高木登 観劇日記2018年 トップページへ
 
   東京芸術劇場公演、野田秀樹の 『真夏の夜の夢』        No. 2020-019

 「不思議なことが起こると、それは夜のせいだとか、夏のせいだとか、気のせいだろうと思うが、不思議な事は気のせいではない」という"そぼろ"(ヘレナ)の台詞で始まる野田版『真夏の夜の夢』の激に登場する妖精たちの名前は、"夏の精かしら"、"年の精"、"あたしの精"、"目が悪い精"、"耳が悪い精"とあって、"気の精"はいない。劇の終わりになってそぼろが「森のせい、夜のせい、夏のせいかもしれない。でも、気のせいでないことだけは、あたし知ってる」と吐く台詞から、"気(木)の精"はやはりいなかったのだと思わせる周到な仕掛けを感じる。
 野田版『真夏の夜の夢』は、シェイクスピアの原作を踏襲しながらも大胆な改変を含み、登場人物のネーミングにも見られるようにいたるところに言葉遊びがあり、原作には登場しないメフィストを主役的に配して「ファウスト」の世界へも引き込んでいく面白さがある。
 その面白さを倍増するのが、ブルカレーテの演出とブハジャール舞台美術、そしてランチの映像。
 9月初めに稽古を始める予定がコロナの影響で来日が許されず、来日できるまでの間リモートでの稽古でしのぎ、9月末になってやっと、演出のブルカレーテ氏、舞台美術のブハジャール氏、作曲のシリー氏、映像のランチ氏が、ルーマニア大使館、文化庁、外務省などさまざまな方面からの支援と助力でやっと来日が出来、無事上演にこぎつけることが出来たことはまさに僥倖と言わざるを得ない。
 自分にとって、ブルカレーテ演出作品の観劇は、2017年、佐々木蔵之介主演の『リチャード三世』以来二度目となるが、今回の出演者の大半が前回の『リチャード三世』に出演した俳優によって占められていた。
 前回の『リチャード三世』でも感じたが、今回もブルカレーテの前衛的な演出に引き込まれていった。
 今回は映像をも駆使して、色彩感覚もサーカスのように華やかで、メフィストによって電子レンジのようなボックスに閉じ込められ、テレビのようにして顔だけ映し出されるパック、タイテーニアと腹が隈取りの役者絵のような顔となってタコにされる福助(ボトム)の二人が奇術に用いられるような大きな箱に閉じ込められ、そこから引き出されてくるところなど、まるでマジックのような舞台展開であった。
 妖精の森の場面では、背景の広がりが曼陀羅のような模様の映像が次々と映し出されていき、登場人物像においてもメフィストをはじめとして映像が多用される。
 また、舞台装置によって登場人物などが静止したまま横にスライドして移動させる趣向も多用されていたのも特徴の一つであった。
 野田版『真夏の夜の夢』は、メフィストという原作にはない人物(悪魔)を登場させることでオリジナルとは異なった世界へと誘ってくれるところが見どころ、聴きどころになるのだが、ブルカレーテの演出でさらなる異界へと誘い込まれていった。
 この劇の面白さ、楽しさは、この劇の中心人物で核となるメフィストを演じる今井朋彦、パックの手塚とおる、オーベロンの壌晴彦、タイテーニアの加藤諒、バレリーナのような肌の色に近い衣装でタイツなしの素足むき出しで舞台上を陸上選手のように空中を飛ぶようにして疾走するそぼろの鈴木杏、ときたまご(ハ-ミア)の北乃きい、福助の朝倉伸二など個性豊かな俳優たちの演技にも負うところが大きく、そこが見どころでもあった。
 休憩なしの2時間の上演時間があっという間に過ぎた。

 

潤色/野田秀樹、演出/シルヴィウ・プルカレーテ
舞台美術・照明・衣装/ドラゴッシュ・ブハジャール、
音楽/ヴァシル・シリー、映像/アンドラシュ・ランチ
10月23日(金)14時開演、東京芸術劇場・プレイハウス、
チケット:(S席)7000円、座席:1階Q列24番

 

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