列に3本、合わせて12本の大きな柱が間隔をあけて並んでいる。
 開演とともに登場してくるのは黒いフードをかぶった修道士。舞台の序詞役よろしく語り始めるが、途中から登場人物の全員が柱の蔭から登場してきて、修道士の台詞に続けてコロスのように唱和する。
 コロスのような台詞の唱和と、台詞の木霊返しのような繰り返しの受け答えは、山崎清介の"子供のためのシェイクスピア"でよく使用する手で、所作にも同じような親しみのある手法が使われていたのが特徴で、装置としての柱も可動式となっていて自在に動かされ、場面転換のアクセントとなっていたのも、机と椅子を使っての"子供のためのシェイクスピア"でおなじみの光景であった。
 原作にはない工夫の一つに、修道士に変装した公爵がアンジェロ代理公爵に関する事態を逐一「観察絵日記」として鵞ペンで記録していく。それが後日、アンジェロの不正を糺す証拠として出されることになる。
この仕掛けの面白さは、最後の場面で修道士の衣装を剥ぎ取られて正体を現したときの一同の驚きが、例の、水戸黄門が印籠をもって正体を明かす場面のようにスカッとさせる面白さとなって活かされてくる。
 演出の細部にわたって"子供のためのシェイクスピア"に通じるものがあって、出演者そのものが楽しんでいるという雰囲気が伝わって来て、見ていて楽しく、面白い舞台であった。
 そして、肝心の最後の場面、公爵のイザベラへの求婚と、それに対するイザベラの反応である。
 イザベラが公爵の求愛を受けるのか受けないのか、イザベラの表情で測り得ない演出が多いが、この場合、イザベラを演じる俳優の演技力がすごく試される場面でもあると思う。そこを分かっていて、山崎清介は稽古の最後までその演出をどうするのか決めていなかったのだと思う。
 この演出では、公爵はイザベラの返事を待つことなく、「さて、宮殿にもどるとしよう、おまえたちに聞かせたい話がまだ残っておる」と言って、皆を誘って奥へと退出していく。そこにいたクローディオとジュリエット、アンジェロとマリアナの二組のカップル、エスカラス、そして修道士ピーターが次々におもむろに奥へと退出していく。
 この間、公爵の求婚を受けたイザベラは観客席に背を向けたまま、一人たたずんでじっと動かず、彼女の表情をうかがい知ることが出来ない。観客は、彼女の気持ちを背中の表情で感じる以外にすべがない。
 イザベラは、そうしてスポットライトを浴び、最後までじっとたたずんでままで、暗転して幕となる。
 この終わり方も暗示的で非常に面白いと思った。
 イザベラはそもそもなぜ修道尼となる決心をしたのか、その決心はゆるぎないものなのか、そこが問題である。
この問題は書かれていないことであるが、そこを追及することで最後の場面の演出も決まって来るのではないかと思う。
 出演は、公爵ヴィンセンシオに女優の星初音、公爵代理のアンジェロに大西遵、老貴族エスカラスに佐藤勇輝(彼は囚人バーナダインも演じる)、クローディオに今井公平、イザベラに前田夏実、ルーシオに仁木祥太郎、マリアナに渡邊清楓、ジュリエットに加部茜、修道士ピーターと修道尼フランシスカに五十嵐遥佳、女郎屋の女将オーヴァダンと死刑執行人のアブホーソンに濱田千弥、オーヴァダンの召使ピーターに伊藤麗、刑務所長に田畑祐馬の12名。
 上演時間は、途中休憩20分をはさんで、2時間25分。

 

翻訳/小田島雄志、演出/山崎清介、美術/松岡 泉
10月31日(土)14時開演、新国立劇場・小劇場、
チケット:(A席)3200円、座席:B1列11番

 

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